第15話 青天の霹靂
「どうする?お前が話す」
戻ってきた二人のモジモジする姿に佐和子が反応して神経質そうに眉間にしわを寄せる。この表情は…恋なのか…依子の見たことのない顔。焦る気持ちを抑えながら、なんとなくこの先が不安…自分にとって理解を超えた領域の耳障りな話になりそうでなんでも来いのあの佐和子が、一瞬目眩がして心を閉じた。
聞きたくない。聞きたくない。そんな話…そうだよ依子だよ。不器用な依子がそんなはず無いと冷静になってみても…胸のザワつきは収まらない。
「…なんて言ったら良いか…」
依子が思いを言葉にする?どんな?これは覚悟しないと…と佐和子が身構えた。
「な、なに?」
「じゃ、俺から、良い?話すよ。…あの、突然過ぎて皆さんには理解してもらえるか、申し訳ないんだけど。僕たち結婚することにしたんです」
「え!」
「ええ?なんで…け、結婚…って、まさか」
予定調和をひっくり返して佐和子は地獄の声を聞いた気がした。人を振り回して生きてきた。自分の気に入らないものは全部蹴散らしてでもなんとかなってきた。走馬灯のように走る自分のキャリアがいとも簡単にひっくり返る感覚。どうやら、自力でなんとかなる事態じゃ無いらしい。
「お前、何言ってるの」
真壁も言葉を失う。同じ感覚だろう…好人も依子と似たような風来坊。と思っているはず。佐和子に呼び出されて血相を変えてペンションに来ていた。
「…」
自分たちが起こしてしまったこの騒ぎに、どういう顔して良いのかわからず目が泳ぐ依子の頬に赤みがさして、その雰囲気がまさか…と疑う佐和子に言いようのない衝撃を与えた。
「なんでなのよ。大事な人生よ、そんな、簡単に決められることじゃないじゃない。此処は旅先なんだから、落ち着いた方が良い。もう一度考え直した方が良い。
反対してるんじゃない。そうじゃない。だって、あんたたち、まだ出会って24時間経ってないでしょう。それで、なんで結婚…なんてことに…」
果てしなく絶望する佐和子が目を閉じて何も見たくない様子で言葉を選ぶ。
「佐和子さんがそう言うのも無理はないです。俺もこんなことになると思ってなかったですから。ね!」
ね!って…佐和子の知らない依子がヨシトの横に収まってもじもじしている。バツが悪そうだけど幸せそうだ。間違いなく幸せそうだ…それがさらなる衝撃を佐和子に齎している。
「…うん」
頼りなく頷く依子に佐和子はため息をついた。身体全体から力が抜ける程の溜息を漏らした。
「責任取るとかそういう話じゃないですよ。
そこまでのことしてないつもりだし…
二人で話して、ほんとに結婚したいって思ったから。時間じゃないって、それに依子さん早くしないと時間ないし」
「そんなの今は問題外よ!」
佐和子がきっぱりと言う。
「タイムリミットがある話は私だって知ってる。それに拘ることはないと、かねがね言って来たのは私なんだから、まったくこれだから免疫無いと危ないのよ。突っ走る?離島よ。ここは離島…
東京からどれくらい離れてるのか骨身にしみて解ってるはずでしょ。今日の午後には船が出るのよ。おさらばするのよ。どうすんの…」
「離島って…」
「…」
「依子さんさえよかったら、このままここに居てもらっていいんです。いろんな手続きはあるでしょうけど」
「え〜!ここに残る!なんで、なんで、なんで、私が一人で帰らないといけないのよ!そんな、そんな話にはならないでしょ、どっちにしたって。
あ…依子、帰りの船に乗りたくないって…まさか…」
「…」
「何とか言いなさいよ。あなたまさか帰りの船に乗りたくなくて結婚を決めたんじゃないわよね」
「そんなこと、ないよ」
ようやく依子が戸惑いで音を失くした口を開いた。
そんなことで結婚を決めるなんてありえない。どんなに辛くったってそれでここに残るとしたら動機が不純すぎる。
「あれは、船酔いは、もちろん苦しいのは嫌だよ。確かに耐えられない地獄の苦しみだったから。でも、それとは違うはず…」
「二人でゆっくり話したんです。お互い仕事も此処で出来るし、景色も好きだって、あ、そんなのはメルヘン臭い…あれなんだけど、まあ一目惚れってやつなんですよね、この先もずっと一緒にいれたら良いなって」
「佐和子さんごめん。私、免疫無くて、でも、話も普通に出来るし、一緒にいて辛くないし、可能性を感じるの…もっと良いもの生み出せるって」
はっきりと答える依子に佐和子も観念するしかないのか、と諦めかけた。
でも、愚痴は出る。こうなってみるとはっきり解る。依子は佐和子にとってかけがえのない人以上なのだ。長い人生、旅行に行こうなんて思った親友はあなただけ…一緒に来た船旅を帰りは一人でなんて悲しすぎる。片手をもがれる思いでこんな寂しい離島に依子ひとり置いて行けるか…
「一度向こうに帰って、冷静にゆっくり考えた方が良いと思う。残るなんて今決められる。慌てることなんてないじゃない。仕事どうすんのよ。個展の話だってしたばっかでしょう」
声が…想像以上に冷静になる。冷静な声が低く響く…地獄の沙汰か…言えば言う程、どんどん悲しくなる。
「いや、帰ったらこのまま僕たち終わる。二度と会えなくなる」
「そんな事あるわけ無いでしょ。自信持ちなさいよ。誰も依子を取り込まないわよ。自由恋愛が許されてるこの時代に、そんな理不尽なこと有るわけ無い。何言ってるの!」
佐和子の声は震えている。
「仕事は…仕事はここで出来るように考える。絵は荷物で送る」
そうはっきりと語る依子の覚悟を聞いて…悲しいけど佐和子は観念するしかないのかと思った。もう説得できないと…諦めないといけないと…
でも泣けてくる。悔しいのか悲しいのか涙が後から後から溢れ出てくる。渾身の力を絞っても立ってられない。佐和子はその場で泣き崩れた。
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