shoku・ryo・ko

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 山積みにされた缶詰だらけの

 食料庫で聞いた、とある噂話。


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「ねえ、お腹、空いてない?」


 アヤサキは、廊下を歩きながら私に尋ねた。


「お腹……?」


 そういえば、何も食べていない。でも、空腹は感じられなかった。


「……あまり、空いてないです。でも、喉は乾いてるみたい。」


 飲まず食わずで歩いているのだ。

 それを考えると、おそらくお腹も空いているはず。


「じゃあさ、食糧庫に行こう。アタシの食事に付き合ってよ。誰かとご飯を食べるの、久しぶりなんだ。」


 アヤサキは私の手を握り、鼻歌を歌いながら食料庫に向かって歩いた。

 私は、楽しそうに弾む背中を見つめた。



 廊下の突き当りにある食料庫には、たくさんの缶詰めが山積みにされていた。


「どれにしようかな。」


 アヤサキは、白飯、大根菜っ葉のみそ汁、きんぴらごぼうの缶詰めを一つずつ手に取ると、中心のテーブルに置いた。

 みんな、ここでご飯を食べているのだろう。


「勝手に取って大丈夫なの?」


「ここの食料は好きなだけ食べていいんだ。あまり美味しくないけど。」


 アヤサキは、棚から缶切りを持ってきて椅子に腰かけると、キコキコと缶を開けながら話した。あまり美味しくない、と言いながらも、どこか楽しそうだった。


「好きなだけ食べたら、なくなるんじゃない?」


「そうなんだよね。タカハシさんなんて大食漢だから、あっという間になくなりそうなものなんだけどさ、なくならないんだよね。誰かが補充してるのかな。」


 缶の縁でケガをしないように気をつけながら、アヤサキは菜っ葉のみそ汁を啜った。


「先週、ここで過ごしたときに会わなかったの?」


「……誰にも会わなかったし、気配もなかった。……ところで、食べないの?」


 アヤサキに促されてしぶしぶ立ち上がり、缶詰の棚を見て回る。

 疑われないためには食べたほうがいいのかもしれないけれど、目の前に積み上げられているおびただしい数の銀色の塊は、僅かな食欲さえも奪っていく。


 ご飯もチャーハンもピラフも、お味噌汁も春雨スープもクラムチャウダーも、焼き魚も酢豚もハンバーグも、全部全部全部、銀色の塊だ。

 せめて可愛いラベルでもあれば、少しはこの棚も華やかになりそうなものだけど、黒色のマジックで缶の中身の名前が書いてあるだけだから、比喩でもなんでもない、文字通りの『銀色の塊』。

 これで食欲を出せなんて、無理がある。


 鈍い銀色の塊を見ているうちに、目がチカチカしてきた。もう、なんでもいいから持って行って、さっさと食事を済ませよう。そう思いながら歩いていると、ある棚の前で足が止まった。


 ……えっ、ウソでしょ。オレンジジュース、リンゴジュース、ミネラルウォーター、コーヒー、ロイヤルミルクティー……、飲み物までも缶詰だなんて信じられない。……まあでも、食べるよりなら飲むほうがいいか。喉も乾いてるし。


 ため息をつきながら、コーヒーを手に取った。

 缶コーヒーだと思えば、飲めなくもない。


 缶きりで開けてコーヒーを飲む日が来るなんて……。


 そう思いながら、手に取った缶をぼんやり眺めると、これから缶切りの刃を当てるであろう、上蓋にあたるところに赤いインクで文字が書いてあった。



 ≪ 飲むべからず ≫



 あわてて他の飲み物や食べ物の缶詰を手当たり次第手に取って赤い文字を探した。驚いたことに、手に取ったすべての缶に ≪ 飲むべからず ≫ ≪ 食べるべからず ≫ と書いてあった。

 私は、コーヒーの缶詰をそっと棚に戻し、手ぶらのままテーブルに戻った。


 全てが疑わしいこの世界で、この赤い文字だけは信じられる気がする。

 騙されているなら、それはそれでもいい。



「あれ? 食べないの?」


「うん。缶詰の山を見ていたら、食欲がマイナスになっちゃった。」


 私は、肩をすくめて苦笑いを作り、アヤサキの隣に座った。


「分かる。アタシも最初はそうだったもん。」


 アヤサキは、そう言って大笑いした。そして、きんぴらごぼうを頬張り、ごくんと飲み込んだ。


「でもこうして、誰かと話しながら食べるのは、やっぱりいいね。」


 アヤサキの屈託のない笑顔は、私の心を掻き乱す。

 胸の奥がチクリと痛むのを隠して、いつでも付き合うよ、と言った。


「社長だよ。」


 アヤサキは箸を置いて、真剣に話し始めた。


「これは噂なんだけどね、このゲームは社長が自分の趣味で作ったって言われてる。アタシもさ、最初はただの噂だろうって笑ってたんだけど、最近は本当かもって思ってる。社長は毎週ここに来るんだけどね、どういうわけか、時々ここに残るんだ。」


「間に合わないんじゃなくて、残るの?」


「そう。こんなところなんてさっさと出たいと思うのにさ、自ら進んで帰らないんだよ。おかしいでしょ? なんか、やることがあるとかなんとか言うんだけどね、何をしているのか、さっぱりわからない。」


 確かに、不自然な行動と言わざるを得ない。


「アンタも見たでしょ? 靴も履かずにいつも裸足でつま先立ち。変な人を通り越して気味が悪い。」


 靴を履いていない?

 そんなバカな。社長は、赤いハイヒールを履いていたじゃないの。


「さあ、行こう。急がないと間に合わなくなっちゃう。一週間ずっと、ここに閉じ込められるのも、ずっと缶詰なのも絶対に嫌!」


 明るくそう言うと、戸惑う私の手を取って歩き出した。

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