第23話 お料理しよう! 後編

「それでゆう兄ちゃん、なにを作るの?」

「気になったやつがあってさ。簡単レシピって調べて出てきたこれなんだけど」


 悠陽がスマホを見せようとすると、美桜が後ろから両肩に手を乗せて覗きこんでくる。


(って近いちかい近いちかーーい!!! 心臓によくないって!!! なんか甘い匂いがするし! 助けて!)


 あまりにも当然のような動きに悠陽の頭が沸騰しそうになる。


「なになに? 鶏肉とキノコのチーズ味噌リゾット?」

「あ、ああ……」


(くっ……触れてるのは手だけなのに、どうしてこんなにドキドキするんだっ……!)


「ゆう兄ちゃん、ちょっとよく見せてー」


 美桜の手が後ろからにゅっと伸びてきて、悠陽のスマホをスクロールする。

 その間も、もう片方の手は悠陽の肩に添えられている。吐息が耳元で聞こえる。


(たぶん、美桜ちゃんは……全然気にしてないんだよな。こーゆー距離感が当たり前なだけで)


 ひとり緊張する悠陽をよそに、美桜は真面目にレシピと向き合う。


「ゆう兄ちゃん。これ、ちょいむずくない?」

「え、でもサイトには簡単って……」

「こういうのは料理慣れてる人にとっての”簡単”だからね」

「そうなのか?」

「うん、私もダマされたことがあるからね! 料理はじめたてのころ、いったいいくつの”簡単レシピ”に足元をすくわれたか!!!」


 美桜が悔しげに言う。


「足元をすくわれたなんて大げさな……」

「まあでもゆう兄ちゃんは運がイイね」

「うん? なんで?」

「だって私がいるからねっ! お料理なら任せてっ」


 むんっと美桜は腕組みをする。

 下からしっかりと支えられた胸が安定感をもって存在を主張する。まるで揺るがない美桜の自信そのもののようだったが。

 悠陽は気になって尋ねてしまう。


「でもさっきむずいって……」

「それはゆう兄ちゃんにとっては、ってハナシ。私、家族のご飯もゆう兄ちゃんのご飯も作ってるんだからね?」

「確かに……」

「だから困ったらに任せなさい!」

「ははーっ」

「ま、ゆう兄ちゃんが自分でやるって決めたんなら、私なるべく口を挟まないことにするよ」

「ああ。見ててくれよな」

「ふふふん。じゃあ始めよっか」



 調理が始まる。

 悠陽はレシピを口に出して読んでいく。


「舞茸は手でほぐして小さな房に分けます、だってさ。楽勝じゃん」

「ゆう兄ちゃん……フラグ立ててない?」

「平気だって。まずはキノコを洗えばいいんだろ?」


 悠陽は冷蔵庫から舞茸を取り出すとパックのビニールを剥がしていく。

 そもそもこいつがいたからこのレシピにしようと思ったのだ。

 流し台の下からザルを取り出し、シンクにおいて、舞茸をざらざらと入れていく。蛇口から水を流す。


(キノコって山で採れるよな? てことは……ちゃんと洗わないとダメそう)


 悠陽はそう考えて舞茸をごしごしとよく洗っていく。

 すると。


「あれ、あれ?」


 舞茸はボロボロと崩れてしまう。


「なんか、あれ? 舞茸が壊れちゃったんだけど……美桜さん……」


 悠陽はしゅんとした顔で美桜の方へ助けを求める。


「ゆう兄ちゃん、市販のキノコは軽く水で流すだけでいいんだよ」

「えっ、そうなの? 野菜みたいには洗わなくていいのか? だって泥とかついてそうだし……」

「スーパーで売られているようなものは清潔な屋内で育てられてるから、ほとんど汚れてないの。だから気持ち、ホコリを流すくらいでいいんだ」

「うう……勉強になります……」


 美桜師範しはんのレクチャーを受けて、舞茸の水を切る。キッチンペーパーで水気を拭き取るとイイとのこと。


「ええと? 舞茸はほぐし終わったから、次はエリンギだな。食べやすい大きさに切ります、だって。……食べやすい大きさってどのくらい?」

「ゆう兄ちゃん、口開けてみて」

「へ?」

「ほら、ひと口ってどのくらいですかー? あけてあけて」

「えっ、マジで? いま?」

「まじだよ。自分の身体で覚えるのが一番でしょ?」

「そうだけど……むがが……このくらいほのふらい?」


 悠陽は言われたとおりに口を開けてみる。

 すると。

 美桜が手を伸ばしてくる。


(えっ、なになに)


 白い指先が悠陽の唇に触れそうなほどに近づいてきて。


(なに!? なんで!? なにが!?)


