遺書

おだまき

第1話

遺書



申し訳御座いません。私は死にます。自分勝手に死ぬのです。大変身勝手に死ぬのです。私はだめな人間だから死ぬのです。私は頭がおかしいのです。だから私は私の命を絶たざるを得ないのです。

決して日常生活に不満を感じているからではありません。生きることに絶望するほどの出来事があったわけでもありません。私という人間が弱いが故死ぬのです。私はつくづく弱い人間です。私は中途半端なのです。私は本当にダメな人間だ。私は死ぬべきなのです。

お母様、申し訳御座いません。私は貴女に迷惑しか掛けていない。貴女は偏屈で面倒な私を始終気にかけて下さった。中途半端な私に慰めの言葉を下さった。貴女は優しいお方なのです。私などに縛られず、のびのびと生きるべきだ。貴女はこんなものに付き合う必要はないのです。

お父様、申し訳御座いません。貴方は毎日私のために働いて下さった。私のせびったものを結局は買って下さった。貴方は思いやりのあるお方だ。その思いやりの心はすべてお母様に注いでください。私にはそんな価値などないから。

A君、B君。貴方たちと過ごす日々は大変新鮮で楽しいものでした。貴方たちは私の知らない世界を教えてくれた。感謝しています。貴方たちは良い人だ。いい出会いを願うよ。ありがとうございました。

私には皆様のおかげで素晴らしい環境の中で生きてき参りました。自死などとは程遠いような環境です。なのに私はこれから死のうとしているのです。なぜこんなことができるのか。私がおかしいからです。私は死にたいのではありません。生きたくないのです。私は私という人間に失望し、甚だ呆れ果て、嫌悪感すらも抱いているのです。私は、私が嫌いなのです。いつしか私の心はもくもくと黒煙が満たし、すっかり汚らしい人間になってしまったのです。いいや、私は幼いころから、汚かった。生を授かった時から汚れていたのだ。私は片時も奇麗だったことはないのだ。私はこんなにも汚いではないか。この際です、懺悔いたします。そして死を以て償うのです。

私は幼いころから人間を観察し、達観していた嫌な子供でした。周りの子供たちが無邪気に遊んでいるのを眺めて嘲笑っていたのだと思います。周りの親からは落ち着いていて偉い、良い子と褒められました。しかし、手が掛からない故に私はあまり子供たちとも馴染めず、晴れている日も専ら本ばかり読んでいました。私は静かでいたほうがお母様から褒められると思っていましたが、母に心配されて初めて私は周りの子供のように無邪気に遊んでいる方が子供として価値があるのではと気づきました。それから私はいかにすれば子供らしく振舞えるのかを見て学び始めるようになりました。私は年齢に応じて求められている子供を演じることにしたのです。誰からも嫌われない『自分』を作り出したのです。

私は成長してからも完璧な『自分』という仮面を被り、快適に暮らしてきました。高校に入学し、半年ほど過ぎようとした頃でしょうか。私に恋人ができたのは。彼女こそが今まで順調に生きてきた私を大きく狂わせたのです。私は彼女に尽くしました。いま思うとこれは恋から来た行動などではなく、周囲から求められていた私と彼女の円満な関係を生むための行動であったのかもしれません。

そうですね確か12月頃とても冷え込んだ、寒い日でした。私は彼女と共に遊園地に行こうと誘いました。彼女との関係は良好で、快く彼女は承諾してくれました。朝から夕方まで園内を夢中(いや、夢中なふりをしての方が正しいかもしれない)で歩き回り、時計を最初に見たころには閉園時刻でした。私と彼女は、電車の少し硬いシートに腰掛けて感想を話しながら帰っている最中でした。その出来事が起こったのは。私は話が途切れたところで目をゆっくり瞑りました。実際に眠かったのか、寝る行為が今の状況に必要だと判断したからしたのかは覚えていません。彼女は私に寝たのか確認をしました。私は反応をしませんでした。嘘寝をしたのです。嘘寝をして少し経った頃、私は頭を彼女の肩へ預けました。最初は驚いた様子でしたが、彼女は私の頭を少し撫でました。そんな時間が長らく続きました。私が本当に寝そうになっているとき、彼女は急に口を開きました。「気持ち悪い」と呟いたのです。最初は意味が分かりませんでした。すっかり目が覚めていましたが、寝たふりを続けていました。私が困惑していると、また彼女は「あなたって、本当に気味が悪い」と囁きました。なぜ、なぜ彼女は私が気持ち悪いと思うのか訳が分かりませんでした。私は完璧な人間を演じてきたのだ。気持ちが悪い筈がない。そんなのあっていい筈がない。私は動揺しました。

