探し屋2

 3日ぶりのシャワーが、身体のべとつきを流していく。それと一緒にこのところ起きた出来事も流れていき、全ては悪い夢になる。そんな考えが渦巻いて、排水口へと吸い込まれていく。

 けれども、シャワールームを出ると、3日間着ていた服を洗うコインランドリーの稼働音が響いている。私が着替えたのは取り急ぎ準備されたスウェットだ。脱衣所の外には、漫画が詰まった本棚がならんでいて、その隣では、ドリンクバーの操作方法で男女が何やら揉めている。彼らは私の姿に気づくと、脱衣所から出てきた私に小さく手を上げた。

 白いスーツに身を包んだ女性が、コップに注がれたジュースを手に取ると、パーカーの男がため息をつく。

 彼らが私をあの場所から連れ出したのは紛れもない現実だ。今もまだ、室内にあふれた督促状は私に牙を向けている。


 7日間の待機を告げられて、私が堪えることができたのはたったの数時間だった。

 部屋に戻り、督促状の山を掘り返して全財産を詰めたバッグを取り出した。現金が失われていないことを確認し、督促状の主たちがまだ室内への取り立てを行っていないことに安堵した。だが、部屋の片隅でバッグを抱えて、時計の針が進むのを待つうちに、身体が震え始める。

 このまま1週間、督促状が送られてくるのを待てるほど私は強くない。そう自覚したときには部屋を飛び出していた。

 問題は目的地だ。安全地帯が思い浮かばず、私が選んだのは探し屋へ電話をかけた公衆電話のある駅の高架下だった。電話は1週間後。そう告げられている以上、予定より早い連絡はないだろう。それでも、一縷の望みを棄てられず、食料を買い込み公衆電話の見える位置でじっと待つしかできなかったのだ。

 そして、待ち続けること3日。慣れない野宿を続け、身体が悲鳴を上げ始めたのに呼応するように、通行人も段ボール製の即席張り込み場所に怪訝な視線を向けるようになっていた。

 気づけば制服姿の警官が複数やってきて、やや遠巻きに私の姿を確認している。そうじゃない。あの電話に用事があるだけなんだ。駆け寄って説明をしたくなるのを堪え、私は公衆電話だけを見つめた。

「もしかして、クスクスに電話をくれたのはあなたかな?」

 私に声をかけたのは、意外にも、制服警官ではなく、白いスーツの女性だった。彼女は背後に立つ警官たちを手で制し、中腰で私の顔を覗きこんだ。

 クスクスという単語には聞き覚えがなかったが、私は何度も頷いた。段ボールハウスに居座る女が必死に首を縦に振る様子は異様だったはずだが、彼女は私の顔の前に手をかざすと一度だけ頷き、背後の警官を連れて離れた。意図がわからず彼女の姿をおっていると、どこから現れたのか灰色のパーカーとジーンズの男が段ボールハウスを片付け始める。

 状況が呑み込めず、バッグを抱えて立ち上がると、男が私を見て、足もと、段ボールの上に落ちた紙幣を指差す。バッグが少し開いていたのだ。

「慌てなくていい。まずはここに行って、シャワーでも浴びるといい。この会員証をみせればいい。不安なら個室を使え」

 男は紙幣を拾うとネットカフェの会員証と住所を書いた紙とあわせて私のバッグの上に押しつけた。

 彼らがなんなのかはわからなかったし、公衆電話の前を離れるのは怖かった。だが、身体は疲れているし、これ以上高架下に留まるのは難しいだろう。結局、私は何も事情を聴くことなく逃げ出すようにネットカフェへ向かった。

 そして、警察に事情を聴かれることもなく、私は白スーツの女性、譲葉煙(ゆずりは-けむり)と、パーカーの男、猿田真申(さるた-まさる)の前に座っている。


「だいぶ落ち着いたようだね。クスクスの説明も曖昧で、随分と不安だったんじゃないか」

 改めてスープを持ってきた譲葉は、高架下で聞いた単語を繰り返した。聞き馴染みのない単語だが、私が電話した店の名前なのだろうか。

「あの男は名乗りもしなかったのか。そう、貴女が連絡した店のことだ。あの男は勘は良いが、説明が苦手なんだ。意味がわからなかっただろう」

 譲葉はそう言うと、クスクスから電話を受けた際にまだ三瀬に戻っていなかったので、他の依頼を片付けて急いで戻ってきたのだという。

「会えるかは賭けだったけれど、貴女がいたのをみて急いで戻ってきてよかったと思ったよ。予定を繰り上げずに戻ってきたら留置場かホームレスの保護施設にいる貴女を探し出せる自信はないからね」

「それでも姐さんが警察の前に出て話し始めたときはびっくりしましたよ。別に俺たちは警察に顔が利くわけではないの忘れたのかと思った」

「ああいうのははったりだよ。らしい振る舞いがコツなんだ」

 猿田は胸を張る譲葉をみてちいさなため息をつく。もっとも、譲葉は猿田の様子など気にすることもなく、要するに今日、貴女に会えてよかったと言うことだよなどと話をまとめようとする。

