第4話 トーキョーダンジョン

 諸々の準備を整え、いつも通りに任務をこなしながら待つことひと月。

 僕は上官と共に、再び帝国地下ダンジョンの最奥へと戻ってきた。


 あー、胃が痛い。

 準備の時間が長ければ長いほど、今回の任務に対する不安が募っていた。

 正直僕は自分の命以外の大概の事柄がどうでもいいし、ほとんどの出来事は僕の人生を彩る演出のように考えている。

 まあこれは僕に限らず、大半の人類が心の奥底で考えていることだろう。僕は素直なだけだ。


 ただ、まったく別の世界に行く……なんて、考えもしていなかったことだ。不安になるのも当然だろう。

 最悪、僕の命に支障をきたすイレギュラーだって起こりかねない。

 しかしこれは僕と帝国の間に成された契約の一環。断ることはできない。

 ……腹は括った。


「上官、寂しくなりますね」


「湿っぽくしても行かせるぞ。それに、連絡手段は確保してある。シヴィラからの報告を受ける際もその連絡手段を用いている」


「……なるほど、そりゃそうか」


 そうでなければ、シスコンが極まっているシヴィラ嬢が上官から離れるわけがない。それは帝国皇帝の勅命であっても例外ではない。

 ホントめちゃくちゃだよ……。それでも、連隊の隊長に任命されてしまうほどの実力を持っている子なのだ。

 でもそれで言うなら、十八歳で全軍指揮を任されている目の前の女傑の存在の方が信じがたいか。


「では、勇者殺し。今日、この時間より、異界惑星侵攻作戦実働を開始する」


 ふっ、と。上官の表情から感情が消えた。

 彼女の仕事モードは、やはり人間とは思えない鋭利な冷たさを感じさせる。

 突き刺すような彼女の視線から目を逸らし、右手中指にはまった指輪——拘束武具セーフティを眺める。

 色は魔力充填『100%』を示す青。段階的に青、緑、黄、赤と変わっていき、それによって僕の行動も変わっていくことになるだろう。


「次に直接会うのはいつになるんでしょうね」


「さぁな。連絡手段では声だけでなく顔も見ることができるから、そこまで離れる感覚はないと思うが?」


「いやほら、上官の感触とかいろいろ惜しくて……」


「ほう? 一年ほど前、私から誘った時に抱く素振りすら見せなかった奴がよく言う」


「おっけ、行ってきます! 隊員たちによろしく伝えてください!」


 話し続けるのは悪手と判断し、さっさと黄金の扉に足を向ける。

 そして――ガッ!と、首を掴まれた。ちょうど頸動脈に爪を立てた上官は、平坦で感情を覗かせない声音でこう告げた。


「——シヴィラに手を出した場合、少々乱暴に去勢させてもらう。くれぐれも、間違いの無いように」


「は、はは……まさかまさか……。現地にいる女の子とかそこらへんで」


 プチッ。

 上官の爪が僕の首の薄皮一枚を破く。


「ああ、好きにすると良い。好きに、な」


「じ、自重しま~す……」


 優しく首から上官の手を剥がし、見るだけで人を殺せそうな眼光から逃げるように足を動かす。


「……改めて――帝国第七特務連隊隊長、任務開始いたします」


「……頼んだぞ」


「ええ、結果をお待ちください」


 言い慣れた文言を口にすると、そのまま黄金の扉に手を翳す。

 ギギギッ、ガチャッ!

 まるで機械仕掛けのような音を奏でる扉は、開くことなく僕の手を飲み込んでいく。

 

「じゃあ、行ってきますね」


「武運を祈る」


 帝国の勝利の女神の祈りを背に、僕は世界を渡った。




■     ■     ■     ■




 日本、異界探索協会東京指令室。

 ダンジョンに漂う特殊な粒子——異界粒子と名付けられた粒子の濃度や異常を観測するメーターの針が、異常事態を示す濃度に振り切られた。

 異界からの来た少女シヴィラからの情報によれば、この粒子は異世界では魔力と呼ばれ、これらの異常は世界の異常を示すほど重要な物差しであるという。


「粒子濃度ッ、危険域に突入!」


「現在探索中のパーティー全体に撤退勧告! 聞かん奴らは放っておけ!」


「了解!」


 その命により、指令室の喧騒はさらに大きくなる。

 警報と一パーティーに一人は付いているオペレーターの声が混ざり合い、集団パニックにも見える慌ただしい様子に、司令官である竜間たつまは口元を覆った。


「数時間前からの異界粒子濃度の急上昇……シヴィラ、君はどう見る?」


 漆黒の髪を肩口で切り揃えた異界の少女は、長い前髪から覗く左目をしばたたかせた。


「……異世界からの干渉があった際に歪みが生まれるのは、私がこの世界に来た時と同様の現象です」


「もしや、また君のような稀人が?」


 竜間の言葉に、シヴィラは徐に首を振った。

 

