第2話 繋がった世界

 パチンッ。

 音を立てて万年筆を置いた上官は、口を半開きにした僕を物珍しそうに眺めた。その口には、微かな笑みが浮かんでいる。


「お前のそんな顔を見るのは初めてだな……いい気味だ」


「上官……ちゃんと休んでますか? 最近仕事疲れが色濃く見えますよ」


「残念ながら体調は万全だ。お前こそ隊員たちに振り回されて大変そうだな」


「すっげー他人事っすね。僕だって変わって欲しいですよ」


「この世界であれらをまとめられる人間はお前を置いて他にはいない。諦めろ。それに、お前の立場は対等な交渉の上に成り立っているはずだ」


「正論嫌いでーす」


「子供か」


「十八歳の子供に言われるのは遺憾ですね」


「十九のお兄さん? 癇癪は良くないな」


 面倒そうに肩を竦めた上官は、ため息を吐いて椅子から立ち上がった。起伏に富んだ身体を持ち上げ、人差し指を口の前に立てる。


「私に付いてこい。今回の作戦概要について説明しよう。いつも通りの他言無用かつ秘密裏の作戦になるが……今回の機密レベルはこれまで以上のものだ。隊員たちへの伝達にも注意を払ってもらうことになる」


「……うわぁ」


「報酬は今までの倍ではきかんぞ?」


「やりましょう」


「ふふ」


 流石上官。僕のやる気を出すのがうまい。

 いつもは冷酷な表情に浮かぶ微かな笑み。珍しいことに彼女はかなり上機嫌らしい。

 それほど今回の任務の難易度が高いのだろう。

 この人は僕たちに無理難題を押し付ける時がいっちばんイキイキしてるからな。

 


 上官の執務室から伸びる地下通路。

 こんなところがあることすら知らなかった僕は、ただ付いて行くことしかできない。

 

 無言で歩き続けること少し。冷たい地下道の様子が段々と人工の気配から離れていく。

 壁は鉄から土壁に、床は石畳に。僕にとっては見慣れた光景へと様変わりする。


「……上官」


「なんだ?」


「冗談きついっす」


「私も初めて見た時、同じ感想を抱いた」


 僕たちが生きるこの世界には、魔族が悠久の時間を掛け作り上げた迷宮が無数に点在している。

 その名も『ダンジョン』。

 天、地、海。至る所に存在するダンジョンは人類の生存圏を侵食する目的で作られている。

 ダンジョンの内部には魔物と呼ばれる魔族の眷属や大量の資源が眠っており、魔物討伐と資源回収が人類の目標。

 これらは魔族の長が死に、魔族が勢いを完全に失った今でも残る人類の課題だ。

 具体的に言えば、ダンジョンの最奥に在る『核』——ダンジョンを稼働するための魔力保存庫を壊すことで、ダンジョンの機能を停止することが出来るのだ。

 そうすれば二度と魔物が生まれることなく、資源の回収も容易になる。

 人々はこれを『ダンジョン攻略』と呼び、平和ボケした今世では娯楽にすらしている。


 今、僕の眼下に広がっている光景は、寸分違わずダンジョンのそれだ。


「大帝国って……世界に誇る人類の砦でしょ? その地下にダンジョンって……」


「皆まで言うな。これは皇族に名を連ねる者と軍上層部の極数名……そして、私とお前しか知らない事実だ」


 つまり僕たちは、大口を開け、いつ動き出すかもわからない巨竜の上で生活していたようなものなのだろう。

 カツッ、カツッ……と、上官のヒールがダンジョンを叩く。そうして浮かび上がってくるのは、紫に煌々と輝く魔法陣だった。


「乗れ。最下層までの直通だ」


「……冗談?」


「マジだ」


 ほうほう。最下層に通じる魔法陣も設置済み……と。

 帝国地下に根をはるこのダンジョンは、すでに攻略を完了されているというわけだ。

 魔法陣の上に立つと、やたらと距離の近い上官と一緒に転移する。一瞬の浮遊感の後、眼前の光景は正方形の一室に変わっている。

 部屋の中央には大きな台座と、台座の上に浮遊する金の光球。

 そしてその台座のさらに奥には、黄金に輝く扉が鎮座していた。


「ここが最下層の魔力保存庫。そしてあの光球がダンジョンの核」


 おいおい……ダンジョンの核破壊してないのかよ。ってことは、このダンジョンは絶賛稼働中……。

 僕たちが今すっ飛ばしてきた中間層などには魔物がうじゃうじゃいることになる。


「……破壊しないんですか?」


「できない理由がある。そしてそれは、お前に与える任務にも繋がる話だ」


 ダンジョンの核に近づきながら、上官は滔々と語り始めた。


「勇者殺し。お前は魔族がダンジョンを作った理由を知っているか?」


「さあ。僕に学がないのは上官がよく知ってるでしょ」


「興味がないことには相変わらず無関心もいいところだな。……説明しよう。単刀直入に言えば『ダンジョン』とは、魔族が作り上げた情報網だ」


「……情報網?」


「ダンジョンに足を踏み入れた人間。命を落とした人間。魔物と接触した人間。物理的、魔力的干渉をダンジョンに行った者の“記憶”を蓄積すること……それこそが、このダンジョンという構造物の存在意義なのだ」


