第7話 異装適合試験

 東京某所。通称『ダンジョン特区』と呼ばれ、ダンジョンが現れたことで台頭してきた産業が盛んな街。

 探索者育成機関が乱立し、様々な場所へのアクセスが可能な交通機関が張り巡らされた、東京においても人気の高いのダンジョン特区。

 そんな街の一等地に建った一棟の集合住宅。


 ダンジョンの向こう――異世界から訪れた少女のために作られた高級アパートの一室に、目覚めを促すアラームが鳴り響いていた。


「ん……」


 勇者殺し。異世界ではその名で恐れられた青年は、寝ぼけ眼で大音量アラームを流しているスマホを手に取った。


『この世界で生きるには必ず必要になります。逆を言えば、これさえあれば大抵の出来事は何とかなります。あなたなら操作を覚えるのも容易でしょう』


 そう言って渡された文明の利器。

 受け取った当初、彼は思いもしなかった。


「……あ、やべ、寝すぎた――ダンジョン攻略配信見よ」


 たった一週間で、自分が小さな板の画面に食らいつき一喜一憂することになるなんて。





■     ■     ■     ■





 異世界に僕が来てから一週間。

 この世界に対する忌憚ない僕の意見は一言だけ。


 ————この世界は、素晴らしい。


「今日は何しよっかな~」


 スマホ片手にシヴィラ嬢が用意してくれた食材を貪りながら、僕は今日の過ごし方に思いを馳せる。


「配信見続けるか……いやでも昨日やったゲームの続きしてぇな……ってか、話題の漫画見るのもありだな」


 一週間。たった一週間だ。

 殺し合い、賭博、女、酒。大きな娯楽がこれだけしか存在しない世界出身の僕にとっては、スマートフォンから接続できる集合知の結晶——インターネットは劇毒に等しかった。

 含めば最後、依存の一途をたどる最高の甘い毒。

 この現代を生きる人たちですら依存症が懸念されているというのに、異世界人である僕がソレに抗える訳もなかった。


 さらにさらに、公賓扱いのシヴィラ嬢をもてなすために建造されたらしいこの住宅の設備は完璧の一言。

 特に風呂なんか、異世界人にとってはやりすぎなくらいだ。

 ほぼ全自動、魔力いらず、シャワー最高。

 必要な家電はすべて揃っているし、その質も最高級。


「あー……やば」


 自分でもわかっている。これではダメなことなんて。


 しかし僕の手は自然とスマホと巨大テレビを繋ぎ、大画面で配信サイトの生配信を眺める準備を整えていた。


「い、いや……調査だから、調査。敵を知るのは暗殺者の鉄則。それは隊長になってからも変わらないから、うん」


 言い訳のように口から漏れる言葉は、なにも嘘ではない。

 ダンジョン攻略配信とは、探索者がダンジョンに潜る際、その様子を配信サイトで全国に配信する今流行のコンテンツである。

 探索者にとっては閲覧数やらの広告費で金を稼げるし、ダンジョン関連企業の目に留まるチャンスを作ることが出来る。

 そして、視聴者にとってはロマンとスリルを一気に得ることが出来ることから、今や完全に一コンテンツとして市民権を得たらしい。


 しかし、言えばこれは手の内を晒すのに等しい行為だ。

 まあ当然、自分たちに敵対する異世界人が配信を楽しみウキウキで視聴していることなんて考えもしないだろうから、手の内を晒すも何もないのだが。

 これは異世界の技術や趣向を研究する絶好のチャンスだ、逃す手はない。


 それに。


 ガチャっ!

 自室の鍵が開けられ、玄関から物音がした。

 近づく物音の正体は、


「おはようございます、エータさん」


「ああ、おはようシヴィラ嬢」


「今日も攻略配信を見ているのですか?」


「ああ、こんなの探索者たちの情報の宝庫だろ? 見ない手はない」


 買い物袋を片手に僕の部屋に入ってきたシヴィラ嬢。冷蔵庫に食材を入れながら、僕の言葉になるほどと頷く。

 そう、攻略配信ならば個人的な興味ではなく調査だと、シヴィラ嬢の目を誤魔化すことが出来るのだ。


 そして、タイミングのいいことに、今日は直近で最も注目度の高い配信——現最下層更新配信だ。


 現在、トーキョーダンジョンは第四十八層までの攻略を完了しており、万全の準備を整え、今回四十九層に挑むらしい。

 参加するパーティーはレベルセブンを超える三つのパーティー。その中には、先日顔を合わせた相馬そうま率いる【戦塵せんじんの剣】の姿もあった。


「うっはー、同接すげー」


 画面には攻略が始まる前の談笑の様子と、視聴者のコメントが大量に流れており、リアルタイムでこの配信を見ている視聴者の人数を表す同時接続者数は攻略前だというのに100万人を数え、さらに増え続けている。


