訪問

 門真亜里砂の自宅は、確かに運転免許証の住所にあった。ポーク玉添304号室。パーク、あるいはコーポと間違えたのか豚の名を冠してしまったアパートの入口には、建物名と豚のイラストが彫られた表札が掲げられている。茶目っ気をだそうと苦心したのか、写実的な豚が上唇の端を下で舐めている。客観的な評価はさておき、猿田としてはオーナーのセンスを受け入れがたい。

 建物の両端には二つの集合入口があり、それぞれに各階入居者のポストが備えられている。建物の中央の部屋を起点に左右にポストが振り分けられているらしい。門真によれば、この他に部屋の扉にも備え付けの郵便受けがついており、新聞などは部屋まで届けられるのだという。

 もっとも、304号室の集合ポストは、門真自身の手によって青い養生テープで投入口が塞がれている。何重にも貼られたテープのおかげで投入口に何かを入れることはできないし、テープを剥がさずにポストそのものを開けることも不可能だ。必然的にあらゆる郵便物は304号室の入口ドア郵便受けに集中する。

 集合ポストに届く督促状の山に耐えられなかった門真の心境に寄り添うべきか、集合ポストを塞いだ結果、部屋に直接督促状が届くようになり事態が悪化したことを憐れむべきか。正常なポストに並ぶ304号室のポストを前に、猿田は胸に重石を乗せられたような気分になった。

「サル、これどう思う?」

 譲葉は、しかめ面の猿田の横で304と他の部屋のポストを注意深く見比べている。彼女が注目しているのは304の異常さではなく、郵便ポスト全体に残っているかもしれない痕跡だ。胸中は重たいが、猿田も同じものを探している。

「見る限りマーキングはないっすね。まあ、口座引落の請求書と督促状を送りつけるのにマーキングは不要っすからね。やるならもっと前段階で情報を抜ける方法にするはず……っと、そうでもないんですかね」

 その場にしゃがんだ深い理由はない。ただ、しゃがみ込み下からポストを眺めると、304号室のポストがある列の真下に見覚えのある落書きがあった。

 集合玄関の外で待つ門真に気づかれないよう、猿田は半歩譲葉に近づき、白いコートの下の脚をつつく。

「姐さんはそのままポストの上を見ていてください。俺が写真撮ります」

「レディの脚を突然触るのはいただけないな」

「なんども立ったりしゃがんだりしてたら怪しいし、細かく話したら姐さんまでしゃがむでしょうよ。それに、姐さんの脚に興味ないっすよ」

「それもそうか。いや、今のはどういう意味だ」

 妙なところで引っかかる譲葉は無視して、携帯をポストの真下に掲げ、カメラを起動する。スマートフォンに替えてからは、画面側にもレンズがあるのでこういうときに助かる。画面を見ながら真上の落書きに焦点を合わせ、シャッターボタンを押すと、パチリと軽快な音が響いた。

 盗撮防止のためとはいえシャッター音が消えないのは不便だ。こういう不満が積もって世の盗撮魔が撲滅されるとよいのだが、残念ながら現実はそこまで単純化されてはいない。

「同じか?」

「エジプト文明好みの美人画だ。同じっすね」

 ポストの端に描かれた、5センチ四方の女性の横顔。黒いペンで書かれており着色はないが、イラストのタッチはエジプトの壁画を思わせる。但し、一般に写真で見かける壁画と異なり、落書きの目元は布で覆われ隠されている。更に、唇の横には小さな目。

 同じ落書きをみたのはこれで4件目だ。

「どういうことなんですかね」

「初の生存者、あるいは偶然このアパートも現場だった。そもそもこの落書きは全くの無関係だった。

 いずれにせよ、情報が少なすぎる。ずっと外で待たせているのも気がかりだし、まずは304号室を確かめることにしよう。私が門真さんを呼んでくるから、その間にクスクスに絵を見つけたことだけ教えておいてくれ。あとは奴に任せよう」

