幕間 美桜④ 10年越しのキスをする

 ソファで穏やかに寝息を立てる悠陽を、美桜は見つめる。

 バザールでのデートから帰ってすぐ、電池が切れたように眠ってしまった。


(今日は疲れさせちゃったな……悪いことしたかも)


 振り返ると散々だった。

 謎の使命感によりドーナツをドカ食いしたあと、ティッシュが無くなるまで花粉症で洟をかみ、今度は無くなったティッシュを買ってこさせて……。

 しかも結局、症状が酷くて帰ってくることになった。


(うっ、デートとしては失格すぎる……)


 こんな台無しにするつもりはなかった。

 年上になったとはいえ、可愛く思われたい気持ちがないことはない。いや、ある。特に悠陽相手にはだいぶある。

 だが、どうしたって悠陽の前では子供っぽくなってしまうのだ。


(それが私……本当の私。体ばっかり大きくなって、それでもまだ、ゆう兄ちゃんに甘えてるんだ)


 どれだけ成長しても、自分の方が年上でも関係ない。

 甘えられる存在として美桜の身体は記憶しているのだ。

 幼いころ追いかけていた背が、握ってくれた手が、励ましてくれた声が、全てが美桜の脊椎を通して全身にくまなく記憶されているから。

 美桜の脳が、神経が、細胞が、身体が悠陽を覚えている。


(私、ズルい子だ。だって……)


 わがままを言っても悠陽は許してくれることを知っている。

 泣いていたら助けてくれることを知っている。

 悠陽のでっかい優しさを美桜は知っている。


(あの時から、ゆう兄ちゃんはずっと優しいんだ)


 今でも思い出す。

 小学一年生のあの日、悠陽と出会ったときのことを────




 大森おおもり美桜みおは大泣きしていた。

 朝の通学路。電柱の根元にうずくまって、泣いている。


「うっ、うう、うううう……」


 目が覚めたら、飼っていたハムスターが亡くなっていた。

 家を出るときには濡れていなかった頬が、歩いているうちに涙でぐしゃぐしゃになっていく。

 美桜は泣いた。

 目の端から涙の粒がこぼれていく。

 泣いていたら頭が痛くなってきて、美桜は電柱の根元でうずくまってしまう。

 ひとりぼっちで寂しくて、誰かに包みこんで欲しかった。

 しゃがんだ美桜の背は、大きなピンク色のランドセルに隠れてしまうくらい小さい。

 その背中に声がかけられる。


「これ、つかう?」


 美桜が振り向くと男の子が立っていた。

 自分よりも大きい上級生。

 手にはハンカチが握られていて、ほら、とばかりに彼は差し出してくる。

 優しい気遣いだと当時の美桜にも分かった。

 それが嬉しくて、男の子にワッと泣きついた。

 タックルでもするかのように男の子の膝に抱きついて、わんわんと涙を流す。


「え、あ、ちょ、ハンカチ……」


 男の子が困惑している。

 だが美桜は、男の子の足元から離れようとしない。

 心細くてどうしようもなかったとき声をかけてくれた年上の男の子は、美桜にとっては離れがたい、頼れる存在だった。

 男の子は優しい声で言ってくれる。


「大丈夫、だいじょうぶだからな」


 美桜が泣いている間、男の子はずっと背中を撫でてくれた。美桜は、包みこんでもらえた安心感でさらに泣いてしまう。

 ひとしきり泣いたあと、美桜は男の子に尋ねられた。


「きみ、名前は? 学年は言える?」


 美桜は嗚咽混じりに答える。


「みお。おおもり、みお。いちねんせい」

「おっけー。みおちゃん、学校いけるかな?」


 美桜はこくりと頷く。

 それから男の子の手をギュッと握る。男の子は驚いた顔をしたけれど、すぐに握り返してくれた。

 美桜は男の子を見上げて尋ねる。


「おにいちゃんはなんていうの」

「おれ? おれの名前?」


 美桜は頷く。

 男の子はニッと笑った。


「おれ、こばやしゆうひ。よろしくな!」




 懐かしくて温かい記憶に思わず笑みがこぼれる。

 美桜はソファのそばに腰を下ろした。眠る悠陽にゆっくりと顔を近づけていく。


(ゆう兄ちゃん、今日は本当に嬉しかったんだよ)


 美桜の指先が優しく悠陽の頬に触れる。

 ぷにぷにと押す。


「ありがとね、ゆう兄ちゃん」


 悠陽が起きる気配はない。

 返事の代わりに、すーすー、とさざ波のような寝息を立てるだけだ。吸い込む音と吐き出す音が、ちょうど波打ち際のゆらぎと同じで。

 穏やかなリズムが居間に満ちている。

 言ってしまえばただ息をする音。

 けれど、美桜にとっては特別なものだった。

 なぜなら。

 自分を守ろうとしてくれたの寝息なのだから。


(きっとゆう兄ちゃんは、どんな相手だったとしても助けに来てくれたんだろうな)


 バザールでの一件を思い出す。

 美桜が男に泣かされている、そう思った悠陽はすぐ助けにきてくれた。

 実際は悠陽の勘違いだった。

 けれど、だからこそ彼の言葉に嘘はなかった。


『美桜ちゃんが泣く未来だとしたら、俺は全力で否定する』


(きゃ~~~~~~~!!!!!!)


 嬉しすぎて叫びそうになる。

 自分の方が年上になってしまったのに。

 悠陽の方がずっと華奢なのに。

 そんなことは些細な問題だとばかりに助けてくれる姿が、その想いが、美桜にとってはなにより嬉しくて。


「あのね、ゆう兄ちゃん。兄ちゃんは気付いてないかもしれないけど……私、初めて出会ったあの時に、助けてくれたあの時──」


 美桜は、眠る悠陽の頬に顔をそっと寄せていき。


(とっくに、ゆう兄ちゃんのことが……)



 ちゅ、と湿ったリップ音が部屋の隅で静かに響く。

 その音は世界じゅうの誰も知らない。

 美桜しか知らない。知り得ない。

 10年を超えて奏でられた。



 恋の音だった。






 _________

 悠陽てめ~~~~目を覚ませ~~~~~~~💢💢💢


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