第29話 美桜のいない時間

 悠陽の検査入院の結果は『問題なし』だった。正確に言えば「経過観察は続くが、即座の入院や投薬は不要」とのこと。

 つまり問題なく日常生活に戻れることになったわけだ。だからこそ美桜の看病をすることも出来たわけで。

 その美桜が風邪を治してから一週間が経つ。

 あれから美桜は一度も悠陽の家を訪れていなかった。けれど、無視をされているのかと言えばそうとも言い切れず。


「メッセージは返ってくるんだよな、一応」


 悠陽はソファにゴロンと寝転がる。

 スマホには美桜とのやり取りが表示されている。


【ゆうひ:もう治った?】

【mio:うん】


 ゆうひ、がそのまま悠陽。mioは美桜のアカウント名だ。


【mio:その節はご迷惑をおかけしました】

【ゆうひ:気にしないでよ。困ったときはお互い様じゃん】

【mio:ゆう兄ちゃんも健康みたいで良かった】

【ゆうひ:ありがとう】


 このやりとりをしたのが先週。

 それからも他愛無い会話はぽつりぽつりと生まれるものの、核心を突いたことはどちらも言い出せなかった。

 すなわち。


「美桜ちゃん。どうして来てくれないんだ……」


 あれから一度も『お世話』をされていなかった。

 悠陽としては年上の美女に甲斐甲斐しく世話されるのは嬉しくも恥ずかしかった。 

 とはいえ、美桜と一緒に過ごす時間は決して悪くなかった。いや、悪くないなんてものではなく。


(至福の時だったよな)


 美桜と過ごした一ヶ月ちょっとの思い出が頭の中を駆け巡る。

 悠陽は指折り数える。


(コールドスリープから覚めたらでっかくなった美桜ちゃんがいて、そんでお世話される生活が始まって、俺が筋肉痛になっちまったり、歯磨きをしてもらったり、風呂場で全裸を見られたり)


 手がグーになったところで、ふと思う。


「俺、恥ずかしい思いばっかしてねえ……?」


 いやいやそんなこともないよな、と折り返して指を開いていく。


(美桜ちゃんを助けようと思ったら勘違いしてたり、一緒に運動したあとのストレッチで攻められたり、料理を始めてから食材がないことに気付いたり、買い物帰りに手をにぎにぎされてキョドったり、それから……)


 9つまで指折り数えたところで悠陽は動きを止める。


「……いやいや、でもほら、この前は美桜ちゃんの看病したからな。うん、『兄ちゃん』っぽい活躍だよな」


 だからセーフセーフ、と誰も聞いていないのに悠陽は言い訳をする。


「筋トレも続けてるし、ご飯だって一人で作れるようになってきたし、うんうん」


(ちゃんと頼れる男になってきてるはず。はず……だけど)


 ソファにゴロンと転がる。


「美桜ちゃんは来なくなっちゃったんだよな……」


 ぽつりと呟く。

 ぼーっと天井を眺める。蛍光灯はなにも言ってくれない。

 代わりに腹がキュゥとしょぼくれた返事をした。


「なんか食うか」


 時刻はまだ昼すぎ。

 悠陽はキッチンに立つと鍋に湯を沸かす。パスタを投じ、その間にササッとキャベツを洗い、レンジにかける。


「今日も今日とてパスタですよーっと」


 缶詰のイワシをフォークで崩し、フライパンへ。オリーブオイルと醤油を垂らし、味醂みりんを回し入れる。火にかけてアルコールと一緒にイワシの臭さを飛ばしていく。

 ネットのどこかで見かけた、お気に入りのレシピ。

 なんちゃってアンチョビパスタだった。


「この味醂みりん、元は美桜ちゃんが買おうって言いだしたやつなんだよな」


 一人分のご飯を作っていると、美桜が家にいないことを思い出してしまう。


(美桜ちゃんに頼れるとこ見せたくて覚えたのになぁ……)


 肝心の相手が家に来てくれないのではせっかくの修練も空振りになってしまう。


「だからって、言えないよなあ」


 ウチ来なよ? とは。


(だって元々、俺の生活を助けてくれるってことで家に来てくれてたのにさ。検査の結果が平気だったなら……どうやって家に来てくれって言えばいいんだ? いったいどうやって──……)


 ピロリロ、と音が鳴る。

 悠陽はハッとした。レンジが加熱の終わりを告げていた。


「ああ、ごめんごめん」


 閉じ込めていたキャベツを取り出す。ちょうどパスタも茹であがったため、悠陽はまとめてフライパンへと放り込む。

 ちょいと火にかけてパスタは完成した。

 皿に盛り付けて食べようとしたところで、悠陽はふと手を止める。


(ああ、忘れるところだった)


 スマホで写真を撮る。

 それからメッセージアプリを立ち上げて。


「美桜ちゃんが買ってくれた味醂みりんでパスタ作ったよ、と」


 なんとか会話のきっかけでも作りたい。そんな一心で、悠陽は写真を送る。

 既読はつかない。

 1分待ち、3分経ち、5分が過ぎて。

 ため息と共に悠陽はスマホを伏せた。


「食うか……」


 食卓でひとり、冷めたパスタをすする。

 覚えたてでお気に入りのレシピのはずがどこか味気ない。


(午後はなにをしようかな。映画……はもう飽きたし、ゲームも……一人じゃ……)


 窓の外を眺める。

 美桜のいない時間は、悠陽にとっては長すぎるのだった。



◇ ◆ ◇



 食卓でカップ麵を啜っていた美桜は届いたメッセージに悶える。

 自分で作ったという、美味しそうに盛り付けられたパスタ。


「~~~~! ゆう兄ちゃんはさぁ! ほんっと……ほんっとうにさぁ! ちゃんとしてるよね!!!」


 どうも斜め上にズレた感想だった。怒りとも、褒めともつかない気持ちは入り混じっていて。

 つまり乙女心は複雑だった。


(このレシピは教えてない……ってことは自分で調べたのかな? うぅ……簡単なレシピならもう私、要らないじゃん……! すごいよ!? すごいけどさ!?)


 手慣れている美桜には及ばないまでも、料理を覚え始めた素人としては上々。

 だからこそ美桜は複雑だった。


「よりによって、私がカップ麺を食べてるときに……うぅ……」


 悠陽のためにご飯を作らないとなると、美桜は一気にやる気を失ってしまい、ずいぶんと自堕落な生活を送っていた。

 素敵な自炊をしている悠陽に対して、お湯を注いだだけのカップ麵を食べている自分。


「はぁ……ますます顔を合わせづらいよぉ……」


(ゆう兄ちゃんの側にいていい? って聞くタイミングも逃すし、どこにもいかないでって抱きつくし、それに)


「ベッドに引きずり込むのは恥ずかしすぎるでしょ……!!!」


 美桜の顔は真っ赤だった。

 病魔に侵されていたとはいえ、自分のしたことだ。

 悠陽を布団の中に連れ込み、抱きついて眠る。


(あああ! 思い出すだけで! 恥ずかしいよぉおおお!!!)


 美桜は声にならない絶叫をあげるのだった。

 しかし、忘れたわけではない。

 自分と悠陽の関係はなんなのか、それを問いかけることを。



 数日後のホワイトデー。

 美桜はついに自分の想いの丈を告白する。

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