 譲葉が集合玄関を出たのを見計らって、猿田は立ち上がり、ジーンズを叩いて両手を払った。わからないことは後回しだ。

――――――


 扉を開けると一面が督促状に塗れ、足の踏み場もない状態の部屋。門真の話からそんな室内を想像していた。だが、現実はもう一段階先を行く。三階の廊下についたとき、端から見ても一目瞭然な304号室の様子を見て、猿田は自分の想像力のなさに驚いた。

 門真亜里砂が部屋を出て3日、304号室に届いた督促状は郵便受けの容量を越え、304号室の前には郵便受けからあふれた請求書、督促状が無造作に散らばっていたのだ。

 こんな状況が続けば、早晩、彼女の心は折れてしまうだろう。だが、たった3日でこれほどまでに請求書が届くことがあるだろうか。

「消費者金融の追い込みってこんな感じですかね」

「追い込みを見たことがないのかい?」

「幸いながら。姐さんは?」

「昔ながらの沢山の貼り紙は見たことがあるが……そもそも個人宅に一週間も経たずにこんなに多様な封筒や葉書が届くことはないよ」

 腕組みをしてじっと廊下をにらむ譲葉と、その後ろで右手首を掴んで青ざめる門真。二人に先行するように促すのは難しい。猿田は304号室の前まで進み廊下に散らばった書類を手に取った。

 間近で見てみて、改めてこれらの手紙は異様だという感想を持つ。廊下の端から書類を見たとき、封筒の形、色、表面に押されたスタンプの形。あらゆる情報がこれらは請求書、督促状の類だと思った。

 しかし、手に取ってみれば住所以外の記載はデタラメで、まともな書類は一つもない。まるで漫画やアニメの背景美術だ。

 床に散らばった封書を拾い集め、ふとその中の1通を選んで、背後の門真に見せる。どこかの自治体が使っている水道料金の請求書の封筒に似ていたからだ。

「門真さん、 これ何の請求書?」

 女性の部屋の前でしゃがみ込み、封書を突きつける男。女の後ろには腕組みをして彼女を見つめる白スーツの女。これじゃあまるで猿田と譲葉こそ追い込み中の消費者金融だ。

 猿田がぼんやりと自分たちの見え方を考える間も、 門真の視線は封書の上を何度も往来する。ネットカフェ で電話を受けたときも彼女の目は同じよう動いた。

「ココノハマチデンキショウリョウ支払のお願い、ココノハマチ電気利用組合からの請求書。ですよね」

「なんだって?」

 門真の横からのぞき込む譲葉が眉をひそめたのを見るに、この紙に住所以外の文字があると思っているのは門真亜里砂だけだ。

「門真さん、ちなみに私は読み方がわからないのだけど、宛名は読めるかい?」

 譲葉が封書の窓部分を示すと、彼女は再び左右に素早く視線を動かした。

「豌ク豬キ繧オ繝�」

 電子音を模したような発音に、猿田は譲葉と顔を見合わせた。

「あの、何か変ですか? 私はこんな人の名前は知らなくて、でもこうやって請求書が届くんです。そして引落口座は私の名義なんです」

「あ、ああ。私たちもそれを疑っているわけじゃあない。室内にも似たようなものがたくさんあるんだろう。部屋を見せてくれないか?」

 譲葉がなんとか取り繕い、門真を扉の前に立たせる。門真は鍵を探して玄関の前でバッグを漁り始めた。

「姐さん、これ結構ヤバい話じゃないっすか?」

 猿田の問いに譲葉は口をゆがめる。

「大丈夫だ。幸いにも今日の私はツいてる」

「何を根拠に」

「今朝の星座占い」

 頭が痛いやりとりをしているうちに、門真は鍵を探り当て、玄関の扉を開いていた。猫背のままで立ち上がると、譲葉が景気よく猿田の背を叩いた。

「怖がっていても始まらない。自宅訪問だ」

 ――――――――


「思ったより綺麗っすね」

 口から出た言葉が悪く、リビングへ案内している門真に対して頭を下げた。公衆電話の前にいた門真の様子、304号室の前に散らばった書類から、室内も相当散らばっていると思っていたのだ。

