第21話 運動のあと 後編
夕飯前、美桜が再び家にやってきた。
ご飯を作りに来てくれたのだ。
美桜は遠慮がちにモジモジとしている。大きな体にもかかわらずいたずらがバレた幼い子供みたいに気まずそうな顔で。
「ゆ、ゆう兄ちゃん、タオル間違えて持ってっちゃってごめんね~。さっき洗ったからいま干してるんだ~」
「おー、気にしないでよ。むしろ洗ってくれてありがとね」
「いやっ、感謝されるようなことじゃないから! ほんとに、うん!」
「? どしたの急に大きな声で」
美桜がどうして焦っているのか、悠陽は気付かなかった。
まさか自分のタオルの匂いを嗅がれていたとは思いもしなかったのだ。仕方あるまい。
悠陽はその謎のことをすぐに忘れ、「そういえば」と切り出す。
「さっき調べたんだけどさ、やってみたいことがあって」
「や、やってみたいこと? なに、ゆう兄ちゃん」
「ああ、ストレッチしたいなと思ってさ」
美桜は首を傾げる。
「ストレッチ?」
「そう、ストレッチ。体をほぐしたりするやつね」
「さっきの運動で、どっか痛めちゃったの?
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ、ほら」
悠陽はスマホの画面を美桜へ向けた。
感心した声があがる。
「へー、ストレッチすると筋肉痛になりづらくなるんだ」
「らしいんだよ。前みたいに病院に行ったり、痛みに苦しむのは勘弁だしさ。やっておこうかなって」
「ふんふん。なるほど」
「それでさ、ちょっと力を貸してほしいんだけど……」
「へ? 私?」
悠陽は頷いた。
「二人でやる方が効果的らしいんだよ。相手が支えてくれる方が安定して負荷をかけられるとかなんとか」
「そうなの? 私でいいなら手伝ぅ────はっ!」
美桜は考えるポーズを取った。
目を閉じて、腕を組んでうんうんと唸る。軍師が
美桜がピッと人差し指を立てる。
「ゆう兄ちゃん、教えて。そのストレッチをしたら筋肉痛にならなくなるんだよね?」
「ああ、
「じゃあさ、もしかしてこの前みたいに、毎日の生活で苦労することも減る……ってこと?」
「そうそう! 美桜ちゃんにも迷惑かけなくてよくなるかも」
「なるほどね……」
美桜は細く長く息を吐く。
それから肩をすくめて言った。
「じゃあ協力はできないかな」
「あれ!? なんで!?」
手伝ってくれる流れだったのでは、と悠陽は驚く。
美桜は拗ねた子どものように唇を尖らせて。
「だって、つまんない」
「つ、つまんない!?」
衝撃の回答に、悠陽は困惑してしまう。
(なんか美桜ちゃん……今日はいつもと違わないか!?)
目が合うと、美桜はぷいっと顔を逸らしてしまう。
(な、なんで!?)
理由は分からない。分からないが、どうやら美桜はご機嫌ナナメらしい。
(すっかり年上だってのに、時々、子供っぽいんだよな)
「美桜ちゃん、そう言わずに手伝ってくれよ。リハビリがうまくいけば京都旅行にだって行けるんだからさ」
「そうだけどー、うーん、でもなー」
「お礼ならなんでもするから! 頼む!」
「……なんでも?」
美桜がぴくっと反応した。
「ゆう兄ちゃん今、なんでもって言った?」
「え? 言ったけど」
「手伝います」
「お? おお、ありがと」
「手伝いますっ!」
「二度言った」
やたら強調するなぁ、と悠陽は不思議に思う。
美桜はムフー、と満足げに胸を張っていた。
それから5分後。
リビングに悠陽の声が響く。
「ぬぁぁぁぁあ……」
「どう、ゆう兄ちゃん。気持ちいい?」
「めっちゃいいぃぃぃぃ~……」
仰向けに寝転がった悠陽は、片足を天井に向けて上げている。ちょうど英語のTをさかさまにしたような恰好だった。
上に伸びた足のかかとと膝を美桜が持ち、ゆっくりゆっくりと悠陽のお腹の方へ向けて倒していく。
「どーお? こんな感じでいいのー?」
「あぉぁあ、あぁりぃがとぉぉお~」
悠陽はイタ気持ちよさに気の抜けた声を出す。
太ももの裏がじんわりと温かくなっていく。血行が良くなっている証拠だった。
数秒、その姿勢をキープしてから、ゆっくりと足を下ろしていく。
「ゆう兄ちゃん、おじさんみたいな声が出てたよ。ゔえええ~って」
「そんなことな……ゔええ~……」
けらけらと美桜が笑う。
「ひひっ、お風呂上がりでマッサージチェアに乗ったうちのお父さんと同じだ」
「う……。だって、めっちゃ気持ちいいから……。美桜ちゃんの力加減もちょうどいいし」
「ほんと? へへ、やった」
「うん。逆もお願い」
悠陽は先ほどとは反対の足を上げる。
美桜が、同じようにかかとと膝を掴んで、ぐいーっとお腹へ向けて倒しこんでくる。
「どーですかー、気持ちいいですかー」
「あぁああ、めえっちゃいい~。太ももめっちゃ伸びてる、ちょーキく。やばい」
「ふふっ、なにそれ」
美桜は冗談だと思って笑っていたが、実際に力の加減はちょうどよかった。
膝を押しすぎても、逆にかかとを押しすぎても、
無意識にではあったが、美桜は悠陽の体が喜ぶ加減を把握していた。
「そんなに気持ちいいならあとで私もやってもらおうかなー」
「えっ」
「ゆう兄ちゃんに、こうやってぐいーって押してもらってさ」
美桜が「こうやって」という言葉に合わせて悠陽の足にゆっくりと力をかけていく。
悠陽は筋肉がほぐされていく快感に身を委ねながらも、内心では驚きまくっていた。
(えっ!? 俺が!? 美桜ちゃんのストレッチを!? 俺が美桜ちゃんの足を掴んで押し倒す、のか? それはなんか……その、エロくないか?)