 悠陽はいきなりの展開に困惑しかける。

 心臓がバクバクと鳴りはじめた。

 相手の指が唇に近づいてくるなどという非日常すぎる光景は、脳にとって処理が重たいからか、スローで知覚されていた。

 そして、自分の唇に触れられるかもしれないと意識すればするほど、逆に相手の唇が目に入ってしまう。


(ぷるぷるで、つやつやで……綺麗なピンク色で……)


 ほうけている間に、美桜の人差し指と親指とが、それぞれ悠陽の上唇と下唇とにくっついてしまうかというほどまでに寄っていき。


「はいっ、このくらい!」


 美桜が笑顔で指先を──指先で測った”はば”を見せてくる。

 悠陽の身に付くようにと思っての行動だった。……のだが、生徒たる悠陽はと言えば、美桜の無自覚攻撃によってノックアウト寸前だった。

 つまりスマートウォッチが心拍数の上昇を告げていた。


「……は、はひ」


 悠陽は命からがら、エリンギをひと口サイズに切り終わる。


「はぁ……はぁ……ようやくキノコが準備できたな……」


 疲れる動きは無かったが、心労としてはマラソンを走り切ったあとのようだった。

 悠陽は心の内で反省する。


(いっつも料理を手伝っている気になってたけど……よくよく考えてみれば母さんが指示してくれた通りにやってただけだったんだな……)


 15歳の少年としては普通だ。

 だが、それでも今の悠陽にとっては少なからずショックだった。


(美桜ちゃんから頼られたいって思ってるのにこのザマかよ……!)


 悠陽は唇を噛んで悔しさを殺す。

 そんな彼の背を美桜がポンポンと撫でた。


「がんばれゆう兄ちゃんっ。初めてなのによくできてるよ!」

「美桜ちゃん……」


(やばい、ちょっと泣きそうだ……嬉しいし、ちょい悔しい……)


 励まされたことで、優しさに対する安堵あんどが湧いてきて、瞳が潤む。顔を見られたくなくて、俯いてしまう。

 でも。


(ここで泣いたら負けな気がする。頼れる男になるって決めたんだから!)


 悠陽は顔を上げた。


「次だ! 鶏むね肉をひと口サイズで角切りにします、だって」

「うんうん」

「もうひと口サイズは分かったからイケる!」

「お~! がんばれ~!」


 美桜の応援を燃料に悠陽は爆速でお料理の道を駆け抜けていこうとする。

 と、そこで手が止まった。


(……あれ?)


 あたりを見わたす。


(……待って、あれ?)


「どしたのゆう兄ちゃん? 鶏肉切っちゃおうよ」

「……えー……と」

「ゆう兄ちゃん?」

「そのことなんだけどさ、ええと、言いにくいんだけど」

「……ゆう兄ちゃん?」


 悠陽が言い淀んでいるのをみて、美桜がいぶしげな目になっていく。


「もしかして、鶏肉、ないの?」

「………………はい」


 美桜のしらーっとした目が悠陽を射抜く!

 慌てる悠陽!

 念のため、冷蔵庫と冷凍庫の捜索を行った結果。


「ありませんでした……」


 悠陽は真っ白になって項垂うなだれた。

 魂が抜けるとはこのことかと思う。だが、美桜はなんだか嬉しそうで。


「お買い物しにいこっか♪」


 なんだか既視感デジャヴあるなあ、と思う悠陽だった。

 筋肉痛になった記憶がよみがる。


(……いや、あの時とは違うんだ。俺は運動して強くなった! ……はず! 見た目にはまだ分からないけど、きっとあの時よりは力がついてる……!)


「リベンジだ。買い物の」

「えっ? どゆこと、ゆう兄ちゃん」

「あの時よりも強くなったってこと、証明してみせる……!」

「よ、よく分かんないけど……フレーっ、フレーっ、ゆう兄ちゃん!」




_____

 果たして無事、買い物リベンジは果たせるのか!

 どうなる悠陽!

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