第17話 美桜には笑顔でいてほしい 後編

 悠陽の足は完全に立ち止まってしまった。

 腹の底に抱えていた不安が重たい泥となって足を絡めとっている。


(美桜ちゃん……美桜ちゃんはどう思ってるんだ?)


 彼女の表情は見えない。

 顔はイケメンの方へ向いていて。

 買い物袋を掴む手にも力が入らない。


(俺はティッシュを渡して、そんで、帰った方が良いのかな。……これが『ゆう兄ちゃん』として最後の……なのかも)


 そんな選択肢が頭を掠めた。

 悠陽にとってはツラい選択肢だ。自分が要らないとされる道を、自ら選ぼうと言うのだから。


(それでも美桜ちゃんが笑うなら、それが一番いいんだよな)


 悠陽は大真面目に考えていた。

 そもそも、幼いころの彼女を見て抱いたのは庇護欲ひごよくであって、恋愛感情ではない。

 それが生まれたのはコールドスリープから覚めてからだ。


(……素直に美桜ちゃんの成長を喜ぼうか)


 寂しい選択、それでも。

 頭の中には納得の言葉が並ぶ。


(いいんだ、俺は。むしろ世話をしてくれていたことを喜ぶべきじゃねえか? だって、慕われてたってことだろ。

 『ゆう兄ちゃん』としてはこれ以上ない扱いをしてもらってるじゃないか、うんうん)


(よーし、じゃあ俺はを果たして、さっさと退散しますか! 大丈夫、今日は思ったより元気だし一人でも帰れる。まっすぐ歩ける)


 納得の言葉だろうか。

 否。

 

 しかしそんな言葉に力はない。

 悠陽は拳をギュッと握りしめた。


(くそっ、納得できるか!)


 と、その時だった。

 悠陽の視線の先。

 美桜が目元をぬぐった。

 涙が、浮かんでいた。


「美桜ちゃん!!!」


 悠陽はすぐに駆け出した。

 彼女の隣にいたイケメンが彼女の手を掴むのが見える。

 美桜はその動きに抵抗して、嫌がるように振り払う。

 悠陽の腹の底がカッと熱くなる。

 ベンチへ駆け寄り、イケメンの手首をぐいっと掴む。


「なあ、離せよ」


 相手の手の方が大きい。

 悠陽はそのことにすぐ気づいた。

 

(ってより、俺が貧弱なだけか)


 それでもイケメンの手を美桜から引き剥がすことには一片の躊躇ためらいもなかった。

 コールドスリープから起きたばかりの自分では敵わないかもしれない。

 なんてことは微塵も考えちゃいない。

 買い物カゴを持っただけで筋肉痛になるような貧弱な体だろうと、美桜よりも細い腕だろうと、1


「ゆ、ゆう兄ちゃん!? ち、違うのこれは……!」


 美桜が慌てはじめる。

 だが悠陽は首を振ってそれを止める。


「俺は美桜ちゃんが誰と付き合おうと、それが美桜ちゃんの決めた道なら止めないよ。でも」


 悠陽は毅然とした態度でイケメンを見据えて。



「美桜ちゃんが泣く未来だとしたら、俺は全力で否定する」



 周囲の視線は悠陽に向けられていた。

 小柄だろうと、未成年だろうと、虚弱だろうと関係ない。

 悠陽は間違いなく美桜のヒーローだった。

 たしかに薄い手のひらに込められた力は頼りない。

 けれど、悠陽のたぎらせた想いは『ゆう兄ちゃん』として、美桜を守る男として、充分すぎるほどに頼りがいのあるものだった。


 イケメンは驚いた顔をした。

 しかしすぐに、挑発的とも取れる笑みをニヤリと浮かべる。


「っ……!」


 悠陽はその余裕な表情にひるみかける。

 傍から見れば悠陽の不利は明らかだった。

 イケメンの方が背が高い。体格自体はさほど恵まれておらず──むしろ華奢な方だったが、悠陽がそれを遥かに下回るほど貧弱だった。

 と、イケメンは美桜からパッと手を離す。


「へえー、君が──」


 悠陽はあっさりと解決したことに拍子抜けしかける。

 しかし。


「──美桜から話は聞いてるよ、『ゆう兄ちゃん』くん♪」


 イケメンの言うことに違和感を感じる。


(え、俺のことを知ってる……? ていうか、「美桜から話は聞いてる」って、え……?)


 それから、そのイケメンのに違和感を覚える。


(ていうか……なんか声、高くない? え……まさか……)


 悠陽の心拍数が上がっていく。

 ドドドドド、と自分でも分かるくらい鼓動が激しく聞こえる。

 美桜が今度こそ、悠陽とイケメンの間に割り込んだ。

 イケメンが揶揄からかうように笑う。


「おっと、ごめんね美桜。別に『ゆう兄ちゃん』くんを取ったりしないよ」

「そ、そんなこと心配してないから! ばかっ!」

「み、美桜ちゃん……? その人って……」


 美桜がくるっと振り向く。


「えと、この人はバイト先の同僚なの。だから、ただの友達だし、付き合うとかないし! それに──」


 美桜が体の前で全力でバツ印を作る。


「そもそも、女の子だからっ!!!」


 短い沈黙があった。

 時が止まったみたいな空白が生まれ。

 悠陽はイケメン──へと向き直る。


「……へ?」

「どーもー、美桜の同僚です♪」


 彼女はカッコいいファッションをしている。

 髪の毛も短めで、悠陽には男のように見えていた。だがよく見ればボーイッシュなだけで、ちゃんと女性だと分かる。


「え、あ、じょ、女性……?」

「いえい、女子でっす! あ、恋愛対象は女子じゃないから安心してね?」


 確かに、顔の輪郭は男のようにゴツゴツしていない。

 ガタイが良くないと感じたのも、そもそも女性だとすれば当たり前の話で。


「……え、じゃあ、さっき美桜ちゃんが泣いてたのって」

「なんか美桜が目が痒いって掻こうとするから、止めよーって」

「……へ?」

「ほら、この子って花粉症らしくて、でもこすったら余計に目が腫れちゃうでしょ?