 ところが、玄関を入ってみれば、1LDKの居室はどこも生活に最低限の家具が並び、床や棚に書類や小物などが散らかる様子もない。台所も綺麗に片付けられていて、三角コーナーに生ゴミすらない。

 部屋で一週間を耐えるのは無理だと行って、公衆電話を張り込んだ人間の居室とはとても思えなかった。

「せめて部屋のなかは綺麗にしておかないとダメになりそうで、部屋に戻ってきたときに必死に片付けたんです。でも」

「数時間かけたら片付いてしまった?」

「ええ。それで、やることがなくなったら耐えきれなくなってきて」

 筋は通っている。だが、3日でポストからあふれるほどにやってくる封書の山はどこにいったのだろうか。

「それなら、カウンターの上です」

 門真に促され、キッチンカウンターを覗くとA4サイズの書類を保管できるファイルボックスがいくつも並んでいた。どの箱もぎっしりと書類が詰め込まれていて、書類の合間にインデックスが挟まれている。インデックスき書かれているのは日付で、箱には”知らない宛先”と“自分のもの”とラベルが貼られている。自分のもののボックスが1つで、かつまだ余裕があるのに対し、5つ並んだ知らない宛先ボックスはどれもほぼ満杯だ。先ほど拾った封書分が入るのかも怪しい。

「ちなみに、これ届くたびに全部開けてしまっていたんですか?」

「はい。猿田さんに集めてもらったほど1日に届くことはないんですが、それでも大量なので自分の書類が混ざっているかもしれませんし。宛名だけ確認して廃棄でも良かったかもしれませんが、開けたところで状況は変わりませんから」

「えっと、これっていつから届いたんですか」

 質問を続ける譲葉の頬は引き攣り、首が少し右に傾いていた。片付けが苦手な譲葉からすれば、根気よく見知らぬ宛先の手紙を開封するのは変人にしか見えないだろう。

 もっとも、猿田も譲葉の反応に賛同する。何より廊下の書類を見て震えていた彼女が封書を開封していたと平然と語るのが解せない。 

「2ヶ月……先週繁忙期を過ぎたから、だいたい3ヶ月くらいだと思います」

 今度は猿田が耐えられなかった。はぁ?といつもより高い声を上げてしまい、門真が驚いて飛び上がる。額に手を当てているが譲葉も絶対同じ反応のはずだ。

「サルは驚きすぎだよ。門真さん、驚かせてすまない。ただ、私も3ヶ月は予想していなかった。そんなに書類を受領していたら、何度も妙な引落しをされていたことにならないか?」

「そうですね。たぶん引落の回数なら4,5回は。2回目のあとで銀行で確認したんですがどうにもならなくて、3回目のタイミングの前に口座から全額預金を引き出しました。定期預金も解約してます」

「なるほど……。大変でしたね、弁護士や警察に相談するとか、この手紙を送ってくる相手を探すようなことはしなかったんですか?」

 譲葉の質問に、彼女はほんの少し返答を迷い、言葉を濁す。

「仕事が詰まっていたんです」

「毎日書類を選り分けて、銀行で引き出したり解約するのはできたけど、そこまでしかできませんでした。銀行の窓口で督促状の宛名を私の名前だと指摘されたのも引っかかっていたんだと思います。この書類が自分宛じゃないと思っているのは私だけなのかなって。

 だから、ひとまず預金を下ろして現金で保管しようと思ったんです。でも、全然不安は消えなくて、それでようやく2週間仕事を休む決心がついたんです」

 なんという話だろうか。自分の生活が見知らぬ誰かに侵されている。相手は未知の方法で口座の現金をかすめ取っていくのだ。猿田には仕事など放り投げてでも対処すべき事項にしか思えないし、門真がギリギリまで周囲に助けを求めなかったことが理解できない。

 仕事が忙しいのか? と問うと忙しかったのは確かだと話すが、他方で門真に降りかかっている自体の概要を伝えたら、真っ先に休んで解決しろと言われたらしい。話を聞く限り、彼女が休むことを躊躇していた理由がわからない。

