偶像

 長嵜エミリのことを初めて知ったのがいつだったのか。正確なことは思い出せない。

 ファッション雑誌NOWの専属モデルとして紙面を飾っているのは1年から1年半ほどだと思う。若干曖昧なのは、自分でNOWを購読しているわけでなく、仕事帰りに立ち寄るブックカフェで手に取っているからだ。

 実を言うと、NOW自体、長嵜エミリが掲載される前に手にとったことがあるのかもわからないし、バックナンバーを追いかけたこともない。

 そもそも、今の生活ではファッション雑誌に載る服を買いそろえる余裕はないし、何よりも着て歩く機会がない。それに、どうにもファッション雑誌というのは長身の女性には優しくない気がしてレジまで持っていこうとは思えない。

 結局、読みたいものも見つからないとき、手慰みのように手に取るジャンルの一つに留まっている。手に取る雑誌も決めていないので、日によってやたらにビジネスシーンを意識したものから、ティーンズ向けのものまでばらばらだ。中身はほとんどどうでも良くて、ブックカフェにいる時間を無駄にしないという言い訳のためだけに、できるだけゆっくりとページをめくっている。

 NOWも、そのうちの一つだ。現在の女性のファッションを捉えるというキャッチフレーズらしく、毎月、日々の生活でのお洒落を提唱している。題目にあげる企画は目立たないし、紹介されている衣類もハイブランド品とファストファッションが混在していて、スポンサーが不満を述べないのか疑問付が並ぶ。他の雑誌もそんなもの……だったろうか。

 そんな若干不思議な雑誌の続刊を待ち望むようになったのは、長嵜エミリの日常という企画がきっかけだ。

 長嵜エミリ、24歳。大学卒業後、書店でアルバイトをし、余暇ではストリートダンスをして生活をしていたという。長い両手両足が映える切れのあるダンスは地元では有名だったという。NOWのカメラマンが、夜の商店街でやたらに綺麗なダンサーがストリートダンスをしているという噂を聞いて現地に赴いたのが、長嵜エミリ発掘のきっかけらしい。

 もっとも、ストリートダンスを終えるとあっという間に消えてしまうため、ダンス中の彼女に声をかけることはできなかったという。後々、判明することだが、長嵜エミリにとってはストリートダンスはあくまで趣味であり、誰かに評価されるとは思っていなかったという。彼女のダンスに投げ銭をしてくれる通行人はいるが、それらの投げ銭は次にダンスをする際に観客向けに渡すお菓子代に消えている。彼女自身、投げ銭を始めたのはお菓子代のためで、お菓子を食べながら時間を潰したい人が集まってくると思っていたというインタビュー記事がある。

 NOWのカメラマンがこの謎のダンサーを見つけたのは偶然だったらしく、長嵜エミリもダンサーと同一人物と指摘されたのはカメラマンが初めてだと語る。

 これらのインタビュー記事に偽りがないと感じるほどに、長嵜エミリをモデルにした写真には“彼女自身”がいない。端整な顔立ち、均整のとれた肢体は大抵の衣装にマッチしており違和感がない。美人なのは間違いないのだが、どんな企画も最後に印象に残るのはファッションであり、着こなした彼女自身のことは曖昧模糊として思い出せない。それでいて、長嵜エミリがモデルをしたことだけは記憶に残るので、次の企画が掲載されたときも手に取ってしまう。

 ファッション雑誌のモデルのために生まれたような人物ともいえる彼女について、1度だけ、ブロマイドの企画が持ち上がったことがある。NOWに掲載されたもののなから、長嵜エミリの許可が出たものから順に30種類。葉書サイズのブロマイドとして売り出されたのだが、取扱店は少なく見つけるのはとても難しかった。

 偶然にも、ブックカフェの近隣書店で1枚取扱があったので購入したのがテレビ台の上に飾ったブロマイドである。


―――――

「父がやっていた店なんですけれど、先月亡くなってしまって……私たちは仕事がありますし、帳簿を見ても、この店は到底継げないなと思ったんですよ」

 薄暗い店内で、スーツ姿の男性はそう語った。入口には閉店セールと貼り紙が貼られていたが、客は一人もいない。閑古鳥が鳴いているというにふさわしいが、残念なことに店内の棚にはまだ多くの書籍がある。

「そもそも、立地が悪いんでしょうね。少し先にはマルハチビルがあるでしょう。あそこのブックセンターにいけば大抵の物は手に入るし、検索もできれば店内も明るい。僕も客ならこっちじゃなくてブックセンターに行きます」

