02.20. 祖母のお誕生日です

 タイトル通り、今日は私の祖母のお誕生日です。はなねです。


 今日の主役の祖母は父方の祖母で、私が通信制に入ってからよく話すようになった家族です。それ以前は、同居していてもあまり好んで話す相手がいませんでした。


 朝ごはん作りに挑戦するとき、愚痴大会を開くとき、昔話を聞くとき、生協から届いたアイスを食べるとき。いつもそばに祖母がいた気がします。今年度の一年間で、とても距離が近くなった存在です。


 そんな祖母ですが、今朝父に「お誕生日おめでとう」と言われるまで自分の誕生日を忘れていたといいます。かくいう私も、「今日なんかあった気がするんだけど、なんだっけ?」という感覚でお昼まで過ごしていたので、罪悪感でいっぱい。ごめんね。


 それからお昼前にお手伝いをして、ちょっとお話しして、お菓子や炭酸ジュースをもらって。暖かくなったら、温泉に行く約束もしました……といっても、例年に比べたらもう春のような天気が続いているのですがね。


 お誕生日の方のはずなのに、いつも通り私に色々恵んでくれました。心が広いというか、お人好しというか……お人好しといえば、祖母は、今は亡き曽祖母の長年の介護によって足腰を痛め、何度も手術を繰り返しているのです。


 きっと本当は、老後になったら行きたいところ、やりたいこと、たくさんあったはずなのに。祖母はたまに遠い土地の話をしては、もう叶わない夢を語るような口調になるのです。私もちょっとしんみりしてしまいますし、言いようのない悲しさがじわじわ広がります。


 家にいても、まるで別の土地にいるかのように思わせる技術が発達しているのでしょうが、やはり実物を前にした感動に比べたら、その体験はささやかなものでしょう。


 例えば、祖母の好きな花だってそうでしょう。大輪の花が咲き乱れて春風に揺れる様と、香る花の匂いと、暖かな春の日差しと、まだ少し冷たい風にはためく洋服と。それらを一身に受け、心に刻み、思い出とすることは、決してデジタルでは叶わないでしょう。


 私があと数年早く生まれていたら、車の免許を取って、今よりお金を稼いで、祖母を遠くの地まで連れて旅行することだってできたでしょう。不穏なことを言いますが、祖父母世代の人たちはいつまで生きていてくれるか分かりません。だからこそ何かしたいのに、思い出をつくりたいのに、それすらも叶えられない子どもの身がもどかしいです。


 できないことを嘆いてもしょうがないけれど、叶わないことを叶わないこととして割り切るのには時間も気力も要ります。今は精神が未熟なので、簡単に割り切るだなんて器用なことはできません。なので、もがけるのならもがきます。叶えたいことは諦めません。


 私の心をこんなふうに動かしたのも、もっと歴史を知りたいと思ったのも、祖母の影響です。本当に素敵な女性なのです。


 不憫体質だけど優しい祖母が、これからも元気でいられますように。お誕生日おめでとう。私の祖母になってくれてありがとう。

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