私は家に帰ってもその言葉が頭を離れませんでした。気持ち悪くない自分、つまり素の自分は何なのかを知り、それを今の私に付け加えれば完璧な自分ができるのではと思いました。しかし、分からないのです。本来の自分が何者であったか、分からないのです。私は、この気持ち悪い私以外の私を思い出せないのです。おかしいのだ。演じていたはずのなのに、仮面を被っていたはずなのに、仮面が顔にへばりついて元の顔が思い出せないのです。そしてその仮面は、完璧に思われていたのですがどうも気持ち悪いようなのです。私は、私の仮面を見るようなことがあれば狂ってしまいます。だから死ぬのです。だって身の回りには私の姿を映すようなものがたくさんあるでしょう?鏡、水面、車体。こんな身近に恐怖の対象がありながら生きていくことができましょうか。

あぁ、私はもう、だめなのです。私は醜い。私は、私が恐ろしい。私は、生きたくない。生きてゆけない。だから死ぬのです。私は酷い人間です。嘘に嘘を重ね、すべて取り払った私は小さく、醜悪などす黒い塊でしかありません。止めないで下さい。私が死にゆくことを、どうか止めないで下さい。あなた方の知っている私は私ではないのです。私は死以外の選択肢がない。あなた方に顔向けができないのだから。死にたいのではありません。生きたくないのです。生きてゆけないのです。死ぬ以外には私は私を保つことができないのです。私にとって、死は救済です。死ぬことで、私は正常でいられるのです。

もう一度皆様には感謝と謝罪が必要ですね。いままでありがとう。そして、ごめんなさい。本当に、ごめんさい。許してください。私は、私が嘘をついていることすら覚えていなかった。ごめんなさい。皆様を騙していたこと、私のような気味の悪いものを皆様の視界に入れてすみません。私はいつまでもエゴイストです。だから楽な死を選びます。こんな人間ですみません。私は死ぬことで、私の存在を残せるのです。

あぁぁ、私は怖い。死が怖い。でも死ぬしかない。でも今ためらっているのです。私は、この包丁の切っ先がこちらに向くたびに竦み上がってしまう。あああぁ、なんて、なんて酷い人間なのだろうか。死しかないと言っておきながら、死が怖い。私は、私は、醜い。こんな人間は死で断罪されるはずがない。そうだ、私の罪は残り続けるのだ。私は裁かれるべきだ。そして有罪判決を下され、永遠に牢獄の中で暮らすべきだ。そうだ、私はこの罪を持った私を死で切り離すのだ。なんと素晴らしい考えなのだろうか。私は、私に付いたこのへばりついた仮面を死というナイフで切り離し、そうすることで私は本来の自分を取り戻すと思っていた。それは違う。私は死ぬことで生まれ変わるのだ。私はこの汚い肉体から解き放たれ、新たなる純粋なる生を受けるのだ。私は死を救済と言った。あれは嘘だ。私は死ぬことで私自身を断罪し、私は生まれ変わるのだ。こんな私は捨てて、私はもっと崇高な私へ変態するのだ。蝶が蛹から美しい羽根を覗かせるように、私にはこの醜い私は不可欠だった。あの美しく、完璧な私へなるためには。あぁ、死が待ち遠しい。私は今から死ぬ。私は私を取り払うために。これを読んでいるあなた方は戦慄するでしょう。新しい私を見て。さあ今すぐ死のう。私はこの薄暗い曇り空を取っ払って見せましょう。

では、また会おう。

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