 男性は世間話をしながらもせっせとカウンター奥の書類を仕分けしている。

「それじゃ、ここの在庫は全部処分?」

「ええ。といっても書店の在庫なんてどうやって処分するのだか。売り切りセールをやってもはけないですし、出版社によっては返本ができるらしいのですが、返本の方法も対象の在庫リストも見つからなくて。父は書類整理が苦手だったんですよ。前は叔母に頼んでいたんですが、2年前に先立たれてからはめちゃくちゃになっていたんでしょうね」

「そりゃ大変ですね……」

 問題のブロマイドをどこから仕入れたのかなどという情報はおよそ出てきそうにない。猿田はカウンター横のガラス棚を覗きこんでいた譲葉の顔を見た。

 門真からブロマイドの販売先を聴きだしたのは譲葉なのに、店主の息子との会話は猿田に任せっきりだ。

「あの、そんな忙しいところ申し訳ないんですが、ちょっと探しものをしていて」

「ん、別段構いませんよ。僕も誰かに話を聞いて欲しかったんだ。でも、見てのとおりの大衆向け個人書店だ。希少本はたぶん置いてないですよ」

「まぁ、そういうものではないので大丈夫です」

 門真の部屋で撮影してきた写真を男性に見せると、そのタイミングで譲葉が猿田を押してカウンターに身を乗り出した。

「この写真の女性、どうです?」

「ど、どうですって……え? え?」

 譲葉の勢いに押されて、男性は携帯の画面と譲葉の顔を何度も見比べる。

「えっと、もしかして、これ……この人、なの?」

 返答は譲葉にではなく、猿田に対してだ。気持ちはわかるがそれだと足りない。首をかしげてみせると、男性は眉を下げた。

「いや、困りますよこういうの。僕には変わった写真ですねとしか言えません」

 しばらく悩んだ末に男性は比較的無難な回答をひねり出した。同じ立場なら猿田も似た回答をする。綺麗とか好みなどという評価を述べるのも躊躇われる。何の落ち度もないのに辛い質問をされている男性には少しだけ同情する。

「ていうか、なんなんですか。探しものって、本じゃないの?」

「ああ。この写真というか、ブロマイド? の仕入れ先を探しているんですよ。どうも、この店で買ったと聴いてね」

「ブロマイド?」

 男性は、猿田の説明に納得がいかないらしく、再び携帯の画面を注視した。十中八九、彼には写真が猿田らと同じように見えているはずだ。

「ここの棚、売っていたのは本じゃないでしょ。棚の作りからして本は飾れそうにないし、キーチェーンとかポストカードとか扱っていませんでした?」

 譲葉がさっきまで覗きこんでいた棚を指差す。何もない棚を見つめていたのはこのためらしい。

「ええ。父が死んだときは漫画のキャラクターグッズが並んでいましたよ。最近は本屋でもよく見かけるでしょ。でも、写真は置いてなかったと思うな……それに、本当にそれはブロマイドなんですか?」

「おかしいか?」

「いや……おかしいというか」

 当然のように振る舞うと、男性は目を逸らす。

「大丈夫、この写真は姐さんじゃない」

 彼を虐めるのが目的ではないので助け船を出すと、譲葉が小さく「ちぇっ」と悪態をついた。男性は、猿田の助け船に目を丸くし、大きなため息をついた。やはり、彼はこの写真の被写体が譲葉である可能性を排除できなかったのだ。

「あ。そうなんですか。この写真じゃ全然わからなかったから」

「そうか? きちんと私をみていれば」

「客の体型をじろじろ見ていたらそれはそれで気持ち悪いでしょうよ」

「そうですよ。まぁ、ともかくこれじゃ顔がわからないですし、あんな迫力で迫られたらもしかしてこの人なのかなって疑いますよ」

 確証はとれた。やはり、ブロマイドに顔が映っていると思っているのは、門真亜里砂のみだ。

「それで、親父さんはブロマイドは売ってなかったんですか?」

「どうですかね。在庫の管理がなってなかったのは本に限らないから……まあ買った人がいるならウチで扱ったんだろうけれど、でもその写真は棚には並べづらいだろうね。まるで心霊写真だ。客が嫌がるよ」

 顔のない女の写真がカウンターにならんでいたら、猿田も違う本屋を探す。

「なるほど。店主は物好きだったわけだ。ちなみにこの店、ファッション雑誌は取り扱ってる?」

 譲葉の出した結論に、男性は少し物言いがあるようだが、話題が逸れたので深く突っ込まずにカウンターから出てくる。新刊はないけれど…と前置きを付けながら雑誌コーナーに譲葉を連れて行く様子をみると、ビジネスとはいえ、人が善い男なのだと思う。

