紫煙1
探し屋。
シンプルだが聞き慣れない名前なのは、譲葉たち以外にそんな職を名乗る者を見たことがないからだ。
しかし、譲葉煙は三代目。血筋で繋がるわけではないが、それなりに歴史をつなげた仕事でもある。
門真亜里砂に告げた口上に偽りはない。探し屋はどんなものでも探すのが使命だ。落とし物、尋ね人、明日の天気、果ては本人の探しものまで。探せるものに限度はあるが依頼の幅に限度はない。
しばしば異常なものにも遭遇する。写真から這い出てくる女なんてものは珍しくもない。
もっとも、女のほうは譲葉煙に驚いているかもしれない。名を呼ばれ室内に侵入した彼女は、誰におびえられるまもなくその首を掴まれ、部屋の最奥に置かれたパーティションへとその身を放り投げられた。
写真から這い出たからと言って、軽いわけではない。パーティションは衝撃で倒れ、女の身体はそのまま奥に隠れた理容道具の山へと突っ込んだ。金属製の道具が散らばり派手な音がする。
ビル前で待たせている門真が不安に思って入ってこないか心配なほどだ。
「オートロックは正常、彼女は入ってこないっす」
美容室の主人であろう男を拘束している猿田が的確に不安を取り除く。格好つけて女を漁る変態より、何倍も気が利く良い男だ。これが終わったら門真に付き合いを勧めてみようか。
「さて、鋏の1つや2つ突き刺さってくれていればいいが、あれはいったいなんなんだ」
写真から這い出る女なんて、珍しいものではないが、日常的に知る何かでもない。掴んだ感触は人間の筋肉よりも柔らかい。脂肪というよりは固まり始めた粘土細工のようだ。手に残る酸っぱい匂いは、汗ではなく、現像液の匂いだろうか。
首から上が白飛びしている相手をそう呼ぶのは躊躇われるが、あれは人間を模した何かだ。ただ、顔の件を差し引いても人間からはほど遠い。
「長嵜エミリじゃないですか? 呼んだら出てきたし、こいつも変になったのは名前をきいてからだ」
「サル、それじゃあ門真さんが持ってたブロマイドはなんなんだよ。どう見ても別人だろう」
「顔は同じだと思いますよ」
「君はなんというかレディを見る目がないな」
女がパーティション越しに道具の山に倒れていた身体を起こすと、鳴り止んだはずの金属音が再び響く。譲葉の希望通り、身体にはいくつかの道具が刺さっていたが、痛みを感じているそぶりはない。
女は写真の中にいたときのまま、彼女はスーツ生地のズボンに、ストライプのシャツ、ウールのマフラーを身につけたスタイルのよい長身女性のままだ。頭部が計れないからわからないが、門真亜里砂と同程度、譲葉より10センチ近く大きい。
他方で門真が持っていたブロマイドの女はどちらかと言えば幼児体型だ。顔が白飛びしていて見分けがつかないからと言って同一視するのは乱暴が過ぎる。
「それじゃあ、彼女が長嵜エミリで、あっちのブロマイドが永海サチ。あっちは名前を呼んでも出てこなかったっすからね」
女は何も言わないがこちらに近づくこともしない。煙草を片手に彼女を睨む怪力女を警戒しているのか、名前を呼んで出てくるかどうかを長嵜エミリの識別基準に掲げた猿田の阿呆ぶりに呆れたからかわからない。
どの道このままじゃ何も進まないのは明らかだ。手元の煙草はまだ燃えている。
「一発かまして悪かったが、少し話を聞かせてくれないか? 人を探しているんだ」
もう一歩踏み込むために、謝罪をしてみると、背後で猿田のため息が響いた。そこはせめて同調してくれよ、サル。
―――――
人捜しなんて、オーソドックスな依頼ですね。
先に感想を述べたのが猿田か自分か、記憶は定かではない。並べられた3人の写真の共通点に辟易していたからかもしれない。
永海サチ、22歳。幼児体型、柄物のワンピース。かわいいの範疇にいそうな雰囲気なのに写真では街頭で大道芸を披露している。両手と右足で今日に竹串を操って皿を回しているらしい。
琴沖鳩。19歳。長身。高校の制服で撮影した大学の入学式。隣に立つ母親らしき女性の破顔が、本人のしかめ面と対称的だ。成長期をへた彼女の身体には制服は窮屈で、選択を間違えたとしか思えない。少なくても琴沖本人にとっては。
斉藤波絵、23歳。両手で本の山を抱える彼女の写真は、勤め先の本屋で撮影された。宣材写真だというが、伏し目がちな表情のため採用されなかった。赤いエプロンの首元にはシベリアンハスキーの編みぐるみ。失踪直前に本人が作ったものらしい。編みぐるみの話をする彼女は別人だったと同僚たちは語る。