 クスクスの男よりは会話が成り立っているような気はするが、やはりどこか置き去りにされている印象が残る。そもそも、探し屋というのは譲葉と猿田の二人のことなのか? 私の疑問に、譲葉たちは顔を見合わせ、居住まいを正した。

「改めて、自己紹介も兼ねて挨拶をするべきだね。私は譲葉煙。彼は猿田真申という。私たちが貴女が連絡を入れたかった探し屋だ。私たちはその名前の通り、依頼者が探しているものを探し当てることを仕事にしている。落とし物、尋ね人、明日の天気、依頼は様々だ。探したいものがなんなのか分からない、という依頼でも構わない。

 貴女の話はクスクスから多少聴いているが、改めて教えて欲しい。もしよければ、まずは名前から」

 そういえば、久しく自分の名前を名乗っていなかった。私の名前は、門真亜里砂(もんま-ありさ)。

「門真さんか。クスクスは名前すら聞かずに電話を終えたようだったから少し困っていたんだ」

 名前がわからないのもそうだが、そもそもにして譲葉はどうして私が電話の主だとわかったのだろう。

「それは端的な説明が難しい。順を追った説明も兼ねて、門真さんにいくつか確認をしてもよいだろうか」

 頷くと、譲葉はまず身元を確認できるものを持っていないか私に尋ねた。個室に戻りバッグを持って戻ると、猿田が目を丸くした。

「バッグに身分証と紙幣って逃亡者みたいですね」

 譲葉が猿田の後頭部を叩き、スパンッと威勢の良い音が鳴った。猿田はあわてて謝罪するが、映画で観た逃亡者のことを思い出して荷物をまとめたのは事実だ。

 何よりも、私自身が自分の振る舞いを逃亡者のようにおもっている。荷物と身分証を譲葉に見せながら、話をすると猿田が腕を組んでうんうんと頷いた。

「やっぱりあの映画ですよね。そんな印象があったんだ。門真さんは映画が好きなんですか?」

 好きと言うほどでもない。月に1回映画館に足を運ぶ他は、配信サービスで気になったものを観ているくらいで、趣味というには軽いような気がする。

「それは充分映画好きだと思いますよ。俺は好きな俳優が出なければほとんど映画館には行かない」

 でも、世の中の映画好き、映画が趣味という人たちは私の何倍もの映画を幅広く観ているはずだ。彼らと比べれば私の視聴数はあまりに少ないだろう。

「あの手の人たちは別の生き物です。門真さんが好きなことは映画を観ることで、門真さんのペースは月1回の映画館とたまの配信サービス。それで充分趣味ですよ。とことんやらなきゃいけなくなったら、好きが好きじゃなくなってしまうと思いますけどね」

 好きだったのに義務になってしまって触らなくなったことはいくつかある。突き詰めなくては趣味とは呼べない。それ自体が思い込みだというのは良い考えかたのように思えた。

「サルにしては語るじゃないか。突き詰めた趣味なんてきいたことかないぞ」

「それは突き詰めないのが趣味ってわかっているからこその振る舞いです」

「門真さん。こいつの考え方には一理あると思うが、こいつを優れた奴だと思うのはよしたほうがいい。雀荘でハコになって帰ってくるのが趣味だと言い張るような男に信頼はない」

「別にハコが趣味じゃないですよ。何度も言ってるでしょう、あの店にはやけに強いやつがいるんだ。姉さんも1回打ちにいってみればわかる」

「私は賭け事はしない主義なんだ」

 猿田と私の会話に混ざりながらも、譲葉の視線は私の手荷物から一切外れることがない。ときおり後ろを通る他の客には中身が見えないように譲葉や猿田の身体で隠しながら、現金、免許証、家の鍵、社員証、手帳その他諸々の持ち物を手早く確認する。まるで、質屋か鑑定人のようだ。

「いきなりの申し出だったのに、ありがとう。なんとなくはわかったよ。門真さんは、確かにまだ門真亜里砂さんのようだ」

 まだ? 彼女の表現が引っかかって私は首をかしげた。クスクスの男も似たようなことを言っていた。私を棄ててはいけないと。

 そもそも、彼女たちは私が何に巻き込まれているのか細かい話を聴いていないのではなかったか。

「ああ。それはこれから聴くのでかまわないんだ。先に貴女の状況、貴女が誰なのかが知りたかったからね。さて、門真さん。私たちに電話をかけることになった経緯を話してもらえるかな。

 おそらく、私たちは貴女の抱えた問題について手を貸せると思う」

 譲葉煙は、机上の両手を組んで、私の顔を真っ直ぐに見つめる。現状、彼女たちに事情を話してみる他に選択肢はない。

 彼女たちがすがってもよい藁であることを祈るしか、私にできることはないのだ。

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