第11話 ブルードルフィン

 海風の渡るテラスに案内される。外階段を上がって腰を下ろした時、テラスに寄り添うように伸びるタコノキ、寄植えになっているソテツ。視界に広がる様々な南国の木々に心を持って行かれた。その向こうには、だだっ広く視界の果まで小笠原の青い海が広がっている。

「はあ~極楽だね」

「こんなところに極楽か〜確かにゆったりできるね。船に戻らない分時間が余ったしね」

「佐和子さん、時間はゆっくり使おうね。バタバタするのは好きじゃない」

「あら、お土産まで買って充実してるじゃない」

「まあね。必要なものしか買わない主義だから…お土産買うなんて、楽しいのかもね」

 依子が照れくさそうに笑った。

「コホン、どうぞ、メニューです」

「あれ、さっきの…」

 白い子…

「バイトですよ。お昼おごってくれるって言うんで」

「まあ、ちゃっかりしてる」

「…」

「何が美味しいの?」

「そうだな、僕はこのロコモコみたいなの好きかな、ちょっと南国感あるし、ハワイっぽいでしょ」

「…」

「依子どうする?」

「え〜あ〜じゃあそれで」

「え~?メニュー見なくていいんですか。他にも色々あるよ」

 主体性の無さに白いのが驚いて聞き返した。

「…」

「この子人見知りなの。初めての人苦手だから」

「初めてじゃないのに、さっき会ったよ。え、覚えてない。家でサンダル買ったでしょ」

 そんな事は知っている。口聞いたらさらわれるなんて思ってない。人と口をきく習慣がないだけだ。

「そう言う柔軟な感じなら、人見知りとは言わないから」

「…」

「私はこっちの島寿司、あるじゃない、らしいのが。今日のお昼は船で島寿司のはずだから食べておいた方が良いよね」

「島寿司ならここで食べなくても美味しい店知ってますよ」

「おい、おい商売の邪魔するんじゃないよ」

 お水を持って上がってきた色黒の青年がたしなめた。

「だってここじゃあろくな島寿司出ないでしょ」

「そんなことはないよ。ああ見えてうちの板前さん器用で何でも作るんだ」

「じゃあ、どうしようかな?」

「まあ、お勧めは島唐辛子のピリ辛ハンバーグかな。明日葉とか島オクラとか付け合せもまあ島らしい」

「じゃあ、それとロコモコ、あとこの島レモンのパフェをひとつ」

「はい、かしこまりました。島尽くし定食一つ!」

「良かったね。依子、船に帰らなくても美味しいもの食べれそうよ」

 依子が薄っすらとはにかんで笑う。食事より、久しぶりに目にした親しげな会話が楽しかった。自分は参加しないけれどそこに居られる温かさが心地良かった。

「依子、助かったね。あの程度の酔いで」

「……」

 改めてそう言った佐和子の言葉に憤りを覚える。気持ちは常より敏感に反応して…あの程度…

 なわけが無い。依子にすれば何度この世の終わりを覚悟したことか。

「初めての船旅で遠いところを選びすぎたなって、依子には申し訳なかったって思ったよ」

「……」

 まだ半分残っている。もう一度、死ぬほどの覚悟がいる。でも、今、そのことに触れたくはなかった。船旅の残酷なところはそこだ。ここまで来た。来たは良いけど帰りがすぐそこに待っている。