「エータさん」


「いやー、【戦塵の剣】は自分たちで配信しないから、探索者協会の配信でしか見らんないんだよなー。楽しみ……もとい、遂に手の内を見れる日が来たか~」


 呆れた様子で僕を呼ぶシヴィラ嬢を誤魔化すようにそう言いながら画面に食い入って見ていると、そんな僕の視線を遮るようにシヴィラ嬢が前に立ちふさがった。


「ちょっ、シヴィラ嬢……そこにいられると見れないんだけど……」


「何を言っているんですか? 今日が何の日か忘れたわけではありませんよね?」


「……はい?」


「もう三日前から言っていましたよね!? それにあなたも返事をしていたはずです!」


「……えっと……」


 絶対零度の金色の瞳でソファーに座っている僕を見下ろす彼女は、無慈悲にもテレビの電源を落とした。


「あーッ!?」


「あー、じゃありません! そろそろ準備をしなさい! 今日は――あなたの異装適合試験の当日でしょう!?」


「……異装……適合……?」


「あ、あのねぇ……」


 ビキビキと青筋を立てるシヴィラ嬢から視線を逸らしながら記憶を掘り起こしていく。

 あっれぇ……なんとなく耳に覚えが……。


 それは、三日前、一昨日、昨日……僕が攻略配信やゲームに夢中になっている時に彼女に言われたような……。


『エータさん、あなたの異装適合試験の準備が出来ました。三日後、協会の研究所にて行われますので、お忘れなきよう』


『おー……(攻略配信に夢中のため生返事)』




『エータさん。適合試験は明後日ですので、準備を』


『おっけー……(高難易度の死にゲーのため過集中)』




『エータさん、調査に没頭するのは構いませんが明日は適合試験ですので、寝不足にはご注意を』


『……うん(手遅れ)』


 あー、言われてましたね。


「マジぶっ飛ばしてやりましょうか?」


「ごめんなさい!」


 地面に頭を擦りつけながら、僕はさっそく準備に取り掛かった。




 シヴィラ嬢に与えられた集合住宅——シヴィラ邸(僕が呼んでるだけ)から伸びる地下道に入り、目的地を目指す。

 この地下道は、異世界から来た少女として超有名かつ価値の高いシヴィラ嬢を安全から守るために作られた道らしく、街のいたるところに繋がっているらしい。

 商店街の裏道だったり、廃ビルの中だったり、色々。

 まぁ、シヴィラ邸から僕が出てきたらそりゃ超不自然だろうから、普通に表から出るのは論外だし、以降はこの道を通ることになりそうだ。


『もう知りません。勝手に一人で道に迷っていればいいです!』


 道案内が懇切丁寧に描かれているメモを僕に投げつけながらぷんすかへそを曲げたシヴィラ嬢は、玄関をものすごい勢いで閉めて自分の部屋に戻って行った。

 ほんとに頭が上がらないです……はい。


 シヴィラ嬢への謝罪を心の中でしながら、僕は地下道からダンジョン特区の開発の影に残された廃ビルの中に出た。

 人気のないその一角から人が溢れる駅へ伸びる道に自然に入り、人に紛れる。

 あまりの人の多さと乱立するビルに辟易しながら、僕が目指すのは駅からほど近い立派な……いや、立派過ぎる建物だ。


「たっけー……」


 異世界ではまず見ることが無い超高層ビル。

 これを魔法無しで人の手で作ったというのだからこの世界の技術恐るべしである。

 シヴィラ嬢から受け取ったメモが示す場所と住所はここで間違いない。つまりここが――。


「——異界探索者協会、第一技術研究所へようこそ。本日のご用件は?」


 受付の女性がにこやかに僕を出迎えた。

 綺麗な内装と静謐な雰囲気に気圧されながら用件を伝える。


「えっと、異装適合試験を受けに……」


「かしこまりました。それでは、探索者カードの提示をお願いいたします」


 探索者カードを渡すと、「少々お待ちください」と女性が奥へとはけていく。

 手持無沙汰で周りを見回すと、僕と同じように異装適合試験を受けに来たであろう人たちが多く目についた。数十人はいるだろうか。

 彼らは受付を終えると、皆一様に同じ方向に流れていく。

 それ以外にも、


『おおおおおおおッ!!』


 そんな声が遠くから聞こえてきた。

 驚きで身体を跳ねさせた僕を見て、近くの職員が笑いながら、


「今、娯楽室では攻略配信が流れていまして……あの声を聞くに、どうやら順調そうですね」


「な、なるほど……」


 そう教えてくれた。

 うわー……見たい。めっちゃ見たい。

 異世界でも闘技場などの闘技的な見世物は多々あったが、ダンジョン攻略はそれ以上のスリルと興奮がある。