「もともと有給消化が必要でしたし、皆さんに心配されているくらいで」

「なるほど。 それは幸いでしたね」

 譲葉は相づちを打ちながら部屋を見渡しているが、猿田は耐えきれず部屋の隅々を確認することにした。会話は譲葉に任せれば良い。

 家具や小物に目を向けてみると、整頓されているとはいえ、門真の生活がおかしくなっていることはわかる。例えば、壁掛けのカレンダー。2ヶ月前のままの表示だが、先月も今月もめくってみれば予定が書き込まれている。もっとも、そこにあるのは会議や納期のスケジュー ルばかりで、 門真のプライベートらしき予定はない。

 見渡せばダイニングテーブル上のノートパソコン、テレビ台の上の写真立て以外に机上や棚の上に出ている物はない。必死に片付けをしたと言っていたが、ここまで物がなくせるなら、元から持ち物が少ないのではないか。

「カメラが仕込めそうなものもないし、盗聴は確かめてないですが、口座情報を音で拾うのは無理があるっすよね」

「同感だ。ちなみにパソコンに口座情報登録したりはしていますか?」

 門真は首を横に振る。クレジットカードを1枚登録しているが、それ以外は特にウェブを使った決済はしていないという。

「それじゃあやっぱり早いのはこの書類を見ていくことだね。門真さんと私で中身を確認する。サルはもう少し細かく部屋を見てくれないか。ええっと、下着とか入ってる棚は開けさせないし、開けたらしばいておくんで、その分担でいいですか?」

「構わないです。服は寝室の棚なので、最後に見ていただければ」

 門真の許可も出た。猿田は二人の会話から外れて部屋を見て回ることにした。門真に見えないように、背中に回した手でピースサインを作る譲葉に、猿田は小さく頭を下げた。

「さて、このファイルは日付順ですよね」

「そうです。あ、ただ、一番古いファイルは部屋を出るときに倒してしまったので少しばらついてるかもしれません」

「なるほど。それじゃあ辛いかもしれないけれど、初めの箱の整理からしましょう。最近の書類よりも増え始めた頃のほうが手がかりが多そうだ」

 書類探しは譲葉に任せ、猿田はテレビ台に置かれた写真立てを手に取った。リビングで唯一、門真亜里砂のプライベートに近い印象を持ったのだが、飾られた写真は謎だ。

 写真に収められたのは街頭に立つ女性。長身の門真に比べると写真の女性は小さい。足もとには自立させたスケッチブック。 女性は両手を広げ、通行人に向けて何かを訴えかけるような姿勢を取っていた。

 市民運動の類だろうか。珍しくて撮影した? だが、わざわざテレビ台に飾るような価値があるだろうか。酒の話題かSNSに投稿するくらいだろう。

 何よりも疑問なのは、女性の顔が白飛びしていて見えないことだ。これでは人相がわからず飾っている意味がない。飾り枠は養生テープで固定されていて、写真を取り出せばすぐにわかる。飾り枠が壊れているのか、来客に開けられたくない事情があるのかは定かではない。

 書類整理に集中し始めた譲葉たちに割って入るほどのことか迷うところだ。


――――――

 電気料金、ガス料金、家賃、クレジットの利用料、後払い式の通販の明細、門真亜里砂に届いた手紙はあらゆる方面から門真の口座を狙っていた。幸いなことに初めは可読性の高い物が多く、廊下でみた読めない封書はほとんどない。一方でそれは徐々に可読性が失われていくということであり、更に言えば、携帯にかかってくる電子音の電話同様に、彼女は読めない文字に適応を始めているということでもある。

 手紙や電話の目的がわからないこともあり、非情に気味が悪い。回りくどい悪戯は彼女の財産と言うより彼女の変化を求めている、そんな印象をうけた。

 更に気になるのは書類の変遷だ。

「右の箱は古いものが入っているんでしたよね」

「そうです。まだ督促状とかも少なかった時期のものも集めていて」

 譲葉が例に取ったのはインターネット回線契約の勧誘チラシだ。住所は適切だが、永海サチ宛となっている。その他にも内容のよくわからない手紙やダイレクトメールなど、古い物になればなるほど請求書、督促状以外の宛名違いが出てくる。

