第6話 異世界の戦力

 魔物たちを無視しながらダンジョンの階層を上り続けると、ダンジョンにしてはやたらと整備された一角に出た。

 野営でもしているかのような天幕と、土ではなく石で出来た舗装された道。

 明らかに人の手が加わっている。恐らく、もうすでに人類の生存圏のかなり近くに来ているのだろう。


「ここはトーキョーダンジョン第一層。ダンジョン攻略の拠点になります」


 小さな声で囁くシヴィラ嬢は、僕に目配せを一つ。演技開始の合図だ。

 土壁などに身体を擦りつけ、軽く切った指先で血糊を付ける。

 これで、ダンジョンに取り残されていた遭難探索者の出来上がりである。


「シヴィラさん! お怪我はありませんか!?」


「ええ、問題解決いたしました。今回の異常は、向こうからの魔物の侵入に起因するものでしょう」


「そうですか……シヴィラさん、彼は?」


「魔物に阻まれ退路を断たれていた探索者のようです。大事はありませんので、このまま帰還させてもいいでしょう。それより、これを」


 天幕から血相を変えて飛び出してきた数名の人間に、シヴィラ嬢は砂漠の樹人デザートマンの素材を見せた。

 「おおっ!」と沸き立った彼らは、シヴィラ嬢に尊敬の念が籠った視線を向けている。


「流石はシヴィラさん!」


「指令室に至急連絡を!」


「ありがとうございました、シヴィラさん!」


 慌ただしく去っていく彼らを見送ると、シヴィラ嬢は意外そうに立ち尽くしている。


「事後処理も無し。疑う素振りもない……私のことを信用しすぎですね」


「良いことだろ? これで僕も、安全に地上に進出できるわけだ」


 僕が言うと、彼女は肩を竦めた。



 天幕が設営されていた広場から少し歩くと、鉄製の門扉が僕たちを出迎えた。


「この門を潜れば、地上へ出ます。まだ気は抜かないように」


 僕に言い含めるシヴィラ嬢の後に続き、ゆっくりと開かれた門の先へと足を進める。


 ぐらっ――視界が揺れた。

 景色が曲がり、一瞬景色が黒一色に染まる。そして次の瞬間には、景色が一変していた。


 何百人もを収容できそうなドーム状の施設の中に、僕たちは立っている。


「ここがトーキョーダンジョンの入り口。探索者協会なる組織が管理している施設です」


 その言葉に振り返ると――そこには、蒼白い光を放つ大きな歪みがあった。

 10mを超える陽炎のような不定形が、ゆらゆらと揺らめきながらそこに存在している。


「これが日本第一異界穿孔点。そう呼ばれているダンジョンの入り口です」


「ほう、これは確かにあなだね」


 人を飲み込もうと大口を開ける異界穿孔点。よくもまあこんなとこに入ろうとしたものだ。

 そう感心していると……。


「——あれ、もしかしてもう終わっちゃった?」


 異常事態と言っていたことから、意図的に人が入らないように入場制限しているであろうこのドームに、そんな声が響いた。

 見れば、僕たちの前方から五人の男女が歩いてきている。

 先頭を歩くのは五十代半ばほどの大剣を背負った屈強な白髪の男性と、その横には二十代ほどの勝気そうな軽装の女性。後ろには、僕と同年代ほどの男女が三人。刀を腰に括りつけた女、剣を携えた茶髪の男と、柔らかそうな雰囲気を纏った法衣の女だ。

