02 クローゼット

 姉は進学祝いにノートパソコンを買ってもらっていた。白いパソコンデスクの上にそれが乗っていて、姉はよいしょっとローテーブルに移した。


「ちこちゃん、映画でも観ようよ。配信サービス登録したんだ」

「いいよ。何にする?」

「恋愛ものがいいかな。気になってたけど観に行けなかったやつがあるんだ」


 姉は真っ直ぐに映画のタイトルを入力して検索した。それは日本の大学生が主人公のものだった。主人公は男の子で、三角関係に巻き込まれた。しかし、恋敵の男の子と仲良くなり、ヒロインと三人で生きていくといった結末だった。


「なっちゃん、どうだった?」

「うーん、期待外れだったかも。あんまりヒロインの子に感情移入できなかった」

「わたしは音楽が素敵だと思ったよ」

「姉妹でも映画の観るとこ、違うもんだね」


 夕飯はカレーライスだった。わたしのために作っておいてくれたらしい。具材はちょっと大きくて、姉は大雑把だなぁと思った。ただ、味は母の作るものとよく似ていた。同じルーや隠し味を使っているのだろう。


「ちこちゃん、泊まっていく?」

「あっ、考えてなかった」

「泊まりなよ。お母さんにはお姉ちゃんから連絡しておくから」

「でも、着替え持ってきてないよ?」

「お姉ちゃんの貸してあげる。そこのクローゼットに入ってるから、適当に取って、シャワー浴びておいで」


 クローゼット。こういうワンルームによくある、シンプルなものだ。しかし、そこを開けるのが何だかためらわれた。洗い物をしている姉に声をかけた。


「……なっちゃん。服は全部クローゼットの中なの?」

「そうだよ。スウェットとかあるからさ。何でもいいから選びなよ」


 わたしはおそるおそる取っ手を掴み、引いた。


「……えっ」


 それがいた。舌をだらりと出した、茶髪の女。白いTシャツを着ていて、首にはロープが繋がっていた。わたしはそれと目が合った。途端にそれはニタリと笑みを浮かべた。


「きゃあああ!」


 バシンとクローゼットを閉め、わたしは床に尻餅をついた。姉が手を止めてやってきた。


「ちこちゃん、どうしたの?」

「い、いま、な、なかに」

「何? 中がどうしたの?」

「いたの! 変なのが!」


 わたしは姉の足にしがみついた。震えが止まらない。脳裏には、さっき見た青白い肌のそれがくっきりと焼き付いていた。


「えっ? 中に?」


 姉はあっさりとクローゼットを開けた。ハンガーに服がかけられており、引き出し式の衣裳ケースがあるだけだった。


「何もいないじゃない」

「あれ……でも、さっきは……」

「もう、ちこちゃんったら。お姉ちゃんのこと、からかってるでしょ」

「違うよ。本当に見えたの。首を吊った女の人が」

「またまた。引っ越してから変なことなんて一度もなかったよ。ちこちゃん、勉強のしすぎで疲れてるんじゃない?」

「そ、そうだね……」


 姉は引き出しからグレーのスウェットを取り出してわたしに放った。一人でシャワーを浴びにいくのは嫌だったが、さっきのは気のせいだったと何度も言い聞かせ、目を瞑ったまま髪と身体を洗った。

 わたしがお風呂に入っている間に、姉はローテーブルを寄せ、布団を敷いていてくれていた。そして、姉は風呂場に行った。わたしは布団の上に座り、スマホでSNSを見て気を紛らせた。


「ちこちゃん、部屋寒くない? 平気?」


 バスタオルで短い髪を拭きながら、姉が聞いてきた。


「うん、大丈夫」

「春だというのに最近冷えるよね。風邪ひかないようにしないとね」


 時刻は夜の十時だった。少し早いが、もう寝ることにして、電気を消した。ベッドの上の姉は、すぐにすうすうと寝息をたてはじめた。姉は昔から寝付くのが早かった。わたしはというと、クローゼットが気になって仕方が無かった。心なしか、ひんやりとした空気がそこから流れているような気がした。

 クローゼットに背を向け、目を閉じた。そして、次第にうとうととしかけた、そのときだった。


 カリ……カリカリ……カリ……カリ……。


 何かをひっかくような音で、わたしは意識を引き戻された。


 カリカリ……カリ……カリリ……。


 間違いない。あのクローゼットの中からだ。わたしは飛び起きて、ベッドで眠る姉にすがった。


「なっちゃん! なっちゃんってば!」

「うーん……なぁに、ちこちゃん……」

「クローゼットから音がするの!」

「ええ? 何も聞こえないけど……?」


 姉は電気をつけて、クローゼットを開けた。それはいなかったが、わたしは扉の内側を見た。ぎっしりと白い爪の痕が残っていた。姉にもそれが見えたようだった。


「何、これ……」

「なっちゃん、どうしよう。絶対に何かいるよ。わたしのこと、信じてよ。見たんだよ」

「うん、さすがに信じる。そうだ、伯父さん呼ぼう。こういうのは詳しいはず」


 もう夜の十一時だったが、姉が伯父に電話をすると、すぐに駆けつけてくれるとのことだった。わたしたちはベッドに座り、身体を寄せ合って、伯父が来てくれるのを待った。

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