第5話 近づいた小笠原計画

「ねえねえ、むこうで何する。早く決めてツアーデスクに申し込みたいんだけど」

 小笠原熱に浮かされて佐和子が今日も詰め寄る。出発の日が近づいている証拠だ。何の案も持たない依子が答えに窮する。

「今回は多少無理しても佐和子のやりたいことをやろう…と、思ってる」

 と、消極的に、それでもなんとか傷心の佐和子を慰めてやりたいと決意している気持ちを伝える。

「そうなの?珍しいわね。雨降らないといいけど」

 その憎たらしい口ぶりに反論したくなる。そうなんだ。テンポの遅い依子は気がつけないでいるが、佐和子はすでにリハビリの必要もない程、復活している。

 しかし…たとえ依子がそれに気付いていたとしても、反論する言葉を持たない。

「私は満天の星が見えればいいの」

 と、あくまでささやかな希望のみを語る。依子には、旅先の予備知識など皆無で、向こうで何が出来るのか、どんな冒険が待機しているのか、思い描く想像力もなさそうだった。佐和子の揃えた雑誌や旅行の本をペラペラめくれば小笠原がどんなところか、何を求めて人が出かけていくのか解りそうなものなのに…

 そこには心を動かされない。あくまで自分を癒やしてくれるであろう満天の星空を夢に見る依子だった。

「うん、星は綺麗らしいよ。どのガイドブックにも載ってる。依子の唯一のご希望だからね。ナビゲーターとして、これだけはなんとしても果たさないと。

 それからと…シュノーケリングしようよ。ダイビングとなると尻込みするでしょあなた。私は出来たらやろうかあな」

「え、水着いるの?」

「なに、持って無いの?」

「いやあ、前にプールを歩くの、あれにちょっと興味持ったことがあったから。探せば有ると思う…」

 依子は以前、自分の股関節のリハビリのためにプールで歩く運動をしようと試みたことが有った。でも長続きしない。基本運動は出来ないと決めつけている。

「ちゃんと探してよ。さぼらないで。それとクジラ見て、カヤック乗って、森林探索して~」

「そんなに…欲張って、やる時間あるのかな~向こうには2日しかいないんでしょ。星見る時間、削ったりしないでよ」

「夜でしょ。星は夜にしか見れない。全部昼間にやるのよ。夜は依子に取ってあります」

「ならいいか、ま、のりが悪くても怒らないって、それだけは約束してね」

「承知してます。あなたのエコに付き合うつもりもありません。私は自分の計画通り楽しむわ、バカンスを楽しんで美味しいもの食べて、向こうで陽に焼けた好青年と会えないかな…」

 好青年と言った佐和子に反応した。

「好青年ね~好きだっけか?」

「そりゃあ真面目が一番よ!贅沢は言わないけどチャラいのはお断り」

 そっか~高次も真面目だったな~と納得する。記憶に残るほど会ったことはない。佐和子から話に聞いたところの想像が大半の高次。真面目に佐和子の希望を叶えお互いの仕事を理解し合っていた。

 佐和子にはもったいないほどの好青年だったな。と突き当たったところから抜け出せなくて、また、黙った。


 もともとアグレッシブに見えてはいるが、現代っ子を自称する佐和子もかなり保守的だ。言葉の端々に『決まってるでしょ』とか『当り前じゃない』とか、自分の考えを常識化する決まり文句が付いてくる。それにがんじがらめになる自分が嫌で、殻を壊そうとするあまり突如暴力的な言葉を吐く。自己主張は保守的な自分との戦いなのだ。

 それがわかっているから、反論は極力避ける。そういうことに長けている経験値をフル回転して、依子は距離を置いて話をする。興奮している相手と対立しないように、なるべく冷静に対応しようとする。

 どちらかといえば依子は物を創る人だから、突飛な発想をすると思われがちだが、依子の場合、人に対してそれは発動しない。そういうことで消耗しないように天から授かった内向的性格が外部を遮断する。

 芸術の神様はその内包するマグマを機を見て解放する。静かに気づかれぬように、限りある貴重な創造の消耗を減らす方向に依子を向かわせる。

「あ~あ、今週と来週、あと十日も仕事したら楽しみな船旅ね。計画してる内が楽しいんだよね。出発したらもう終わったも同然」

 横で佐和子が寂しそうにつぶやく。行く前からそう言う佐和子に唖然とする。どこまでも行動を最優先する佐和子は考えすぎて力尽きる。計画や準備に思い切り頭を使う。細部にわたり計算して旅行計画を練る。その楽しさもあらかた終わリに近づいて寂しくなりつつ有る。

「依子、孤独って感じることあるの?」

「孤独?」

 佐和子の問いかけに空をさまよいながら答えを探す。探さなくても見えているのに自分からより遠いところに置こうとポーズする。

「うん、孤独…誰かいると感じないのに。一人になるとたまらなく、静けさが襲ってくるあれ」

「孤独ね。有るよそりゃあ多分人並みには、でも関係ないかな…生きるのに影響はない。寝ちゃえばいいのよ。そういう時は、せっかく時間があるんだから」

「寝ちゃうの?さすがだな依子は、孤独に慣れてる」

 唇の端で薄く笑う。こうして二人でいても孤独を感じる自分より佐和子のほうがましだと思う。

 いや、孤独とは違う。ただ一人ってだけかな…

 私は誰かを求めていない。自覚するとため息になるけど、依子はそれは画一的に寂しいという感情ではないと、そう思う。



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