 ただの人間が異装を扱い、人類の発展を掛けた決死行に挑む。

 凄惨な結果に終わるかもしれない。しかし、だからこそ成功のカタルシスは計り知れないのだ。

 虜になってから時間は経っていないが、彼らの気持ちはよくわかる。


 腕を組んでうんうんと頷いていると、受付の女性が戻ってきた。

 しかしその顔は、どうも釈然としない。もしかして、手続きに不備でもあったのだろうか。


「あの……」


「白淵影汰様、確認が取れましたので――


「あ、了解です」


 受付を終え、他の受験者であろう人たちが歩いて行った方向に足を向けた……のだが。


「あ、白淵様! そちらではなく、あちらになります」


「え?」


 僕を引き留めた女性が指差したのは、僕の進行方向の真逆。

 これは……。


 嫌な予感と共に、申し訳なさそうに頭を下げる受付さんが差し出した案内図に従い歩くこと少し。


 かなり奥まった暗い場所にある扉の前で、僕は頭を抱えた。

 だっておかしい。特別処置がドンピシャで僕に来るなんて、何かあるに決まっている。


 恐る恐るドアノブに手を掛ける。

 その瞬間。


「——どうぞ!」


 男性の溌溂とした声が室内から響いた。


 ドアを開けると、室内の様子が僕の視界に飛び込んでくる。

 僕の知識では理解できない機器や、書類の束が無数に積み上げられた煩雑が体を成したような室内。

 なによりも目を惹くのは、部屋の中央で光を放つ、巨大な円筒の中で培養液に付けられた謎の物質。


 部屋に入るのを躊躇っていると、


「待っていたよ、さぁ、入ってくれ!」


 姿を見せたのは、二十代後半ほどの男性。

 咥えタバコと机の上の山盛りの灰皿で彼の趣向は想像できる。

 無精ひげとぼさぼさな黒髪。白衣を着ていなければ休日のおっさんにしか見えない彼は、最高の笑顔で僕を出迎えた。

 首から下げられている顔写真つきの証明書には、我聞がもんと書かれている。


「ささ、この椅子に掛けてくれ!」


「は、はぁ」


 あれよあれよという間に招き入れられた僕の背を押し、彼は僕を座らせた。


「……お茶です」


「あ、ども」


 僕の前に紙コップを置いてくれたのは、小柄なメカクレ少女。長い前髪で両目が隠れてしまっていて顔が判然としない。

 だが男性と同じ白衣を着ていることから察するに、彼女も研究所の一員なのだろう。

 僕の様子を満足そうに眺める男性は、白衣をバサッ!っと広げながら、大仰に椅子に腰かけた。


「初めまして、俺はこの研究室の室長、我聞がもん俊一しゅんいち。こちらのメカクレ美少女は助手のひとみだ!」


「……相良さがらひとみ


 ペコリ、とお盆を抱えながら頭を下げる瞳さん。


「すまない、彼女は無口でね。許してくれ!」


「……あの、それはいいんですけど……これは一体?」


「ああ、そうだね。挨拶も大切だが、今はすっ飛ばしてしまおう!」


 芝居がかった口調の我聞は、僕に期待の籠った視線を送る。


「君をこの研究室での適合試験に推薦したのは、かの異世界少女、シヴィラだ」


「……——えっ!? あのシヴィラさんが!?」


「ああ、驚くのも無理はない。だが事実だ」


 ふう、咄嗟の演技は完璧だな。

 僕の反応に気を良くしたのか、我聞はつらつらと話を続ける。


「何かの拍子で彼女と接点があったのかな?」


「え、ええ……先日、危ないところを助けていただきました」


「それはそれは……君にとっても、俺にとっても――なんたる僥倖!!」


 テンションを急上昇させた彼は、勢いのまま立ち上がる。

 そして、


「白淵影汰くん! シヴィラ嬢からの情報によると――君には、異界粒子に対する強い耐性があるとのこと!!」


 異界粒子……魔力のことだ。

 耐性があるのは当然だ。異世界人は生まれた時から血液に微量な魔力が包含されているのだから。

 だが、僕が現代日本人だとしたら、これは大発見であることは想像に難くない。


「君には資格がある。世界でたった五つしか成功例の無い神器——の適合試験を受ける資格がねッ!!」


 バッ!! 

 ポーズを決める我聞。紙切れで作った花吹雪を無言でまき散らす瞳さん。


「——し、新世代異装ッ!?」


 驚く演技をしながら、「めんどくせーとこに来たなー……」と、自分の口角が痙攣するのが分かった。


 だが、同時に。


 「面白そー……!」と、そう高揚に心臓が高鳴ったのは、誤魔化せなさそうだ。















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