第31話 ホワイトデー大作戦 後編

 やることが怒涛どとうのように押し寄せて、悠陽はバタバタと動きはじめる。


 レシピを調べ、買い出しを済ませ、試作を重ねていく。

 一日目はそもそもお菓子にならなかった。小麦粉と砂糖の黒塊こくかいが生み出された。プレーンマドレーヌのはずがココア色だった。

 焼き菓子ではなく、『』だった。


「ぐえええ……こんなの贈ったら嫌がらせだわ……」


 二日目の昼ごろにようやく、マドレーヌの形になった。

 だが異様にパサパサになってしまい、さらに手順をしっかりと見直しにかかる。

 それから、型から取り出すときにどうしても表面がボロボロになってしまったり。

 火傷は三度した。

 焦る気持ちがどうしても抑えられない。失敗はさらなる失敗を呼んでくる。

 そして、決意してから三日後。


 ホワイトデー当日。

 悠陽は震える指先で美桜の家のインターホンを鳴らす。


(落ち着け俺……マドレーヌを渡すだけ、渡すだけ)


 紙袋の取っ手をギュッと握りしめる。

 廊下の向こうの空を眺めて深呼吸をする。

 すっかり陽が傾き始め、オレンジ色の夕焼けが沈みかけていた。最後の最後まで型から取り出すのがうまくいかなかった。気付けばこんな時間で。


(遅くなったけど大丈夫、まだホワイトデーではあるから、うん)


 不安と緊張で心臓が脈打ってしまう。

 先ほどから手のひらでも自らの鼓動を感じるほどだ。スマートウォッチにも何度か通知が届いていた。心拍数の急上昇をしらせてきているのだ。


(落ち着け……おちつ……)


 ガチャ、と扉が開けられる。

 美桜が姿を現した。

 自分よりも背の高い、美人の幼馴染。

 部屋着でメイクもほとんどしていない質素な格好。それだというのに美桜は綺麗だと悠陽は思う。髪の毛だって整えていないだろう。足元なんてサンダルをつっかけているだけだ。

 それでも綺麗だと、美しいと思ってしまうのは、心が弾んでしまうのは、きっと──……


「……ひ、久しぶり美桜ちゃん」

「……ゆう兄ちゃん、久しぶり……」


 二人はぎこちない挨拶を交わす。

 気まずいというよりは照れくさいといった空気。しばらく顔を合わせていなかったがゆえに、どう接すればいいのかを探っているのだ。もじもじと、互いの距離感を測るような押し引きがあり。

 隣の家のドアが開いた。

 二人揃ってびくりとしてしまう。通りすぎるお隣さんに会釈をしてから、改めて向き直る悠陽と美桜。

 先に動いたのは悠陽で。


「こ、これ! ホワイトデーだから、えっと、作ったんだ!」

「えっ」


 美桜は驚いたという顔をする。それから慌てたように髪を手櫛で整えはじめて。


「ほ、ホワイトデー?」

「いや、言わなくても分かってる! チョコを貰ってないのにお返しだなんて意味不明だよな! でも、その、美桜ちゃんに食べて欲しくって!」

「あっ、えっ、そっか」


 美桜は呟く。


「私、ゆう兄ちゃんにチョコ渡して……ない……?」

「うぐっ」


 悠陽の心臓に、病よりも重たいダメージが入る!

 だが、倒れない。

 いま倒れるわけにはいかないからだ。


「ま、マドレーヌをさ、作ったんだ」


 悠陽は紙袋を差し出す。


「え。ウソ、ゆう兄ちゃんが? ひとりで?」

「あ、ああ……」

「イチから? 手作りで???」

「お、おぉ……」


 改めて問い詰められると照れくさい。悠陽はそう思って小声になってしまう。

 紙袋を受け取った美桜が、中からマドレーヌを取り出す。一個一個にラッピングを施した手作りの品だ。


「…………これ、食べてもイイ?」

「えっ、いま?」

「いま」

「ここで?」

「ここで」

「あっ、じゃあ、ハイ、お願いします……」


 悠陽は緊張してしまい、敬語でそう返す。

 美桜の手でラッピングがほどかれていく。リボンが取れて、封が剥がされ。

 ビニールの包装から取り出された焼き菓子はふわりとバターの香りを放っていて。


「……いただきます」


 美桜が、ひまわりを食べるハムスターのように、マドレーヌにかぶりつく。

 小さく口を開けてモグモグと。

 ひとくち、またひとくちと美桜は食べていく。

 悠陽の心拍数は上がりっぱなしだった。ピーピー鳴るスマートウォッチを右手でぎゅっと押さえる。今はやかましいだけだ。


「ど、どうかな……」


 おそるおそる、美桜に問いかける。

 すると。

 美桜はぽつりと答える。


「……美味しいよ、すごく美味しい」

「っ! マジで? よかった、いきなりの挑戦だったから、めちゃくちゃ心配で──……」

「でも」


 喜びもつか

 悠陽は言葉を失う。

 なぜなら。


「私って本当に要らない子なんだ……」


 ポロリと、一粒の雫が美桜のほっぺたを伝い、地面に落ちる。

 悠陽は呆気にとられた。


(なぜ!? なんで!? いまの流れで、どうして!?!?!)


 悠陽にはわけがわからない。

 ホワイトデーに贈り物をしたのに、美味しいって言ってもらえたのに、泣かれることがあるなんて。

 美味しくて感動した、というような類いのものではないのは明白。

 だからこそ悠陽は困惑してしまう。


「み、美桜ちゃん?」

「ゆう兄ちゃんはすごいよ。私のために、作ったこともないお菓子を練習してくれたんでしょ?」

「え、あ、ああ……」

「本当にすごい。ちゃんと美味しいし、すごいけどさ……ううぅ……こんなに美味しいお菓子が作れちゃうなら……こんなになんでもできるなら……」


 美桜は紙袋を抱きしめ。


「私なんて要らない子じゃんかぁあー! うわーん!!!」


 悠陽の前から、逃げるように駆け出した!


「えっ」


 とっさの出来事に悠陽は固まってしまう。


「えっ」


(なんで!?!? 何が起きてる!?!?!)


 美桜がエレベーターホールに走っていき、ちょうど降りてきたエレベーターにかけこみ。

 その扉が閉じたところで、悠陽の脳は動きはじめた。

 消えてしまった美桜の姿を追って、悠陽もまた、夕焼けに染まる廊下を走りだす。


「美桜ちゃん、待って!」


(どうしていきなり走り出したんだ……って、そんなの今は分からないけど! とにかく考えてる場合じゃない!)






______

いよいよ第一部クライマックスになります( ˘ω˘ )

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