虚家2

 正面からみたビルは狭小で美容室を営むには手狭に見えた。ドア1つがようやく収まるような幅の建物をみたのは随分と久しぶりだ。

 押し入るように侵入した譲葉と後を追う男に続き、ビルに侵入する。二人はドアの奥に見えていた階段ではなく1階の奥へと進んでいく。そんな幅があるのかと目を疑ったが外観と違いビルは左側に膨らんでおり、1階の奥にも部屋がある。どうやら旗竿状の土地を埋めるように建てられたらしい。

 奥の部屋に明かりが灯り、譲葉を非難する男の声が響く。無理やり押し入ったことを詰っているが、永海サチの名前のほうが彼には大事だろう。

「おや、本当に美容室だ」

 部屋に踏み込むとパーマ剤の匂いが鼻をくすぐり、三台のバーバーチェアとシャンプー台が目に入る。思っていたより普通だが、どちらかというと理髪店のような気もする。

「勝手に触らないで、あんた迷惑だよ」

 男は、猿田に背を向けて、部屋の奥に立つ譲葉に文句を付けている。内容は正しいので頭が痛いが、譲葉本人は男を気にすることなく部屋中を見回す。そして、猿田と同様にバーバーチェアの背後、部屋の入口右側の壁で視線を止める

「いいね。ああいう髪型のセットできる?」

「できるわけないだろ、あんたショートなのに」

 なるほど。つまり壁に貼られた写真の女性はロングヘアなのか。

「ウィッグとか工夫のしかたはあるじゃない。パーティーにボブカットは似合わないと思っていてね」

「ならカツラを被ってくれ。これ以上居座るようなら呼ぶもの呼ぶぞ」

「そんな。私はただの客なのに心外だよ。それに、永海サチだって店に来たときはショートカットだったんじゃないのか」

「だから誰なんだよ永海サチって。それと、店内禁煙だ今すぐ煙草を消せ」

 男は度重なるかみ合わない会話に苛ついていて後ろに立った猿田に気づくそぶりすらない。譲葉は左手に挟んだ煙草の煙をくゆらせ、彼の忠告を無視してバーバーチェアへと近づいた。

「あくまで知らないと言い張るんだ。それとも名前と顔が一致しないのかい。彼女はいかにもあんた好みだと思ったが」

「初対面の客に知らない女の話されて趣味を語られる筋合いはない」

「それはごもっとも。それに私じゃ君の好みに合わないだろうしね。店の前にいた彼女だけなら閉店でも招き入れたんじゃないか。

 私と違って御しやすそうな疲れた顔だったろう。それに彼女は着ぶくれするタイプだ。スタイルもいい」

「あんた、本当にっ」

「彼女はね、門真亜里砂って言うんだ」

 声を殺して前に出た男の首筋が、一気に赤く染め上がった。

 顔の映らない女性モデルの写真に、行方不明の女の名前に反応する男。少々やり過ぎだが確証はとれた。

「あんた、琴沖ハトという女も知らないか?」

 名前に反応したか声に反応したかは定かではない。猿田は勢いよく振り返る男の顔を平手打ちした。

 男の両腕に絡め取られないよう半歩下がってから、バーバーチェアの側による。男は勢いが余ったのかたたらを踏んで猿田の立っていた位置まで進み、左右に首を振った。

「くそっ、なんなんだお前ら。勝手に電気を消すな」

 男の言葉に反して、室内は明るい。譲葉も猿田もスイッチから離れているのだから、明かりを消すことなどできるはずがない。

 猿田がわめきうろつく男から距離をとり、シャンプー台の横まで下がると、譲葉がたばこを加えたまま手を叩いた。

「今のは手際が良かった、サル。あんたはツイてないな。いくら探したって電気は点かないよ」

「どこだ! くそっ、なんでこんなに暗いんだ」

「さあね。女を値踏みしていたから罰が当たったんじゃないか?」

「知らねぇ。おれは、永海サチだと琴沖だとは知らねぇし、お前らも会ったことがない。これ以上、店内で」

「そう? なら、長嵜エミリは知っているか?」

 長嵜エミリ。その名が出た途端、室内の空気が重たくなる。電灯がちらつき、窓ががたついて喧しい音を立てる。男は叫ぶのを止め、両肩を前に出して腕を垂らす。彼が大きく首を回すと、平手打ちでずれたサングラスが床に落ちた。

「長嵜エミリだって?」

 怒気が抜けた代わりに声はしゃがれ、絞り出すように彼女の名前を呼ぶ。見えていないはずの目で部屋中を見回す彼の瞳には白い三角形が写り込んでいた。

「知らないね、そいつはまだ長嵜エミリじゃないから、誰も長嵜エミリを知らない」

 男の説明は要領を得なかった。だが、猿田はこの部屋でもっとも長嵜エミリに近いものはそれであると確信した。

 右壁に掛けられた絵の中の女性が、大きく伸びをし、その手をこちら側に飛ばしている。猿田たちの現実と絵を切り分ける境界が、男の言葉と共に崩れていく。

「なんだよ、知ってるんじゃないか」

 譲葉が男を詰ると、バーバーチェアを踏み台にし、の前へ躍り出るのはほとんど同時だ。バーバーチェアが立てた大きな音に、男が反応するのを見て、猿田は咄嗟に男に近づいてベスト手をかけ、力任せに引き倒した。床に突っ伏し情けない声を上げた男の背中を踏みつけて動きを封じる

「悪いな、あんたの安全のためなんだ」

 男の耳に届かないとしても一応言い訳はする。呪うなら、俺ではなくて気味の悪い女に憑かれた自分自身を呪ってくれ。

 猿田は写真からほぼ全身這い出ている顔のない女を前に、そう祈った。

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