「私が来た時でさえここまでの魔力の振れ幅を記録したでしょうか?」


「いいや、まだ大人しかったな」


「あれは——怪物です」


「む?」


 竜間は目を見開いた。

 冷静沈着なシヴィラの目に宿った畏怖は、ここ一年で初めて見る感情だ。


「……そこまで、危険なのか? もしや、向こうの魔物が?」


「——全パーティー撤退後、私が赴きます」


 シヴィラが言うと、指令室の喧騒がぴたりと止む。

 

「君が……? 護衛は?」


「足手纏いです」


 その言葉に言い返すことはできない。

 人類が作り上げた武装や探索技術は、生半可なものでは彼女の行動を制限してしまう枷になる。

 それほどまでに、彼女の力は絶大だ。

 しかし、彼女に並ぶ実力者がいないわけではない。そうでなければ、人類はとっくの昔に異界穿孔点から溢れる魔物モンスターによって淘汰されていただろう。

 だが、知識と経験に置いて彼女を上回る人間は存在しない。


「私がこの世界に落ちてきた際にも出現した、歪みが生み出す超強力な……あなたたちの物差しで言えば討伐難度ファイブを超える魔物がいないとも限りません。人的被害は少ない方が良いでしょう」


 竜間を振り返ることなく、シヴィラは指令室を出る。


 彼女が退室する頃には、指令室のパニックは何事もなかったかのように治まっていた。

 長らく異界探索協会に身を置く彼らは知っていた。


 シヴィラに失敗など無いことを。





■     ■     ■     ■




 『トーキョーダンジョン』、十五階層目。


 異界探索協会が未だ最深部にすら辿り着けていないトーキョーダンジョンは、全部で何階層あるかすら判明していない奈落にも似た異界の孔。

 そんな中であっても、比較的浅めの階層である十五階層。


 魔物を屠りながら辿り着いたシヴィラは、そんな十五階層目でダンジョンを下るのを止め、奥まった突き当りで足を止めた。


 壁に手を当て、

 冷たい石壁を作り出していた魔力の塊を一瞬崩し、再び作り出す。魔力を操ることのできる異世界人にのみ許された御業だ。

 普通の人間から見れば、シヴィラが壁を透過したようにしか見えないだろう。


 異界の扉。

 向こうの世界からのこの世界に渡る扉は、『トーキョーダンジョン』の十五階層目に繋がっているのだ。


「——遅かったな、シヴィラ嬢」


「……チッ、やはり死んでいませんでしたか」


「一言目それ?」


 くすんだ灰色の髪を返り血に染めた青年は、床に横たわる巨大な異形の上に座り込み、へらへらと嗤っていた。


 横たわる魔物は、三mを超える枝のような手足に、朽ち果てたミイラのような肢体。

 討伐難度ファイブ砂漠の樹人デザートマン

 決して十五層目に居て良い魔物ではなく、人類が討伐作戦を弄するほどの恐ろしい個体だ。


拘束武具セーフティの使用許可していませんよね?」


「ああ、だからだよ……もっと早く来てくれればこんな疲れないで済んだのに……。ってか、魔力薄くね? 動きづらいわ」


 本当に馬鹿げている。

 シヴィラが抱く感情はそれだけだ。

 ダンジョンには魔力が満ちている。だが、向こうの世界と比べれば濃度は一段階落ちる。

 それは、異世界人にとっての重りに他ならない。

 一年過ごしたシヴィラはすでに慣れ切っているが、彼は今来たばかりのはずだ。


 だというのに、武器も、十全な魔力もない状態で……自分の血液を流れる超微量な魔力のみで、人類にとっての脅威を駆逐する。


「まぁなにはともあれ——『勇者殺し』、現地到着です。これからよろしく、シヴィラ嬢」


 彼がこちら側で本当に良かった。

 シヴィラは手を震わせながら、適当な敬礼にきっちりとした敬礼を返した。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る