第22話 お料理しよう! 前編

 脱衣所。

 パンツ一丁の悠陽はグチる。


「うーん……なかなか増えないなあ、筋肉」


 体重計を見て渋い顔をしていた。

 美桜とフィットネスゲームをやり始めて三日が経つ。来週の検査入院までには、体力が回復しましたと医者に告げたいところだったのに。結果は芳しくない。


(いや、分かってる。ちょっとやそっとで結果は出ないことくらいはさ)


 でなければプロのアスリートは苦労しない。

 それでも自分がすぐに健康的な肉体になれることを願ってしまう。

 なぜなら。


(今のままだといつまで経っても『お世話される側』なんだよな)


 悠陽は体重計から降りた。

 鏡に映る自分の姿にほとんど変化は見られない。

 細い手足、薄い胸板、未だ同学年男子の平均に達しない身長。


(まあ、頼りなくは見えるよな。心配されるのも分かる)


 でも、と悠陽は力こぶを作るように腕をぐいっと曲げて。


(早く丈夫な体になって、少しでも異性として意識してもらうぞ!)


 悠陽には考えがあった。

 数日前にトレーニングをしようと思ったときに調べた方法の内のひとつ。

 昼ごろ家を訪ねてきた美桜へ、提案をする。


「運動だけじゃダメだ! ご飯も大事!」

「……なんのこと?」


 キッチンで、美桜は首を傾げる。

 エプロンをかぶるようにして身に着け、シュシュで髪をまとめている最中だった。ピンク色のシュシュ──美桜が夏祭りで悠陽に貰った思い出のシュシュだ。

 悠陽はそれを見て思う。


(若い奥さんみたいだ…………じゃなくて!)


 美桜のエプロン姿に見とれてしまったことは否めない。だが、今はそれよりも、シュシュの方が目に入っていた。

 自分の方が年上で、美桜の方が幼かった頃。

 まだ頼られていたあの頃。


(俺は……前みたいに、頼れる男になるんだ!)


 グッと拳を握る。


「つまりさ、運動をしただけじゃ体は育たないっていうこと」

「それでご飯? お米たくさん食べる?」


 美桜はしゃもじで白米をよそう仕草をした。


「それも大事なんだろうけど、やっぱりたんぱく質を取らなきゃと思ってさ」

「ふんふん。なるほど」

「プロテインで摂ってはいるけど、調べたら、普段の食事でも気にした方が良いって出てきてね」

「おおー。一日に三食もあるし、たしかに大事かも」


 美桜は頷くと胸に手を当てる。


「私に任せて! お肉とか豆腐とかお魚たっぷりのご飯にしてあげる!」


 自信満々な言い方に悠陽は安堵して「ああ、ありがと──」と言いかけ、ハッとした。


(いやいやいや! ここで作ってもらっていいのか!?)


 直感的にあせりが湧いてくる。

 ここで選択肢をミスったら、ここから先、何かが後退してしまうような予感。

 電流、走る。


(そうだ、いつも通り美桜ちゃんに頼ったら、『お世話される側』になっちまうだろ!)


 背筋を冷や汗が落ちていく。


(それでいいのか!? 違うだろ悠陽! 俺がすべきは、そう……)


「お、俺、自分で作るよ」

「えっ」


 驚いた顔をしたのは美桜。

 まさかそんなことを言われるとは思わなかったというくらい、ぽかんと口を開けている。


「え、あ、ゆ……ゆう兄ちゃんがお料理?」

「ああ! 手伝いくらいしかしたことないけど! チャレンジしたい!」

「そ、そんな……お料理ってけっこう難しいんだよ? ゆう兄ちゃん本当にできる?」


 美桜がやけにあたふたとしている。

 視線は泳いでいるし、いつもよりも不安げな表情で。

 子どもを見守る母親のような目だった。


「レシピは調べるし、おうちで簡単レシピってやつ」

「で、でも子ども包丁とか無いし……」

「そこまで幼くはないよ!?」

「で、でも~」


 美桜はなおも食い下がる。


(くっ……どうしても一人でできるって信用してもらえないみたいだ……それなら……)


 悠陽は美桜に心配されるのも分かる。

 レジ袋を持っただけで筋肉痛になった事実がある。筋力が弱っていて刃物を持ったり、火に近づくことがノーリスクとも言い切れない。


「わかった。わかったよ。じゃあ基本的には俺がやるから。危ないと思ったら助けに入ってほしい」

「むー、それなら、まあ」


 仕方ないといった感じで提案は受け入れられた。

 悠陽はすぐにエプロンを取ってくると、いそいそとつけ始める。


「ゆう兄ちゃん、エプロンとか持ってたんだ?」

「家庭科の授業で使ってたやつだよ」

「ああ~! 懐かしいなあ、確かに持ってた!」

「なつか……まぁ、そっか……」


 小さな言葉一つで自分が浦島太郎であることを悠陽は感じてしまう。

 悠陽はモヤモヤとする心のままに手早くエプロンの紐を結んだ。

 手を洗っていると、美桜が笑いながら背後に立つ。


「ふふ、ゆう兄ちゃん、紐がねじれてるよ。肩のとこも、結ぶとこも」

「へ?」

「ほらここ」


 美桜の手がするりと悠陽のエプロンに触れてくる。

 ちょこんと指先が体に当たる。それが悠陽にはくすぐったかった。


「直しちゃおー、結んじゃおー♪」


 美桜が歌いながら捻じれた肩紐を真っ直ぐにしていく。

 それから腰ひもを結ぼうとして。


「うーん……これ、そのまま結ぶと長すぎちゃって危ないかなあ?」


 悠陽の使っているエプロンは中学の初めに買ったもの。

 高校まで使えることを前提に──つまり、身体が大きくなることを見越して揃えたものだった。

 だからこそ今の悠陽にはまだピッタリではない。

 そこへ入院生活でやせ細ったことも加わり、腰ひもが余ってしまうのだった。


「よーし、もう一周巻いちゃって、前で結んじゃおう!」

「え? え?」


 美桜が紐の両端を掴んで、悠陽の体の前の方へと手をぐるりと回していく。

 ちょうど、


(なになに!? 何が起きた!? いま何されてる!?)


 ただエプロンをちゃんとつけてもらっているだけだ。

 ちょっとばかり美人なお姉さんに抱きつかれる形になっているけれど。


(近っ! 吐息やばっ! 首筋にぞわぞわって……胸が当たってるような……当たってないような……ひぃ!)


 悠陽の興奮が高まるにつれ、手を洗う動きが加速する。

 おかげで手のひらはピッカピカになり。


「よし! ちゃんとなったよー」

「あ、ああ、ありがとう……」


 エプロンを付け終わるころには、悠陽の手から雑菌はほとんどサヨナラしていた。

 悠陽と美桜がキッチンに並んで立つ。

 すると美桜がトン、と肩をぶつけてきた。


「にひっ、なんかこれ、新婚さんみたいだね」


 からかうような笑み。


(くそっ、かわいい……でもこれ本気じゃないんだろうな……! 昔みたいなじゃれあいの延長なんだろ!?)


 耳を赤くしながら、悠陽はなるべくなんともないかのように返す。


「おっ、おぅ、そうだな」

「あれ? ゆう兄ちゃん赤くなった? なった?」

「だー、もう、なってないから! ほら早く調理しようぜ!」


 初めての共同作業二人クッキング、開始!

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