第4話 絶望の淵で

「え……。シリ、ル……?」


 あまりにも突然で、一瞬の出来事だった。

 何が起こったのか、すぐには状況がのみ込めず、私は呆然と足元を見つめた。


 そこに横たわっていたのは、上半身を真っ赤に染めたシリルで――。



 ……シリル……。


 え、なに? どーゆーこと……?

 どーしてシリルが、倒れて……?


 それに、なに……?

 なんでこんな、血みたいなもので……赤く……染まっ……て……。



「……い……いやぁあああッ!! シリルっ! シリルぅーーーーーッ!!」


 ようやく状況を把握はあくした私は、膝をつき、シリルの体を抱き起こした。


「シリルっ、しっかりして! ねえっ、目を開けてっ!!……シリルっ! シリルってばぁッ!!」


 頬を軽く叩き、体を揺さぶる。――それでもシリルのまぶたは、ぴくりとも動かない。


「シリル……。そんな、ヤダ……ヤダよ。どうして……どーして、目を開けてくれないの?」


「姫様っ、しっかりなさってください! まだ敵が――っ!」


「……敵……?」


 セバスチャンの声に、私はゆっくりと振り返る。


 そこに立っていたのは、一人の男。

 頭と顔の部分を、イスラム教の女性達みたいに黒い布で隠していて……服装は、騎士のものじゃなかった。


 とっさにイメージしたのは、暗殺者。

 外国のアサシンとか呼ばれる人が、以前読んだ漫画で……確か、こんなような格好をしてた気がする。


 それにしても、この人……さっきの騎士もどきの人達とは、凄みというか迫力というか……何もかもが全然違う。

『この人には勝てない』って、本能でわかるというか……。


 そこまで思って、ハッとした。



 冗談じゃない! シリルをこんな目に遭わせたヤツに、絶対負けてなんか――大人しく殺されてなんかやるもんか!



「あなたは誰っ!? 何の恨みがあって、こんなひどいことするのっ!?」


 突っ立っているそいつを、憎しみを込めた目で睨みつける。

 するとそいつは、くぐもった声でこう答えた。


「恨みはない。これは仕事だ」


「……仕事?」


「そうだ。俺は、受けた仕事は確実にこなす。……悪いが、あんたには死んでもらう」


 少しも感情のこもっていないような冷めた声で、そいつは淡々と言い放った。

 つと視線を下に移すと、右手にナイフのようなものを握っている。そのナイフの先からは、血のようなものがしたたっていた。



 血のようなもの――じゃない。あれは血だ。……シリルの……。

 あのナイフで、あいつはシリルを……シリルの体を……!



 そう思ったら、頭が――ううん、頭どころじゃない。全身が煮えたぎるように熱くなり、思わず叫んでいた。


「冗談じゃないわ! 誰があんたなんかに――! シリルをこんな目に遭わせたヤツを、私は絶対に許さないッ!! どんな理由があろうとも、絶対に――!!」


 するとそいつは、(口元なんて布で覆われていて、見えやしないんだけど)ニヤリと笑った気がした。


「許さない?……それで、あんたに何が出来るっていうんだ? 護衛もいない。武器もない。ただ俺に殺されるのを待つだけのこの状況下で――あんたに出来ることがあるのか?」



 ――出来ること――?



 私はちらりと、そいつの後ろにいるセバスチャンを見た。彼はこくりとうなずくと、私をじっと見つめて……。


「確かに、今の私には――出来ることなんて、何もないのかも知れない。武器すら持ってない、女の私じゃ……大人しく殺されるしか、ないのかも知れない。でも――」


「……でも?」


「私にはまだ、頼れる味方がいる!――セバスチャンっ!」


「はいっ、姫様!」


 そう返事した後、セバスチャンが大きな鳴き声を上げた。とたん、四方八方から、大きな鳥達が飛んで来て――その男に、ものすごい勢いで襲い掛かった。


「――っ! な、なんだこれは…ッ!?――クソっ! 離れろっ!……このッ! どこかへ行けっ!」


 さっきの小鳥とは、大きさも見た目も全然違う――前いた世界で言うところの、ワシやタカなんかの猛禽類もうきんるい――みたいな鳥達に、一斉につつかれたり、大きな爪で引っ掻かれたりして、さすがのそいつも、苦戦しているみたいだった。


 その様子を確認すると、私はシリルに視線を戻し、もう一度呼び掛ける。


「シリル、しっかりして! お願い、目を覚まして!」


 真っ白な顔――。

 頬に手を当て、何度も何度も名前を呼んだ。


「……シリル……」


 言いようのない絶望感が襲って来て、気が遠くなりそうになる。

 その時、


「……う……ぅ……」


 僅かに、シリルが口を動かした。


「シリル!」



 生きてる!

 大丈夫。まだ希望はある――!



「シリル、待ってて! きっと助かる。助けるからね!」


 そう励ますと、私はぎゅっとシリルを抱き締めた。



 助ける。絶対助ける!

 シリルをこんなところで――私なんかのために、死なせたりしない!


 こんな良い子を……優しいこの子を、死なせて堪るもんか!



 きつくつむった瞼の裏に、その時ふいに――彼の姿が浮かんだ。



 ……そうだ。ギルなら――。

 治癒能力のあるギルなら、シリルを助けられるかも知れない。


 そうよ。ギルならきっと――きっと何とかしてくれる!



「ギル、助けて。シリルを助けて! お願い……!!」


 そう言ったところで、どうにもならないことはわかっていた。


 ギルは今、ここにはいない。どんなに呼んだって、想いが届くワケもない。

 でも、それでも……彼の名を呼ばずにはいられなかった。



 ギル……ギル、助けて!

 お願い。お願いだから私を――……シリルを助けてっ!!

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