第7話 僅かな希望、纏わり付く不安

「……ねぇ、やだ、死なないでよねえさん」

 思わず涙ぐむほどに、怪物だったその人は姉さんの面影があった。

 姉さんが残した言葉を、あたしはまだ受け入れ切れていないのに。勝手に死んでしまわないでよ。

 どんな怪物になったって、姉さんはあたしにとってたった一人だけの姉なのに。

「姉さん起きてよ、起きてってば!」

 起きないなら、と続けようとした矢先に強い力で後ろへ引っ張られる。

「ちょっと、なに!? いまあたしは姉さんを起こそうと」

「生きてるから安心しろ。それにお前、今自分の姉を食おうとしてただろ」

「そんなこと」

 あたりまえじゃん、と言おうとしてはっと気付く。

 待って、あたし何を考えてた?なんで姉さんを物理的に捕食しようとした?

 そう考えてようやく、周りの様子が見えてきた。

 あたしの肩をがっつり掴んでいる安間さんは、姉さんを捕食しようとするあたしを止めてくれたのだろう。だけどぶるぶると手が震えている。

 澤さんは姉さんの様子を確認してくれたようだ。だけどその目は何かを必死に我慢しているような目だ。

 柵木さんは自分のスマホで電話をかけている。だけど落ち着かない様子で姉さんの方をチラチラと見ている。

 様子が一番おかしいのは、屋村さんだった。大量の脂汗を流しながら、ぎらついた目で息を荒げている。もはや飢えた獣といった様相。

 明らかに、みんな異変が起こっているのは確かだった。

 今はなんとか抑えられているものの、やがて逃げていた人たちが戻ってくれば、感じている餓えを満たそうと襲い掛かってしまう。そんな確信も抱いている。

 これじゃあ、まるで怪物になりかかっているみたいだ。

 ヒビもますます広がっていて、もうダメなのかもしれない。そう思った時だった。

 不意に、リムジンが近くで止まる。

「やぁやぁそこの5人組、通報を受けて迎えに来たよ」

 車内から出てきたのは、金髪に真っ黒のサングラスをかけた、どう見ても医療従事者や警察官には見えない中年男性だった。

「さしずめ、そこに倒れてる喰鬼しょくきと生身でやり合って無力化したものの、自分たちの潜在能力を発揮した結果自分たちも喰鬼になりつつある、と。ふぅむこのままだとミイラ取りがミイラになっちゃうネ」

 男性は、あたしたちを見て次から次へと喋る。食欲と困惑に苛まれていたとき、ふいに男性はこっちを向いた。

「君たち、喰鬼になるのは嫌かね? この女性を喰鬼から人間に戻せるなら、なんでもするかい?」

 それは、あたしにとって希望の光に見えた。だけど、こんな怪しさ全開の人についていくのは怖すぎる。

「姉さんを、あたしたちを、どうする気なの」

「おっと血縁者か。ならこの場で簡単に説明しようじゃないか」

 こほん、と咳払いをして男性は口を開く。

「我輩は工藤玄生げんせい。喰鬼対策局三重県特部の特部長だ。震災が発生してから出現し始めた、人を食らう怪物……喰鬼の解明と討伐を行なう組織。それが喰鬼対策局さ。本来ならば喰鬼に変生した者は討伐するのだが、君たちが弱らせてくれたおかげで人に戻すこともできそうだ。賭けにはなるがね。……どうだい、この手を取るかな?」

 ……まだまだ、あたしたちは何も分かっていない。

 玄生さんの言葉も、本当かどうかは分からない。

 でも、あたしたちはその可能性に縋るしか、自分を保つ道は無い。

 5人は、迷わずその手に縋った。

「よしよし、いい子達だ。その子は我輩が運ぶから、君たちはこの車に乗りなさい」

 そう言って、玄生さんはひょいと姉さんを運んでいく。

 あたしたちは、お互い顔を見合わせながらリムジンの中へ乗り込んでいく。

 移動している間中も、人間に対する捕食衝動は消えない。姉さんは人に戻れないと言っていたのに、玄生さんは人に戻せると言った。いったいどっちが正しいのだろう。戻れる方が嬉しいのだけども。

 十分くらい経過した頃だろうか。車が止まった。

「着いた。ここが特部だよ」

 玄生さんがそう言うと同時に、ドアが開いていく。

「……あの、本当にここっすか?」

「うん? もちろんだとも」

 屋村さんが疑いの言葉を発するのも納得だ。どう見ても小さな事務所にしか見えない。

「生憎予算が回ってこなくてね、研究所と間借りなんだ」

 などと玄生さんは説明しつつ、姉さんを抱えて進んでいく。

 インターホンらしきもののボタンを押すと、別の男性らしき声が流れる。

『工藤さんおかえりー。ん、そこに連れてきてるの誰?』

「ちょっとそこらで喰鬼関係の事件が起こって、丁度と倒れた喰鬼いたから拾ってきた」

 インターホン越しにむせる声が聞こえた。

『そうホイホイ拾ってこんでくださいって! まぁ丁度実験体にはなりそうやけど!』

 さりげなく実験体っていったよこの人。

「だろ? だからここ開けてくれないか?」

『分かった分かった。すぐ行きます』

 足音が近づき、扉が開く。

「あー、なるほどね。いろいろ思うところはあるだろうけど、とりあえず上がってって」

 ボサ髪に眼鏡、くたびれた白衣と、いかにも働きづめの研究者っぽい男性が姿を現した。

「あいつは弥鏡みきょう健一。ここで喰鬼に対する研究をしている科学者だ」

 と説明しつつ玄生さんはずんずんと進む。

 これからあたしたちはどうなるのだろう。不安になりながら、足を踏み出す。

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