 だからやめなって。でも痒いから止めないでって嫌がるんですよこの子」

「あ、ああ……」


 悠陽はだんだんと理解していく。

 自分がしたこと。置かれていく状況。


「いやー、『ゆう兄ちゃん』くん。それにしても君、やるねえ」

「は、はい?」

「さっきのカッコよかったよ」


 イケメン女子がニヤっと笑う。


「『美桜ちゃんが泣く未来だとしたら、俺は全力で否定する』だっけ?」

「あああああああああ!!!! 忘れてください!!!!!!!!」


 悠陽は全てを悟った!

 己の失態を! 早とちりを!




◆  ◇  ◆




 恥ずかしいアクシデントはあったものの、バザールを回り終えた。

 その帰り道。

 寒空は茜色に染まり始めていた。

 そして悠陽は真っ白に燃え尽きていた。


「もうだめだ俺は……もう一度コールドスリープさせてくれ……」

「わー、ゆう兄ちゃんがいつもよりしぼんでみえるよ」

「俺……恥ずかしくて生きていけねえよ……そうだ……ふふふ……いっそ誰も生き残っていない遥か未来まで眠りにつけば、俺の痴態を覚えている人間もいないってことじゃないか……?」

「それは眠りすぎじゃないかなあ!?」


 トボトボと歩く悠陽の両肩をポンポンと美桜が叩く。


「もーっ、落ち込まないでよゆう兄ちゃんっ。私とのお出かけじゃ満足できなかった?」

「そんなことはないけどさ。でも俺、とんでもねえ恥をかいたんだよ?」

「えー、そうかなあ?」

「そうだろ」

「そんなことないって。私は嬉しかったよ。だって──」


 美桜は満足げに笑う。


「ゆう兄ちゃんが助けに来てくれたんだもん」

「あ……」


 悠陽の足が止まる。

 絵画のように切り取られた光景だ。

 冷たい空気が流れてくる。夜の気配が運ばれてくる。

 少しだけ寂しい匂いがする。

 そのなかで嬉しそうに笑う美桜。

 彼女の背には暮れなずむ黄昏たそがれが広がる。オレンジ色から薄紫へとグラデーションで変化する、二月の、冬の空。

 辺りはうす暗くなってきていて、それでも彼女の笑顔だけは輝いて見えて。


「美桜ちゃん……」

「ふふ、昔のこと思い出しちゃった。初めて会ったときのこと。あんときからゆう兄ちゃんはカッコいいからなー」


 美桜はゴキゲンで。


「今日だってカッコよかったよ。だから、恥をかいたなんて言わないで」


 ねっ? と美桜がウインクをした。

 悠陽はそれを見て、なんだか、とても報われた気持ちになった。


(勝手に絶望して突っ走って、それで恥をかいたけど……まぁ、美桜ちゃんが笑ってくれたなら、それでいっか)


 先ほどまでの羞恥はもう悠陽の中には無かった。

 あるのは充足感と安堵。


(だって俺が望んでたのはこういう未来なんだからさ)


 悠陽が静かな達成感に浸ってしんみりしていると、美桜がぐいっと近づいてきて。

 急に美桜に近づかれると、視界がデッカいものにジャックされてしまう。近い、そしてデカい。

 ひょいっと手を差し出してくる。


「ね、ゆう兄ちゃん。手ぇ繋いで帰ろっ!」

「いっ!? なんで!?」


 しんみりしていた悠陽は一気に動揺した。


「なんでって、んー、なんか懐かしくなっちゃったから?」

「懐かし、く?」

「うん。さっきのゆう兄ちゃん、昔と変わらずカッコよかったから。なんか懐かしーなーって。あの頃みたいにさ、手を繋いで帰りたいなーって。……だめ?」

「だ、ダメじゃないダメじゃない!」


 悠陽は慌てて肯定する。

 美桜の言うように、昔の二人は当たり前のように手を繋いでいたのだ。


(なんだ、そういうことか。あれね、『ゆう兄ちゃん』としてね?)


 悠陽はざわつく胸をなだめる。


(本音を言えばそれ以外の意味で手を繋ぎたかったけど……美桜ちゃんの笑顔が見られたから、うん、充分だな)


「ゆう兄ちゃん、はいっ」


 伸ばされた手に触れて、そっと握る。

 自分の骨ばった手とは違う、柔らかくてすべすべとした感触。

 そういう意味はないと思っている悠陽でさえドキッとしてしまう、そんな魅力があった。


「えへへー、ゆう兄ちゃんの手はでっかいなあ~♪」


 美桜が嬉しそうに歌う。


「そんなことないだろ?」

「ううん。ちゃんとでっかいよ。でっかくて、あったかいの」

「ええ? 俺よりむしろ美桜ちゃんの方が……」

「もー、ゆう兄ちゃんはロマンがないね!」


 美桜がブンブンと繋いだ手を振り回す。


「わ、やめろって!」

「やめなーい! あははっ!!!」

「ちょっ、美桜ちゃ……美桜さん!?」


 美桜が駆け出し、悠陽は慌てて付いていく。

 夕暮れのなか、はぐれないように。

 暗闇でも見失わないように。


 二人の影は繋がったまま、いつまでも、どこまでも遠く伸びていた。






 _________

 二人の話はまだまだ続きます♪

 幼馴染と両片思いなラブコメ、今後もぜひお楽しみください( ˘ω˘ )


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