 船好きならそれは最高だろう。しかし何度も地獄を見た依子にとって、帰り半分の行程はどう考えても話題にしたくない事だった。

「佐和子さんの気分が晴れれば私の気分の悪さなんて小さなことよ。と広い心で言ってあげたいのはやまやま」

「何?その判じ物みたいな言い方」

「どう取って頂いても私は大丈夫…」

 と、げっそりしている。

「ハハハ依子、面白い、意外と、依子にしては斬新な言葉のチョイス」

 馬鹿にしてる。そう思いながらも反論はしない。佐和子のどんな態度も嫌いじゃないから。へらへらしてて良いと依子は思っている。

「お昼からは?」

「シーカヤックします。朝の船着き場まで迎えが来てくれるんです。とにかく今日はいろいろ体動かして明日は島の探検しようかなと思っています」

「カヤックか~小港海岸が良いよね。あそこは遠浅だから景色もいいしね」

 横で静かに食事をしていた。色の白い青年に佐和子がたずねる。

「あの~、なんでここに住んでてそんなに色白なんですか?羨ましいくらい色白いんだけど」

 依子もその不思議な現象の答えは聞いておきたい。

「家から出ないんで、泳がないし、スポーツとは縁がないし」

「不思議でしょ、こんな奴もいるんですよ。日常はそんなものかな。小笠原にも海以外の営みが有る。こんなに海、綺麗なのにね」

「…」

「ああ、依子、この子依子っていうの、この子も家にばっかりいる子。今回私が無理やり連れてきたの、小笠原って魅力的よ〜海が綺麗よ〜って口車に乗せて」

「へ~なにかしたいことあったの?」

「ま、満天の星が見れたらって…」

「星か~残念、今日は雨だね」

 え、がっかりした顔で空を見上げた。今夜は雨なんだ。そんな切ない。私は何を求めて此処まで来たの…

「…」

「明日も曇りだな…」

「…」

「東京?何やってるんですか?仕事は?家に籠ってちゃ出来ないでしょ」

「イラストレーターなの、夜中に起きて絵を描いたり、ね」

「…」

「ああ、それなら家で出来るか。こいつもCG作ってるんです。コンピューターグラフィック。部屋にこもってばっかり、仕事のやり取りもパソコンだから島でもできる。恵まれてるちゃあ恵まれてる。こうやって連れ出さない限り家に籠もっている」

「人見知りだからね」

「…」

「あら、社交的よ。明るいし。ね!」

「…」

 依子に振る。同類がいるよって顔で、その意図が見え見えで依子は益々黙り込んだ。何か話せって言われても器用に振る舞えるはずもない。目の前の、ボリューム有り過ぎのロコモコが制覇できない。残そうかどうしようか迷っていた。

「じゃ仕事残ってるから」

「…」

 珍しく依子が反応して顔をあげる。

「ありがとうございました。島のこともよくわかって楽しかった。ねえ依子」

「うん…どうも」

「そうだ!依子さん。カヤックが終わったら家に来る?さっきの店なんだけど」

「へ?」

「満天の星空とまではいかないけど、かなりいけるかも。それまでに仕事終っておくから、寄って」

「…」

「依子…」

 むしろ、このまま連れて行ってもらっても構わないと佐和子は一瞬、思った。こんなチャンス滅多にない。依子が人に反応するのを未だかってまざまざと見たことのない佐和子だったから…せっかくの小笠原、依子にも楽しい思いをさせて上げたい。

「時間あるの?」

「ある。ある。大丈夫よ。カヤック止めてもいいよ。今から行ってくる」

 急かせる佐和子の一言に後退りする。

「あ、それはちょっと、急ぎの仕事あるから」

「じゃ終わるころ小港海岸まで迎えに行って俺がお前んちまで送るよ」

 色黒の青年が明るい顔でそう言った。

「え、そんなの…まずいよ…」

「良いの良いの、旅の恥はかき捨てでしょ。甘えちゃえば良いのよ」

 佐和子が甲斐甲斐しく振る舞う。依子に満天の星空を、この旅の中で用意してやれないことはもうわかってしまった。それだけを楽しみにしてきた依子が船酔いだけで終わったんじゃやるせない。と、切にお節介にも思う佐和子だった。

「じゃあまた後で」

 そう言って食事を終えて、二人と別れて元居た桟橋へ佐和子と依子は戻った。

「良かったね。どんな星でも良いじゃない。満天なら。依子、願いが叶うよ」

「そうかな。大丈夫かな。どうやって星を見るのよ。あの話、初対面で信じていいのかな。どっか連れてかれたらどうしよう。満天の星空ってまだ昼間だよ。そんなに簡単にかなうはずないよ」

「疑ったって仕方ない。良いじゃない。そうよ昼間なんだし、心配ない。長いものには巻かれろよ。時には巻かれたって良いのよ。住処がわかってるんだから、島総出で連絡船見送る島なのよ。悪い人たちな訳がない。

