11月22日(水)
どうにか午前中起床。やはり今もらっている薬の服用は中止しようと思った。効果はあるのだが、あまりに「ぼー」っとしてしまうのである。この感じは麻酔や睡眠薬にきわめて近く、忙しい師走にはまるで合っていない。そういうわけで、薬をすっかり止めて半年ぶりに飲酒を再開するかとも思ったが、やはりここまで抜いたのだし、今年いっぱいは断酒していよう。せっかくだから。
そんな個人的薬服用話・飲酒話は退屈なので、さっそくゲーム話を。
先日始めたばかりの『なつもん!』(Switch)はプレイすればするほどじわじわ素晴らしさがこみあげてくる。こういう「沁み入り方」は久しぶりかもしれない。その素晴らしさを言語化するなら、「オープンワールド(以下OW)でしか表現できない世界への自覚性」みたいなことになるのかな(すみません、寝起きなのでだいぶ適当に書いてしまってます)。
「戦闘やパズル要素のほぼない、その世界に居ることを楽しむOW(ゼルダBotW以降)」というジャンルは、昨今のトレンドではないにせよ、いちジャンルとして確立しそうな動きが国内外で断続的に続いていますが、その決定打となるような作品ではないでしょうか、『なつもん』は。
そして上記ジャンルの先駆者であるSWERY氏の傑作OW『The Good Life』(このゲームはおそらく『なつもん!』にとって、目標、あるいは叩き台となるような作品だったのではないか)を鑑みると、ともすれば「虚無」「退屈」と隣り合わせなこのジャンルに「ゲーム的面白さ」を自覚的に組み込もうとしていると感じるのです、『なつもん』は(まだ序盤なので確信はないが)。
『なつもん!』を海外文学に喩えるなら、レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』のような「永遠の夏との接続」であり、それをゲームならではのやり方で表現しようとしているのではないか。一見すると、癒し、ノスタルジー系のおつかいゲームに見えるかもしれないが、かなり凄いことを自覚的にやっている作品なのではないか……そんな予感と確信が芽生えてきている。
その流れで(?)、寝しなに「死と死体」について少し考えた。うろ覚えだけど、たしか、死体は死におけるもっとも重要な証拠品である、みたいなことだった。
証拠品である、とはどういうことか? 死は死体とは(本質においては)無関係である、というようなことでもある。もし死体がなくても死は存在するのだろうか? 死が存在するとはどういうことか?(古典的命題)。カテゴリー、範疇、言語ゲームといった、おなじみの哲学用語を思い出してみる。
行方不明になった者は、その肉体が見つかるまで行方不明者(失踪者)である。もし死体が発見されなかったら「死者」となることはついぞない。死体とは死の証明パスのようなものだ。
もし、あらゆる人が死体を残さずに、煙のように消えていくように死んでいったら、残された者、その人と関わった者たちはその人の死について、どのように異なった捉え方をするだろうか。
死体は物語であり、幻想であり、物質であり、終わった時間の象徴であり、目くらましである、かもしれない。動物は、人間よりも死の非意味を身体的に理解しているように思う。あるいは言葉で理解していないから、惑わされないのか……そんなようなことを考えながら、今度は『パラダイス・キラー』(2021年リリースの傑作ADV)がやりたくなった。
本日もこのような個人的で冗長な日記を読んでくださって、ありがとうございます。ラブムー
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