悠陽はそう考えるとムズムズしてきた。
改めて思えば、今の自分だって相当に恥ずかしいことをされている気がしてきてしまう。
「あれー? ゆう兄ちゃん、なんか顔赤くない?」
「いやいやいや、まさか! 恥ずかしいわけないだろ?」
「私、顔が赤いって言っただけだよ? 恥ずかしいなんて一言も言ってないんだけどなぁ」
クスクスと美桜が笑う。
「えあっ、う、えと……」
「ゆう兄ちゃんはストレッチで」
(あれっ、なんか今日の美桜ちゃん、ちょっと雰囲気違う……!? 大人っぽいっていうか、挑発的っていうか……なんらかのスイッチ入ってないか!?)
困惑している悠陽の太ももの裏を、さわさわ、と美桜の手がなぞった。
「ひゃう!」
「あはは、ひゃうって。女の子みたいだよ、ゆう兄ちゃん」
「いきなり触ってくるからだろ! なんだよ急に!」
「いやー? ゆう兄ちゃん、意外と筋肉あるんだなーって。弱ってるって言っても、やっぱり男の子なんだぁ」
美桜は悠陽の太ももの筋肉をもぎもぎと握っていく。ゆっくりと付け根の方へと美桜の手のひらが向かっていく。
くすぐったい。
というのはもちろんながら、美桜に
(あっ、ヤバい! これは俺のおちん○んが
悠陽は慌てた。
このままでは自分の理性が崩壊するのも秒読みだと判断したのだ。
(マズいっ! ナマのやつはすでに風呂で見られているとはいえ……一度ならず二度までも……見られるわけには! ──いかないんだ!)
「ちょっ、タイムタイム!」
悠陽は身体を捻り、美桜の手から抜けだした。
命乞いでもするかのように声を絞る。
「も、もうこれで充分だから! ストレッチ終わり! な!?」
「え~? まだ足りないんじゃない? 京都旅行、行きたいよねえ?」
「そ、そうだけど! でも……!」
「あれぇ? ゆう兄ちゃん、どうして逃げるのかなあ」
美桜がニコニコとした笑みを張り付けて迫ってくる。
悠陽は後ずさる。
猟奇的な殺人鬼と被害者のようにも見えるが、太ももを触ろうとする女子大生と、太ももを触られようとしている少年なのである!
(やっぱりいつもと違う! 絶対なんかの……たとえば『お世話スイッチ』とか入ってるって!)
「に、逃げてない逃げてない! いやー、体が軽くなったなあ~! だからもう────」
「ゆう兄ちゃん、さっき言ったよね」
悠陽のセリフを遮り、美桜が近づく。
「は、はひ……。なにをでしょう……」
「お礼ならなんでもするって」
ちょうど、後ずさっていた悠陽の背に、ソファのひじ掛けが触れる。
逃げ場はなくなった!
「しっかりストレッチしよっか、ゆう兄ちゃん♪」
その後、リビングには悠陽の気持ち良さげな声と、心拍の上昇を告げるスマートウォッチの通知音が響き渡った。
翌日の悠陽が筋肉痛になることは無かったが、恥ずかしさと交換したと思うと、フクザツな気持ちになる。
(まぁ……これでちょっとは筋肉が付けば、頼れる男に──お世話も要らない男になれるって思えば、アリか! うん!)
悠陽はなんども頷いて、前向きに自分を鼓舞するのだった。
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