第10話 真紅の砲撃

 深夜。

 未成年のダンジョンへの侵入が禁止され、活気にあふれる時間帯に比べれば少々静かな異界穿孔点ドーム。

 夜の十一時から翌朝六時までの間、ダンジョン内の探索を行えるのはレベルフォー以上の探索者かパーティーだけ。

 レベルフォーのパーティーに属するレベルワンの探索者であれば同行は可能だが非推奨かつ完全自己責任のため、そんな無謀を侵す者は稀だ。

 万が一が無いように、ドームの管理を行っている探索者協会から派遣された十名からなる警備隊がドーム内に目を光らせ、違反者が現れればそれを取り締まる役目を任されている。

 

 ちょうど日付が変わった頃。

 探索者協会から続くドーム直通通路から足音が近づいてきた。

 一人は腰に携えた異装から見るに探索者だろう。見た目はとても若く、黒と灰の中間のような不思議な髪色に百七十半ばほどの身長……だいたい十代後半くらいの青年だ。

 そしてもう一人は、警備員たちもよく知っている白衣の男。


 通路の警備を行っている二人の警備員が道を塞ぐように前へ出ると、男——我聞は「やぁやぁ」と軽く右手を上げた。


「我聞特別室長、お疲れ様です!」


「うん、お疲れ」


 そう言って彼が懐から取り出したのは、我聞室長のサインが書かれた手続き書類。

 『規定レベル未満探索者の時間外探索許可』

 『規定年齢未満探索者の時間外探索許可』

 要は、レベルフォー未満かつ未成年の人間を、特別に深夜帯のダンジョンに送るための書類だ。


「こ、これは……」


「はいこれ、人事部の認可証。俺が許可証これ貰うのってあんなに難しいんだね、信用無いなぁ……おかげでこんな時間だよ」


 「たはは」と力なく笑う我聞に、警備員の二人は顔を見合わせる。

 我聞がここまで出向くことなど基本なく、用があれば助手である相良が代わりに顔を出すことはある。

 だが、研究第一の我聞が研究室を出ることすら稀であるというのに、その時間を惜しむことなく今彼はここにいる。

 

 それも、傍らの青年をダンジョンに入れるために。


 二人の思考がそこまで行き当たった瞬間、我聞は声の調子を落とした。


「——このことは内密に。研究段階の事柄だしね。警備員の守秘義務ってものがあるだろう?」


 ダンジョン研究に関わる事柄の口外の禁止。警備隊に課せられた義務だ。


「……お気をつけて」


 その言葉は我聞に向けられたものか、はたまたこれからダンジョンに入る青年に向けられた言葉なのか。


 彼らはドームに入って行く二人の背中を見送ることもせず、再び通路の警備に戻った。



■     ■     ■     ■





「白淵くん、準備はどうだい?」


「コレといってすることもないですし……」


「うん、自信ありだね。頼もしいよ。でも何かあったら、そのインカムを通して瞳に聞いてくれ」


 我聞が指差すのは、我聞と僕の左耳に装着された小型インカム。

 

『……通信状況良好。頼って良い』


「ありがとうございます」


 聞こえてくるのはどこか自信ありげな瞳さんの声。

 探索者にはオペレーターと呼ばれるサポーターが付く。一人につき一人……と言うわけではないらしいが、基本的に一パーティーに一人と、一人のオペレーターが数人の探索者を同時に管制することが多いのだとか。


 瞳さんは研究資格とは別にオペレーター権限も持ってるらしく、今は協会にある管制塔から声を届けてくれているらしい。


「さて……それじゃあ、異装の性能テストと、君との適合率を測って行こう。これから君はこのトーキョーダンジョンに侵入し、一階層から順に階数を下げて行く。ここまでは良いね?」


「はい」


 探索者資格を得るには身体能力テストとダンジョンの知識に関する筆記テストを受ける必要があるらしく、我聞は僕がそれを突破した前提で話している。

 実際には裏口合格もいいところなのだが……まぁ大丈夫だろう。身体能力には自信があるし、ダンジョンの中についての知識もこの世界の人間よりは精通しているだろう。


「このテストの最下層はどれだけ上手く行っても十五階層目までだ。余力が残っていたとしても、それ以上の探索はしないように。瞳からも指示があるはずだから、ちゃんと覚えておいて」