年齢は近しいが外見は異なり、勤め先や学校といった行動範囲も違う。
それでも三人の捜索がまとめて1つの依頼なのは、前任の探偵が優秀だった。あるいは探偵が偶然にもクスクスの言葉を受け入れられる気質だったからだ。
「それはどちらも優秀と同義ですよ。個人的には彼女も見つけ出したいですが、残念ながら、本件に割ける予算がない」
前任の探偵の行方は知れず、三人の捜索依頼は宙に浮いたのだと語るのは言澱茂(コトオリ―シゲル)。譲葉たちに仕事を持ってくる仲介のひとりで警察官だ。もっとも彼の仕事内容は一般職員と異なっている。
言澱は相変わらずの無精髭をなでながら宙に浮いた失踪人探しを譲葉たちに引き継いで欲しいと語るが、彼は依頼人ではないし、この依頼が解決しなくても一向に困らないとも話す。
「これは偽善事業です」
「慈善ではなくて?」
「次善ではありますが、慈善とは違うでしょうね」
例に漏れず、ややこしい言い回しをする。手元の紙に走り書きをしなければ伝わらない表現を使うことに何の意味があるだろうか。
「あなたたちにはお伝えしても害はないでしょうが、前任への依頼は県警から出されたものです。彼らは
琴沖鳩を探しているんです。本件とは別の重要参考人なんですが…その顔を見るにお二人とも名前は聞いたことがあるようですね」
琴沖という名字は珍しいし、事件の報道も印象的だ。
「行方不明と報道されているが、そもそもあの事件はG県の管轄だろう。この街の警察が興味を持つのは不自然だと思うが…県警というのはG県警なのか?」
言澱は、口をへの字に曲げて、ひぇぃと奇妙なくしゃみをした。
「的確な指摘ですね。依頼主はG県警ではなく、この街を管轄しているS県警です。彼らが探偵を雇った理由の1つがこれです」
「つまり、独自の理由で琴沖鳩を探しているのか」
「譲葉さんは話が早いですね。加えて言えば、彼らはS県警に協力要請や情報提供も求められない。要するに、彼女が必要な理由を説明できないんですよ」
警察が説明できず、依頼の管理そのものが言澱のところにおりてくるような事情。
「もしかして、この街にも出たのか。動物頭が」
動物の被り物をした大男。それは、琴沖鳩の名が知れ渡ったある事件の犯人の似姿だ。
事件当時、琴沖を初めとする数人の大学生が、犯行現場で大男を目撃したと語るが、警察はこれらの証言を採用しなかった。いずれの目撃談も防犯カメラには該当の人物が映っていなかったのである。
「琴沖鳩だけが、カメラの死角で大男を目撃した。故に、彼女は県警の捜査において証言を翻さなかった。結局、琴沖の目撃談の真偽を図る前に彼女自身が行方を眩ませてしまいましたからね。マスコミが何と騒ごうと、S県警は動物頭の容疑者の線は採用できない。しかし、他県の同僚たちの建前がそうだとしても、実際に現れてしまったものは仕方がない。
動物頭について詳しく知っている、そしてS県警が居場所を把握していない唯一の証人、琴沖鳩に頼るしかないでしょう」
「無視すればよかったんじゃないですか。S県警も証言は否定したんでしょ」
「全く、猿田くんは酷ですね。G県警内では無視をするのも難しいんですよ。なにせ、動物頭と遭遇したのは警官なのでね」
依頼の経緯はわかったが、全くもって面倒な話じゃないか。譲葉は敢えて何も言わず言澱を睨み付けた。
「初めに興味を持ったのはあなたでしょう? それに、ここまではあくまで背景の話。僕の依頼は手段の話。前任は琴沖の足取りを追ううちに自分が依頼を受けている別件との類似性に気がついた。
何が類似しているかは聴かないでくださいね。僕もいまひとつわかっていませんので。ともかく、彼女は琴沖鳩を含む失踪者の捜索を始めたわけだが、残念なことに彼女自身も行方がわからなくなった。
だから、僕は、彼らが失った手がかりとちょっとした経理上の問題の処理に手を貸すことにしたのです」
「だから、では繋がんないだろ、その話」
「まあ、いいじゃないですか。それで、どうです? 手伝ってくれますか? 報酬ははずみますし、前任者が優秀なので調査は楽だと思いますよ」
言澱のこの発言を軽くしか受け止めなかったことを、譲葉は後悔している。
ほんの少しだけ。
―――――――
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