11月25日(土)

 昨晩のD&D夜会(※前日の日記参照)は4時間半に及んだ。Wizadoryよろしく6人パーティでバルターズゲート世界を右往左往していたわけだが、道中、貴族に討伐を依頼されたり、パブに入ったり、ギルドに襲われそうになったり、怪しい店主たちを尋問したり……。


 ところで、そうしたイベントの状況説明やNPCの台詞は(当然ながら)全てGM(ゲームマスター)が担当する。GMであるYP氏のユーモラスで滑舌の良い語り口に耳を傾けながら、これってかなり重労働だな……と思わないわけにはいかない。D&D世界の魅力と「そこにいる感」は、大部分がDMの力量(想像力、知識、語り口など)にかかっていると言っても過言ではないように思う。

 そういえば、先日はてなブログに記事を上げた『Goodbye Volcano High』というゲームの登場人物に「TRPGのGMを通じてGMの魅力に目覚め、大学進学もドラムも止めて、アナログゲームで食べていくことを決意した男子高校生恐竜」が出てくるのだが、そうした職種というか、人生はここ日本にもあるのだろうか。アナログゲーム人生、TRPG人生。ここのゲームマスターを引き受けてくださっているYP氏もそういう方なのだろうか(プレイ中にそんな話はもちろんしないが)。


「GMを目指す高校生」で思い出したが、自分も幼少期に魅了された「ゲーム」という媒介をこの歳にして再び仕事にしている(今のところ「しようとしている」が正確かもしれないが)と思うと不思議な気持ちになる。でもやっぱり不思議でもないのかな、という気もする(どっちだ)。それに、あの頃の「ゲーム」と今の「ゲーム」は本質的にとまでは言わないが、相当に違うものでもある。

 ゲームと初めて出会った時と同じようにゲームが好きか?と問われると、そうとは思えないところも(当然)多い。だが、「かつてと同じように好きな部分」というのは確実にあって、それは自分の内で何歳になってもしぶとく変わっていない気がする。


 今も深夜に酒を飲みながら部屋を暗くしてゲームしたり、ブラックフライデーセールで大幅に値下げされたゲームをカートに放っている時は、小学生の頃と精神のある部分はほとんど変わっていないような気がする。でも、当時のゲームを(アーケードアーカイブなどで)プレイしても当時の気持ちが同じように蘇ってくるとは限らない。というか、ほとんど蘇らない。


 そういう意味では、『ドーナツ・ドド』(そういえばこちらもD&Dである)なんて不思議ですよね。あれはノスタルジーを指向したのではなくて、古き良きゲームたちを徹底的に参照して、あの頃(具体的には1984年頃)を彷彿とさせる魅力的なルックを作り出し、おそらくは数えきれないほどのテストプレイを繰り返して、今のゲーマーにもオールドゲームファンにも刺さるアクションゲームを生み出し、そのクオリティから本当にアーケードゲームになってしまった。素晴らしい。


『ドーナツ・ドド』の素晴らしさについてはもう少し長く書きたいところですが、今日はこのへんで。おやすみなさい。ラブムー

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