「アパートですから、出入りが激しいのかなって思っていたんです。今思えば迂闊で、たぶん、これも同じ流れなんですよね。あ、でも初めの頃に届いたダイレクトメールにはちょっとうれしくなっちゃうものもあったんですよ」

 何かを思い出したように書類を置き、門真は譲葉に変わって紙を探り始めた。やがて彼女が見つけたのは美容室のダイレクトメールだ。書かれている住所は少し遠いが、電車を使えば足を運べない場所でもない。

「これ、宛名が長嵜エミリ宛なんです!」

「長嵜エミリ? 有名人なのか?」

「譲葉さんは知らないんですか? 長嵜エミリは、有名な雑誌モデルです! デビューしたのが2年前。デビュー直後からNOWの専属モデルとして活躍している、今注目の人ですよ。もしかしたら、この部屋には私の前に長嵜エミリが住んでいたのかもしれないし、そのダイレクトメールの美容室に行けば長嵜エミリに会えるかもしれない。そう思うと盛り上がっちゃって」

 突然声と表情に張りが戻ってきたのに面を喰らった。門真亜里砂は、どちらかといえば仕事に追われ、疲れ切った女だ。その印象は変わらないのに、どういうわけかこのモデルの話は元気よく話す。

「それで、美容室には行ったんですか?」

 この手紙はダイレクトメールだ。好きなモデル宛の広告が誤って届いた。運よくモデルが使っている美容室の情報が入った。

 次はどうするのが普通だろうか。サルなら美容室にいくだろうか。いや、彼は意外と紳士的なのでそっと広告を棄てて、美容室に近寄ることすらしないだろう。彼のなかで使ってみようと思っていたなら、リストから削除するかもしれない。

 ストーカーのように通い詰める奴はいるんじゃないっすかね。そして、他の男のことをそんな風に評する。そんな気がする。

 当の本人は、さっきから写真立てを手に取ってじっと見ているが気になるものでもあったのだろうか。

「いいえ。仕事の都合はつかないし、髪を整えるのは今抱えている案件が終わってからでも十分ですから」

 門真の言葉に嘘がないのは、肩に掛かるほど伸びたツヤのない髪が物語っている。彼女は、このチラシを見て喜びはしたが、広告につられて踏み出すことはしなかったのだ。

 門真亜里砂という人間らしい反応だが、意外といえば意外だ。好きなモデルに会いに行こうとは思わずとも、モデルのセットをしている美容室なら、自分も綺麗になれるのではないか。そうやって興味をもってもおかしくはない。

 あ。そうか。そういうこと……。

「門真さん、確認だけど、長嵜エミリ宛のダイレクトメールは他には来ていない?」

「来ていないです。あとは知らない名前のものばかり。ああ、強いて言えば、さっき譲葉さんが見ていた永海サチ宛のものが多かったような気がします」

 実は、永海サチについては心当たりがあるし、確かめるべきこともある。だが、優先すべきは長嵜エミリのことだ。思いつきが霧散する前に、重要なことを確認しなければ。

「もう一つ。長嵜エミリの写真とか、何かこう、彼女が誰なのかわかるものはない?」

「雑誌は購読していないのでパソコンで検索すれば……あ! でもそこまでしなくても、私、1枚だけ彼女のブロマイドを持っているんです。テレビ台の、猿田さんが持っているそれです」

 門真は猿田の手を示す。あろうことか話を全く聴いていなかったらしく、サルは目を丸くして固まった。

「俺、なんかやりましたか? この写真立てはもしかして触っちゃダメなやつ」

「違うよ。サル、その写真の女は美人か?」

「突然なんですか。まぁ、いや、なんていうか」

 猿田は門真の表情を気にして口をもごもごと動かしている。近寄って写真立てをのぞき込んで、納得した。猿田の手から写真立てを奪い、キッチンカウンターの前の門真に掲げる。

「門真さん、このブロマイドを買ったところ覚えてます?」

 顔のない女のブロマイド。

 モデル宛で届く誤った美容室のダイレクトメール。

 仕事を優先してそれを無視した門真亜里砂。

 おそらくここが彼女と他の三人の分水嶺だ。

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