 彼ヨシトって言うんですって、黒い方はマカベさん」

「…そんなこといつの間に、聞き出す時間あった?どうやって名前聞いたの」

 佐和子の不思議な神通力に依子は唖然とした。

「こんなところで発揮したいとは思わないけど、私これでもスーパー営業マンですから、相手の名前聞き出すくらい朝飯前です」

「はぁ~どんな才能なんだか」

 敏腕佐和子のお蔭で白い方の彼の名は、ヨシトと判明した。


 小港海岸にそそぐ小さな川に浮かべたシーカヤックは、優雅にみえて乗るのに手こずった。おっかなびっくりと静かな、そして自然豊かな入り江へと漕ぎ出す。入り江は、白い砂浜とそそり立つ山に囲まれて美しい水を湛えている。

 山には自然に繁殖しているらしい山羊の姿が白く点々と動き回り、遠くからこちらを見下ろしている。離れたところでプカプカと浮かぶ物体を見つけて近づくと、それは大きなウミガメだった。

「大きい。こんなふうに浮かんでるんだね」

「ウミガメか〜水のきれいなこと」

 勿論初めての遭遇。向こうはこっちの感動なんかお構いなしに悠然と泳ぎ去り、時間の豊かさを感じさせる。所々に黒く集まるイワシ玉を眺め、カツオドリの急降下に驚いたり、周りの山々に癒やされ、のんびりと時間を過ごした。

「こんなにゆったりしたの初めてかもね」

「良い時間。自然の真っただ中にいる感じが気持ち良い」

「依子が気に入るのは当たり前だよね。こんなとこ好きに決まってる」

「何日もいたら仕事のことを忘れそう?」

「それは無い。私はイベントで大丈夫。時々だからいいのよ。ずっとなんて…私には無理かな」

「そうかな、無理な人なんかいるかな」

「携帯が鳴らない。時間が止まる。孤独に陥る。自信ないな」

「佐和子さんは、仕事の虫だからな。いや鬼か。

あ!思い出した。私、この前打ち合わせで明文館の新社屋に行ったの。そしたら懐かしいもの全て無くなってて、がっくりきてたら…

新人の若宮君が、あのちょっとイケメンのね。ここに行けば有るかも知れませんよって骨董屋さん教えてくれたの。で、そこの倉庫で佐和子さんに似合いそうな小箱見つけたから、今度車出して、引き取りにいかないと」

「骨董屋さんなの?」

「もう少し広範囲な…リサイクル?何でも引き取るらしいよ、社屋ごと。めぼしいものは倉庫に仕舞って置くらしい。最近昭和のセットものとか使うじゃない。TVなんかでさ」

「ふーん。良いもの有ったんだ」

「まあ、良いかどうかはね。気に入るか分からないけど記念に」

「記念好きだね。さっきも買ってたよね」

「まあ、ささやかな記念」

 ささやかなものは、自分でも手を出せるようなささやかなものは、気になったりする。このままほっとけないなって依子の心に引っかかったりする。

「依子、今度個展しない?あなたの絵を見せたい人がいるの」

「そんな個人的に?なら、その人に見せればいいじゃない」

「違うんだな。個展で見せるのが良いのよ。ただ見せたって有難味がない。何枚か新しい絵を描いて欲しいのよ。大きいのでも小さいのでも良いから。テーマは何が良いかな」

「仕事の話か〜味気ないな。こんなとこまで来て」

「違うのよ。違うのよ。ゆっくり話す機会がなかったから。御免こんなところで、でも、生きるために仕事は必要でしょ」

「まあね。考えてみる」

「考えてくれるか…引き受けるって話じゃないのね。まあでも良かった。臍曲げたかと、しくじったかと思った~」

「良いよ。良いよ。良い空気吸ったし、綺麗な景色いっぱい見たし、佐和子さんのお蔭だからお返ししないと」

 結局佐和子といると仕事の話になる。それは解っている。いいんだそれでと依子は思う。依子も仕事が嫌いじゃない。仕事の話がなくなると、なんだか自分を見失う気がするのだ。好きなことをやってる。それが仕事になってる。それに罪悪感が乗っかる。ガツガツとやってきたわけじゃない。ただ絵を描いて来ただけだから。依子には営業感覚が欠落している。多分それだけだ。

 今はみんな忘れて小笠原を満喫すればいいでしょ!それもおんなじ気持ちだった。


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