Van Gogh's Curse

 穏やかなカリブ海上空をスムースに滑る純白のティルトローター機。その眼下にはカリビアンブルーの海が広がるが、その多様な「青」にキミハルは「どれが『カリビアンブルー』の青だろう」と呟き、アイルランド人のシンガー、エンヤが歌った三拍子の「カリビアンブルー」をハミングしている。

「爺さんが合衆国政府の仕事を始めたのは一九三三年からだったらしい」

 サイレント・サードを飲み干したシルビオが、「押して駄目なら引け」の作戦を実行したキミハルにまんまと掛かって重い口を開き始めた。

「知っての通り禁酒法時代は誰もが酒を密売していてね」

 そう言いながらマッカランのラベルを撫でる。

「誰もがってことはないだろうに」

 キミハルはそう苦笑したが、シルビオの表情はいたって真面目だ。

「爺さんもそうだったのさ。禁酒法が施行される直前の富豪たちによる買い占めでの儲けも凄かったらしいが、密売される酒はさらに桁違いに儲かった」

「そういうことか」

 それだけで得心したキミハルに、シルビオが不満をぶつけた。

「その察しが良すぎるのも女にモテない理由だな」

「シルビオみたいに女で、いや、たまには男でも苦労するのは嫌だから構わないよ。モテなくてもね」

 笑みを浮かべるキミハルにもうひと言浴びせようと口を開いたシルビオだったが、息だけで口元まで出ていた言葉を吹き消し、話を戻した。

「誤解があっても気に食わん。ちゃんと最後まで話す」

「どうぞ」

 キミハルは変わらず笑顔で応え、頬杖をついて相変わらずの青の多さを眺めながら耳だけシルビオに傾けた。

「ファン・ゴッホの呪いは知っているか?」

「もちろん。一九三二年、密造酒を飲んだ若者たちが自身の耳や鼻を切り落とした。アブサンを飲んでアルコール依存症になったと言われるファン・ゴッホの評価が確立した時期でもあるからね、そう呼ばれたんだろうけど」

「ああ、その時の密造酒を作った連中ってのが、俺の爺さんに罪を着せた。禁酒法以前に正規の値段で酒を売ってもらえなかった腹いせにな」

 シルビオがキミハルの表情を見る。もう完全に答えを出している顔だ。それでもシルビオは続けた。まだ祖父の仕事を継いだ理由は語っていない。

「だが良い酒ってのは権力者の手に当然のごとく流れていた。爺さんは酒で危険な目にもあったが、酒に助けられもした。禁酒法廃止が決まるまでの数か月だけ爺さんは合衆国から出て行った。その先がプエルトリコ」

「FBIがプエルトリコの独立運動を監視下に置き始めた頃だねえ」

「ああ。密売の罪を不問にするかわりに、カリブ地域に明るかった爺さんにその仕事をさせた。だが」

「ファン・ゴッホの呪いは若者たちの耳や鼻を奪っただけじゃなかった」

 キミハルの言葉に、シルビオは一瞬目を見開いて盛大な溜息を吐いた。

「そこまでお見通しかよ」

「ファン・ゴッホの恋人でモデルだったシーンは、彼の預言めいた言葉通りに入水自殺した。密造酒で身を滅ぼした若者たちは、怒りの矛先を酒を造る人間に向け、酒に溺れて死ねとそれこそ呪いのように繰り返した」

 シルビオは淡々と話すキミハルの言葉を聞きながら眉間に皴を刻んでいた。

「俺のことを前から調べていたのか?」

「まさか。日本で会った頃は本当にただの酒屋だと思っていたからね。ただ、お爺さんの死に関することをずっと調べていたのは気付いていたからさ」

 シルビオの目に真剣な光が宿る。

「じゃあ、爺さんを殺した奴ももしかして」

「さすがにそれはわからないよ。自殺か他殺かも。まだ、ね」

「そうだよな。死因が『ファン・ゴッホの呪い』って言葉だけでわかっただけでもさすがだよ」

 そう言ってシルビオは悲しみを表情の奥に仕舞い、カリブの海に祖父が沈んだ青を探した。

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