 譲葉の無茶な物言いに付き合わされるのは大変だろうが、恨み言は奇妙なものを販売した父親の墓前にでも吐いて欲しい。


 門真亜里砂が長嵜エミリのブロマイドを購入した書店と、彼女が雑誌NOWを読んでいたというブックカフェは距離にして1キロ弱。ブックカフェは書店の息子が嘆いていたマルハチビル内ブックセンターに併設されている。

 ブックセンターから門真の職場までは電車で三駅。彼女がマルハチビルに立ち寄るのは、ここが自宅行きの電車への乗換駅だからだ。

「偶然。なんですかね」

 ブックセンターの在庫検索も終えて、猿田たちは門真との待ち合わせ場所に向かう電車を待つ。この街には馴染みが薄いはずなのだが、ホームから見える景色にはもう随分と慣れたように思える。

 門真亜里砂に会う前から、街に来る度にこの駅を通ってきた効果だろう。

「どうだろうね。私たちはここをよく使っていたが、この街の中心ってわけではないだろう。クスクスに聴いてもこの辺は外れらしいし、彼女がここで乗り換えるのはこの駅が基幹だからというより、職場と自宅の位置のミスマッチが原因だ」

「このルートを通ろうとする人間はそんなにたくさんいない?」

「少なくてもここで乗り換えは少ないんじゃないか。マンションやアパートも多いし、マルハチビルも、本屋のあった商店街も、地元向けって感じだ。外から来る客に大きな期待はしてないだろう」

 何よりも、この美容室がここにはない。譲葉はそう言って門真の家に届いたダイレクトメールを取り出す。確かに、モデルが使っているという体裁を示す美容室は人通りの多い場所に出店したがるだろう。だが

「さすがにこじつけっぽくないすか?」

「やっぱり? まあ美容室の出店位置はともかく、この駅に私たちが来たのは3回目なのは確かだし、路線上にこの美容室はある。長嵜エミリというモデルの話は初耳だったけれど、概ね当たりだと思うね」

「その自信って今日の星座占いが根拠っすか」

「いや、彼女がファッション雑誌をブックカフェでしか読まないって言ってたからだよ。私たちも、すっかりあのブックカフェの常連じゃないか」

 まあ、確かに。

「本好きが集まるのは大抵決まってるっ話っすかね」

 ホームに電車到着のアナウンスが流れる。確かに、大型のブックセンターやテナントが入った駅ビルがある割に、ホームに並ぶ人は少ない。

「手頃な人間を探すには、何事も半端が丁度良いって話さ」

「今の表現は慎んだ方が。地元のかたに狙われますよ」

 譲葉の反論は、駅に入ってくる電車の音でかき消された。どうせろくでもない言い訳をしたに違いがないが、この乗降口に並んでいるのは猿田と譲葉だけだ。彼女の言うとおり誰にも悪態は聴かれていない。

 人気がないまではいかないが、他人に話は聞かれない程度に空いている。確かに、譲葉のいうとおり、他人を物色するにはほどよい環境ではありそうだ。

「だからといって、目を付けられて良い理由にはならないと思うんですがね」

 少なくても、門真亜里砂にはあのような督促状の山が届く筋合いはない。


――――――

 長嵜エミリのブログを読んだのは3ヶ月前くらいだと思う。たまたま、本当に偶然。その日はあみぐるみの本が欲しくてブックセンターに行った。

 そう! 半年前くらいからあみぐるみに嵌まってて、編み物なんて初めてだから最初は全然かわいいのできなくって。ようやっと形になってきたけど、私が作ると不細工な子しかできないから、ブックセンターで何か良いお手本がないか探してたの。でも、これって本がなくて、一応、来たからにはとおもって一冊買ったけど自信がないなって思ってカフェに寄ったんだよね。

 そしたら、ほこにたまたま長嵜エミリのブログ宣伝のポストカードがあってね。そう、NOWって書いてある奴。それをみてから長嵜エミリのファンなんです!

 だって、私と一緒で最初は熊なのか人なのかわかんないあみぐるみができたって記事から始まってて、工夫がたくさん書いてあって、今では本に載ってるようなかわいい作品たくさん出しているんだよ。

 同じ人だなんて思えないし、すごいなって。まね? うん……ブログをみて真似はしてるつもりだけれど、うまくはならないんだよね……だから、もしかしたらここで長嵜エミリさんに会えるなら!

 コツ? みたいなの聞けたらいいなって思ったの。え? ここの場所? ほら、ブログに書いてあったじゃん。長嵜エミリさんがよく来るって。

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