 黙って聞き続ける僕をちらりと見ると、彼女は光球の浮いた台座に手を伸ばす。

 ずるり……。

 光球から何かを引き摺りだすように手を引くと、その手中には拳大の木の実のようなものが収まっていた。


「これこそ、長い時間を掛け人間たちが落とした記憶の結晶。魔物がこれを取り込むと、知恵や感情を持った魔族になる……というわけだ」


「……ああ、わかるよ。暗殺対象を知ることは、対象を壊すために最も大事なものだ」


「魔族長もそう思ったのだろう。魔族が人間を滅ぼすために人間を知る方法……それがダンジョンだった。そして、魔族長当人が死んだ後も、負の遺産としてこの世界に残り続けている」


 上官は核から取り出した実をまじまじと見つめながら、それを持ちながら僕に近づいてくる。


「——さて、ここからが本題だ」


「……聞くしか……ないですよね~」


「無論だ。……帝国の地下に出来たこのダンジョン。この核から取り出すことに成功した記憶結晶——便宜上これを『智慧ちえの実』と呼称するが、現在智慧の実は、今取り出したものを合わせて三つ。——お前には、その一つを取り込んでもらう」


「……えっと?」


 冷笑と共に僕に実を差し出す上官。

 人間の記憶や情報が詰まった実を、僕が取り込む。

 果たしてこの行為に意味があるのだろうか?


「これって魔族が人間を知るための実なんでしょ? 僕が取り込む意味ってあります?」


「うむ、至極真っ当な意見だ。実際、他のダンジョンで見つかった智慧の実を食べた者には、何の変化も見られなかった。当然だな、人間が生きるために必要な情報をすでに知っている人間が食したのだから……。——では、今回の作戦で最も重要で、最も機密性の高い事柄を説明しよう」


 黄金の実を大切そうに握り締めると、彼女は部屋の奥を振り返った。

 上官の視線の先にあるのは、核が浮いている台座——その奥に輝く黄金の扉だ。


「……あれ、僕も気になってたんですけど、ダンジョンの最奥に扉なんて見たことも聞いたこともないんですが……」


「『異界への扉』……この扉を知る者たちは、あの扉をそう呼んだ」


「い、異界……?」


「ちょうど百年ほど前、このダンジョンの攻略を完了した調査隊があの扉を発見したらしい。未知の扉、未知の果実……あまりにも大量な不確定情報の嵐に慎重を期す判断をした帝国は、このダンジョンの核の破壊を中断し、様々な調査を行った」


「百年……なかなか気の長い作戦ですね」


「連綿と受け継がれ、そして今日、結実に至る。……勇者殺し、最初にこの実を食べた人間にもたらされた情報は、果たして何だったと思う?」


 しばしの無言が場に流れる。


 魔族が作った情報網。人間が干渉することで記憶を吸収する構造物。情報の結晶体である果実。……そして、異界への扉。

 予測でしかないが……。


「異世界の情報が、もたらされた」


「正解だ、流石だな。――そう、この帝国地下ダンジョンは、異世界に繋がったダンジョンなんだ。ここを表側とするならば、裏側でこのダンジョンに干渉した異世界の人間たちの記憶も、共にこの果実に蓄積されていたのだ」


「異世界を繋げるダンジョン……そりゃあ、強欲な帝国上層部が壊すわけねーわな」


「魔法が存在しないのに、私たちの世界よりも進んだ異世界。さらに、異世界の人類も、ダンジョンの攻略に精を出しているらしい……科学技術を駆使してな」


「なるほど、つまり異世界は宝の山ってことね」


 肩を竦めた僕に口角を上げた上官は、きびきびとした動きで僕に振り返る。


「——特務隊隊長、【勇者殺し】。お前には一番槍を務めてもらう。一足先に異世界を調査し、侵攻の足掛かりを作れ」


「うへー……了解……」


 断る権利は僕にはない。

 果実を震える手で受け取り――一気にそれを噛み砕いた。





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