 僕を庇うように立ち塞がったシヴィラは、彼らに向かって会釈を一つ。


相馬そうまさん。ええ、事態は終息いたしました」


 相馬。そう呼ばれた壮年の男性は、申し訳なさそうに白髪の多い頭を掻いた。


「あー、遅かったかぁ」


「ほら、言わんこっちゃない! ごめんねシヴィラちゃん!」


「……大事無いなら、よかった」


「まじかぁ……特別報酬出るって聞いたのになぁ」


「良いではありませんか。私たちが出る幕なんてない方が平和でしょう」


 思い思いの言葉を口にする彼ら。

 和気藹々とした様子を見せる彼らだが――僕は、強烈な違和感に頭を抱えていた。


 なるほど……シヴィラが慎重になるわけだ。


 そう心の中で頷いていると、相馬と呼ばれた男が僕に目を向けた。


「む、彼は?」


「逃げ遅れた探索者です。運よく救助に成功しまして」


「おお! そうかそうか! 良かったな坊主!」


「えっ……ええ……」


 バシバシッ、と僕の背中を叩く相馬。

 力つえー……。


「ちょっとリーダー、怪我人に乱暴しないでくださいね。……ごめんなさい、傷、治しましょうか?」


 相馬を小突きながら、柔らかそうな雰囲気の女性が前に出る。

 そんな彼女を、シヴィラ嬢が制止した。


天城あまぎさん、彼の怪我は私が見ましたのでご心配ありません。あなたの手を煩わせることは」


「そ、そう?」


「そうだよ、天城の魔法は有事の際にとっとかねーと」


 茶髪の男がそういうと、天城という女は渋々引き下がった。

 怪我してないことがバレたら普通に怪しいし、とっとと切り上げるか。

 そう思い視線を上げた時、刀を携えた女と目が合った。


「…………」


 こちらを値踏みするような目つき。感情の伺えないポーカーフェイス。

 なにより隙の伺えない立ち姿。

 なんか怪しまれてる……?


凛音りんね? どうしたの?」


 軽装の女性が訪ねると、彼女は僕から視線を外し、「……なんでも」と素っ気なく言った。


「さて、ほいじゃ俺らは帰るか……悪いなお前ら、休日に呼び出しちまって!」


 悪びれる様子の無い相馬。それに文句を言いながら、彼らは引き返していく。

 再び人気のなくなったドーム内に、少しの沈黙が流れた。


「さて、私たちも行きましょうか。異常が収まったとあれば、またここは人で溢れてしまいますからね」


「いやいや、シヴィラ嬢……あいつらなんだよ……」


「——やはり、あなたでもその反応になりますか」


 シヴィラ嬢は彼らの背中を睥睨しながら、声を潜めた。


「あの方々も、当然探索者です。ですが、質はそこらの雑兵とは訳が違います」


「だろうね」


「この世界には、探索者協会が定める探索者レベルというものがあります。設定上、あなたはレベルワンということになっていますが、探索者レベルは現在最高でレベルナインまで存在していて、これは個人の功績や純粋な戦闘力、様々な応用力、そして魔法の有無によって決まります。さらに、パーティーにもレベルというものが存在します」


 パーティー。僕たちの世界にもあった概念で、個人ではなく複数名で役割を作り、協力して目的を成す際に組まれるものだ。

 

「パーティーのレベルは、その構成員の探索者レベルの平均で変わります。それ以外にも基準は存在しますが、わかりやすい基準は探索者レベルの平均値でしょう。そして彼らのパーティーレベルは――エイト。数えるほどしか存在しない、正真正銘、人類の最高戦力の一角です」


「……あの相馬って男……、ちょっとやばいね」


「ええ、彼の探索者レベルはナイン。日本に七人しか存在しない最終防衛ラインの一人です」


 あのレベルが七人……か。

 そりゃ、シヴィラ嬢が僕たち第七特務隊との協力作戦を承諾した訳だ。


 僕はどうやら、この世界を甘く見ていたようだ。

 最悪武力行使で良い? そんなことはもう言えない。


 早急に意識を改めることが出来てよかった。


「彼らが携えてた武器の気配……アレが異装か」


「ええ、魔物を流用した武具……それは人間の身体能力にも影響を与え、彼らの戦力を大きく跳ね上げたようです」


「ああそうだろうね」


 想像よりも難易度の高い任務に、僕は吐き捨てる。


「——なんて、聞いてないっての」


 相馬の気配は、これまで依頼を受けて殺した何者よりも強力だった。

 この世界を侵攻するのであれば、必ず障害になり得るであろう実力者。

 シヴィラ嬢の慎重さの意味がようやく分かった。


「だからあなたを呼んだのです。……どうですか?」


 冷たい表情の中に微かな期待を込めているシヴィラ嬢。

 でも、まぁ。


「厄介だけど――何とかするよ」


 そう答えれば、彼女の表情は少し緩んだ。

 僕の答えに満足したのか、シヴィラ嬢は歩き出す。


「では、私たちも帰りましょう」


「……えっと、どこに?」


「私に与えられた研究室兼自宅の高級集合住宅アパートです。あなたには、その一室を貸し与えます。当面の拠点はそこになるでしょう。安心してください、あなたの存在がバレることはありません。私のプライベートに干渉しないことが、この世界の人間との協力条件ですので」


「あ、そう」


 僕の協力なんか無くてもかなりの勢いで基盤を作っているシヴィラ嬢に面食らいながら、僕の異世界との初邂逅は終わった。




 そして、異世界に来てから、一週間が経った。





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