第5話 〈レッド・パープル〉

 到着予定時刻は、十四時二十二分十一秒を中心に、前後約二分の幅。


 トールの予測に狂いはほとんど生じず、彼は二十二分ちょうどに〈レッド・パープル〉の扉をくぐった。


「――いらっしゃいませ」


 広いフロア全体に、店の記章をつけたスーツを着た男女が散らばっている。年代は二十代の後半から四十半ばほどまでと幅広く、訪れた客の質問に答えたり説明をしたりしていた。


「ようこそ、〈レッド・パープル〉へ」


 ひとりの案内人アッシャーがトールを出迎えた。


「〈クレイフィザ〉の者です」


 彼は言った。


店主マスターの使いで、ミズ・サンダースにお届け物を」


 それくらいの説明で通じるだろうと判断した彼だったが、生憎と当ては外れた。


「……〈クレイフィザ〉? サンダースとは、当店主のサンダースでしょうか?」


「はい」


 そうです、とトールはふたつ分まとめてうなずいた。


「お約束はないようですが、どのようなご用件で」


「え」


 気の毒に、トールは目をぱちぱちとさせる。


「ない?」


「ええ。来客の予定は、把握しております」


 それがアッシャーの答えだった。


「……マスター……アポ取ってないとか、有り得ないです……」


 トールはがっくりと肩を落とした。


 この店は、彼らの店とは違うのだ。〈クレイフィザ〉でさえ、突発的にやってきた客に店主がすぐ応対できるとは限らないのに。


 彼の店主は普段、決して、非常識ではない。だからトールは特に確認をしなかった。まさか、約束をしていないとは思わなかったのである。


 そう言えば、確かに店主は「特に約束はしていない」と言った。だがそれは、時間の指定がないという話だと、トールは判断したのに。


「申し訳ありませんが、サンダースにご用でしたら、あらかじめ連絡をいただく等の……」


「――あーっ、トール!」


 案内人アッシャーがもっともな台詞を言い終える前に、聞き覚えのある声がした。


「トールだーっ」


「やあ」


 彼は笑みを浮かべた。


「デイジー。久しぶ」


 少女――の姿をしたもの――に挨拶を続けようとしたトールは、彼女が想定範囲で停止せず、彼に突進してきたことに驚いた。


「わあい、トールだー」


 初めてデイジーが〈クレイフィザ〉にやってきたとき、彼女は店主を「おとーさん」と呼んで抱きついたものだが、いまのデイジーは、そのときの様子によく似ていた。つまり、問答無用で彼に抱きついたのである。


「デイジー、離れなさい」


 言ったのは案内人アッシャーだ。


「はあい」


 渋々と言った体でデイジーは従った。


「失礼、ミスタ。デイジーをご存知ということは、サンダースとも面識がありますようで」


「ええまあ。少しですが」


 サラ・サンダースがデイジーを迎えにきたときに、少し話しただけだ。だが面識があることは間違いない。


「左様でしたか。重ね重ね、失礼を。お取り次ぎいたします」


 トールのような少年――に見える存在――にも実に丁寧に、案内人アッシャーは応対した。


 立派な店だな、と〈クレイフィザ〉接客担当は感じた。自分も見習わなくては、などと。


「デイジー。少しの間、お相手を」


「はーい」


 今度は元気よく、少女は返事をした。


「こっちこっち」


 アッシャーが記章に手を当てて連絡を取る間――広い店なら、通信パネルを使うよりこうした方が便利だろう――デイジーはトールの手を引っ張った。


「こちらへどうぞ」


 少女が案内したのは、来客用の椅子だった。トールは苦笑する。


「僕は、いいよ」


「駄目。お客さんだもん」


「これは、本当のお客さんに取っておいて」


 人間の、という言葉はもちろん、口にしなかった。


 デイジーは彼の「正体」を知っているが、それが言ってはならないことだということも理解している。と言おうか、彼女の「母」たるサラが理解している。だから〈クレイフィザ〉の店主は、それを特にデイジーに隠さなかった。


「元気だった?」


 とロイドがロイドに問うのもおかしな話だ。だがこれは、会話のとば口というものである。


「うん。トールは?」


「僕も問題なくやってるよ」


 そこで彼は、はたと気づいた。


「……予約とか、入ってる?」


「え?」


「だから、その」


 販売予約、と彼は言った。


 注文による製作ではなく、既製のリンツェロイドにオプション追加などで対応するというのも、販売のパターンのひとつだ。ある程度は力のある工房でなくては客がつかないが、〈レッド・パープル〉なら充分。デイジーが「売れ残る」とは思えない。


 だが、「おかしな男につけ狙われている」というような話のためにデイジーを〈クレイフィザ〉で預かったときからもう一ヶ月近く経っている。デイジーがまだ〈レッド・パープル〉にいるというのは奇妙だ。


 トールやアカシやライオットでも、あるまいし。


「ううん。何にも入ってないよ」


 あっけらかんとデイジーは答えた。


「やっぱりサラは、デイジーを売る気、ないのかな?」


 誰にともなく、トールは呟いた。


「お判りですか」


 苦笑混じりに言ったのは、先ほどのアッシャーだった。


「サンダースにも困ったものです。あんまり出来がいいので、手放したくなくなったらしくて」


「はあ」


「それならば店頭に出すべきではないとわれわれは進言したのですけれど、〈デイジー〉はあくまでもサンプル、求められたらお客様のご希望に合わせて次の作品を作るからいいのだと言い張ります」


 次も気に入ったらどうするんでしょうね、とアッシャーは肩をすくめ、どこの従業員も変わり者の店主には苦労しているな、とトールは苦笑を返した。


「先ほどは失礼しました」


 しつこいくらいに、案内人は謝った。


「ご案内いたします」

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