第19話:力が抜ける魔法

 マズい。平民が馬鹿にされてマリンが怒るのは、俺のことを思ってくれてのことだ。

 こんなことでマリンに迷惑をかけちゃいけない。


「なんですって? 私は……」

「は? なんだ?」


 ヤバい!

 もしかしたらマリンはキレて、身分を明かそうとしてるのかも!?


「まあまあ、マーちゃん落ち着いて!」


 俺はマリンの両肩に手を置いてなだめた。


「え? ま、マーちゃん?」


 きょとんとするマリンの耳元で、「マリンの身元がバレないようにさ」と囁く。


「なるほどね。わかったわフー君」


 おかしそうにフッと笑って、マリンは少し落ち着いたようだ。

 それにしても、高嶺の花からフー君なんて呼ばれたら、背中がむず痒いな。


 それはさておき、さあどうすべきか。

 このまま俺たちがこの店を出れば、穏便には済ませられる。そうしようか……


「そういうことだ。黙っておけばいいんだよ、このクソビッチ」


 痩せた貴族の男が、吐き捨てるように言った瞬間。

 俺は無意識に立ち上がって男の目の前に立っていた。


「今の発言、取り消してください。そして彼女に謝ってください。俺のことはともかく、彼女を侮辱するのは許せない」


 ことを荒立てないよう、落ち着いた口調で訴えた。

 俺の突然の行動に、マリンは目を丸くしてる。


「は? お前が自分の女をちゃんと教育しとかないからこうなるんだ」


 マリンは俺の女ではない。

 だけど今は、問題はそこじゃない。


「もう一度言います。俺のことはともかく、彼女を侮辱するのは許せない。今の発言、取り消してください。そして彼女に謝ってください」

「生意気なんだよお前」


 貴族の男も椅子から立ち上がった。ガタンと鳴った椅子の音が、男のいら立ちを表しているようだ。

 そしてヤツは乱暴に、片手で俺の襟首を掴んできた。

 やばい。こんなところでケンカになったら、お店にもマリンにも迷惑をかける。


 俺は男の手首を握り返して、咄嗟に魔法を詠唱した。


力が抜ける魔法エルシャーフン


 俺の弱っちい魔法では大した効果は望めないけど、それでも少しは男の力を緩めるくらいには役立つはずだ。


「ふにゃうふ……」


 なんだかとても気の抜けた声を発して、男は腰砕けになり、崩れるように椅子に座った。


 あれ? もしかして結構効いてる?

 なんで?


 ──あ、わかった。

 この人、魔法の影響を受けやすい体質なんだ。しかも貧弱な身体を見るに、体力不足で抵抗力が弱いんだろう。


「た、助けて……くれ。力が……入らん」

「ちゃんと謝ってくれたら解除しますよ?」

「なん……だと? 俺が貴様ごとき平民に……」

「じゃあいいです。このままほっといて帰ります。あなたはそのうち、弛緩した下半身からおしっこを垂れ流すでしょうけど。うわ、カッコわるぅ」


 そんなことになったらお店に迷惑がかかるから、ほっといて帰るなんてしないけどね。


「ぐがっ……ま、待て。謝る。謝ればいいんだろ?」

「そういう気持ちの入ってないこと言われてもね。それに謝るのは俺にじゃなくて、彼女に」

「わ、わかった。ちゃんと……反省して謝る。お嬢ちゃん。……酷いことを、言って悪かった。申し訳ない」


 殊勝な顔つきだし、一応反省してるようだ。


「いいかなマーちゃん?」

「ええ。いいわよフー君」


 何度呼ばれても慣れないな、フー君。照れるぞ。


効力を解く魔法ニチ・ルクサム


 手を男の頭上にかざして、解除魔法を発動。

 上手くいくか不安だけど……まあ、一応自信満々なフリをしておこう。


「う……う、動いた」


 うん、上手くいったようだ。セーフっ!

 今日は運がいい日なのかもな。

 痩せ男は俺をじっと見つめて、なにやら言いたげだ。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。俺はもう帰る」


 男は席を立って、去っていった。

 どうやらまだ文句を言いたかたったけど、諦めたって感じ。


「フウマ……ありがとう。あなたって、ホントすごい人ね」

「別にそんなことないよ。たまたま上手くいっただけだし」

「フウマって凄いだけじゃなくて、謙虚なところも凄いわ」

「いや、だから。それは買い被りすぎだって」


 マリンがすごくキラキラした目で絶賛してくれるものだから、背中がむず痒くて仕方がない。


「あなたが機転を効かせてくれなかったら、大ごとになっていたわ」

「いやいや、こちらこそありがとうだよマリン。キミが腹を立ててくれたのは、俺を思ってのことだろ?」

「え、ええまあ。でもああいう貴族の権威をカサにかける人は大嫌いなの。ましてや貴族と平民で貴賤を付けるなんて大嫌い。単なる役割の違いのはずよ。少なくともこのクバル領においては」


 マリンはメガネと帽子で変装をしているけど、それでも相当立腹してるとわかるくらい、悔しげな口調で捲し立てた。


 やっぱマリンって人格者でとてもいい人だ。


「ありがとうマリン。この地の三大貴族の一つが、マリンのような人でよかったよ」

「……え? いえ、私はそんな偉そうに思ってるわけじゃないわ」

「うん、わかってる。ただシンプルに、マリンはすっごくいい人。そういうことだ」

「フウマがそう言ってくれるなら……嬉しいわ」


 なぜか視線を落として、ちょっと消え入りそうな声になるマリン。

 その時、ちょうど注文した料理が運ばれてきた。

 立ち上がる湯気と香ばしい香りが食欲を直撃する。


「さあ、食べましょうフー君!」

「まだその呼び方続けるの?」


 もう痩せ男は帰ってしまったから必要はないのに。


「ええ、そうね。なんだか気に入ってしまったの」

「そう。まあいいけど」

「フー君もこれからもマーちゃんと呼んでね」

「いや、ダメだよ」

「なぜ?」

「恥ずかしすぎる」

「すぐ慣れるわ」

「あ、うん……そうかもしれないけど」


 俺みたいな平民が三大貴族のご令嬢をマーちゃん呼びなんて、失礼過ぎてホントはやるべきじゃないんだろうけど……

 マリンがあまりに楽しそうなので、これ以上否定しにくいな。


「ほら、早く食べましょう。せっかくの料理が冷めてしまうわ」

「あ、ああ。そうだね」


 それから二人で食事をした。

 バカ旨かった。


 料理の腕がいいのもそうだし、何より向かいに座るマリンがいつもより、キラキラした笑顔をずっと振りまいていたから。


 メガネをしててもわかるくらい、楽しそうな顔をしていたから。

 だからなお一層、美味しく感じたってのもある。


 そして食事も終えた頃。

 マリンは『お礼』という義理は果たしたのだし、これで解散かと思いきや──


「ねえ、フー君。ちょっと色々街歩きしない?」


 そんなふうに誘われたのだった。

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