「十五階層目まで……わかりました」


「大丈夫。もし十五階層目まで行くことがあれば、異装の性能も、君との適合も、過去に例を見ない程のものということになる。俺の予想はだいたい十階層目あたりでバイタルサインが乱れ始めると思うけど……それはまた追々だね」


 我聞はそこまで言って、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「……普通の性能テストなら他の探索者を護衛につけて安全に遂行することが出来るんだが……新世代異装はそうはいかなくてね」


『……異界粒子阻害。討伐難度セブン以上の魔物に確認されてるデメリット』


「そう、新世代異装がその性能を発揮する時に発生する現象で……。効果範囲は半径二メートルほどで広くないが、隊としての行動は難しい。だから、君には一人での探索をお願いしたい」


 これは適合した直後に軽く聞かされた内容だ。

 そして僕にはその現象に心当たりがある。

 魔族の怪物種テラスの特性である、魔力妨害だ。怪物種テラスは膨大な魔力を出力する際に周囲の魔力の機能を停止することがあり、それはその怪物種テラスの魔力が絶縁体のような役割を果たしているからだと言われている。


 この世界の考え方で言うなら、異界粒子と異界粒子の間に結合を阻む物質が入り込んで、本来の機能を果たせなくなる……のかもしれない。

 詳しくはわからないが……つまりは普通の異装を持っている人間との協力はできないと考えて良い。

 僕の単独行動は自然に多くなるだろう。だがこれは前も思った通りに好都合でしかない。


「問題ありません。危険だと思ったらすぐ帰ってきますから」


 僕の異装……アルデヴァランの柄を撫でれば、鞘に入った刀身が軽く熱を帯びる。

 我聞はその様子に満足そうに頷くと、異界穿孔点——ダンジョンの入り口を指した。


「では白淵くん――始めようか」


 言葉を背に受け、穿孔点の前に立つ。


「現在、十五階層目までに探索者は存在しない。君も知っていると思うが、今日は最下層更新攻略があったからね。『戦塵の剣』率いる攻略遠征隊は二十五層目に作られたキャンプにいるはずだ。だから、全力を出して大丈夫!」


 すっ――、一歩踏み出す。

 視界が揺れ、戻った時には、僕はダンジョンの中にいた。

 

 アルデヴァランを鞘から引き抜き、軽く振るう。

 依然として馴染む銃剣は、力の解放を今か今かと待ち侘びるように紅い刀身に熱を纏っている。


『気分は?』


「問題ないです」


 瞳さんの声に短く返す。

 

『今回私がするのはルートの案内とテスト中断の指示だけ。それ以外は好きにやって良い。じゃ』


 ブツッ、と通信が切れる。

 迷った時と危険な時以外は干渉しないってことか。


「……アル」


『——いつでもいけるわッ! 早く早くッ!』


 魔力を通じて響く声に、僕は銃剣を肩に担ぐ。


 地を踏みしめ、重心を前に。


「——行こうか」


 そして、一気に蹴りだした。




■     ■     ■     ■




 二十五階層目、遠征キャンプ地。

 石や土で出来た窮屈な迷宮の様相を呈するニ十階層までと違い、木々がざわめく外の世界さながらの自然にあふれた森の中で、めらめらと大きな炎が揺れる。


「……リーダー、大事無いですか?」


「ん、ああ……」


 パーティーレベルエイト、戦塵の剣。その中核である相馬は、テントから出てきたパーティーの治癒師ヒーラーである天城あまぎに視線を向けた。

 天城は眠たそうな目を擦りながら、心配そうに目じりを下げる。


「リーダー、凛音りんねちゃんがどこに行ったか分かりますか? 目が覚めたらテントの中に居なくて……」


「ああ、凛音なら落とし物だって言って上の層に戻ったよ」


「一人でですか?」


「俺は夜の番だし、他は全員寝てたし。それに、上ならあいつが手こずる魔物はいないしな」


「それはそうですけど……」


 納得いかない様子の天城に、相馬は苦笑いを浮かべた。


「ほんと、親バカなんですから」


「褒め言葉だ」


「火の番、変わりますよ」


「……ああ、あいつが帰ってきたらな」


 冷静を装いながらそわそわと凛音を待つ相馬に、天城は大きなため息を吐いた。



 ―――――――――ッ。



「ん?」


 そして、ふと――相馬は空を見上げた。

 当然そこに空はなく、あるのは木々の隙間から見える階層の天井だけ。


「今……なにか……」


「……リーダー?」


 小さく呟く相馬に不思議そうに首を傾げる天城。


「……爆発音……空耳か?」





「……なに……今の」


 ニ十階層目。

 彼女が見たのは、真紅の閃光。彼女が聞いたのは、轟々たる砲音。

 長い黒髪を揺らしながら、相馬凛音は刀型の異装を抜き放つ。

 耳をつんざく爆発音と、緩やかだが確実な振動に凛音は息を呑んだ。


「上……?」


 爆発の出所は間違いなく上の階層だ。

 だが、凛音の気を引いたのは爆発音ではなく、その後に聞こえた――だった。

 警戒を強め、何らかの異常事態の気配に口を引き結ぶ。


 なにかが落ちてきた音は前方から聞こえた。凛音はそこに向かい、じりじりと足を進める。


 そして、それを目にした。


「……っ、これは……」


 最初に感じたのは、熱と風。

 燃え盛る無数の魔物の死骸と、重さによって埋没した地面と――、


 ――


「天井が……」


 続く言葉は出てこない。

 ダンジョンの壁や天井に穴を開けられる威力のナニカが、ここで起こったのだ。

 それさえわかれば、彼女の行動は決まる。


 凛音の目の前で未だ燃え続ける数々の魔物たちは動かず、すでに息絶えている。

 この魔物たちは。つまり、


「上に……何かが」


 凛音はぽっかりと開いた空洞を見上げる。

 そこにはあったのは、何階層も貫いて、魔物が落ちてきた痕跡だ。

 

「十五層……?」


 空洞に見える床の残骸は四層分。

 つまりあの音の正体は――十五層目にいるのだ。


「————ぁ」


 その声は、自然と漏れていた。


 


 見下ろす人影。

 遠くてよく見えない。遠近感を掴むこともできず、具体的な大きさもわからない。

 だが確実に、こちらを見下ろす何者かが、そこに立っていた。


「……剣?」


 紅く揺らめく陽炎を纏った武器らしきものを担ぎ、その人影は踵を返す。


「——待てッ!」


 その声は、その人影には届かなかった。




■     ■     ■     ■




『ふー……見た!? これがあたしの力ってわけよッ!』


「……これ、絶対やばいって」


 僕の眼下に広がるのは、下方向に伸びる破壊の跡。

 テストの最下層である十五階層目。ここで銃剣たる所以の砲撃をぶっ放したのだ。もちろん僕ではなくアルの希望でだ。


 そしてその結果が、何層もの床を貫いて出来上がった大穴。

 下層への大幅ショートカットと言えば聞こえはいいが……。


「瞳さんこれって……」


『……帰投して。今すぐ』


 静かな怒りのようなものを滲ませる声音に背筋が凍る。


「りょ、了解……ん?」


 瞳さんに返事を返しながら、見下ろす大穴の先。視界の端に、人影が映った。


「やば、見られんのはまずい……っ」


『ねえエータッ! すごいでしょ!? すごいって言えッ!!』


「う、うん……すごいねー……」


 慌てて踵を返しながら興奮気味のアルを宥め、異装アルデヴァランをそっと鞘に戻す。


 あー……しーらね。早く家帰ってゲームして、配信見て……シヴィラに怒られて……かぁ……。


『室長がうるさいから、早く帰ってこい』


「ごめんなさいっ」


 嫌な予感に足を掬われる前に、僕は全速力で第一層に向かって走り出した。






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