第16話 美桜には笑顔でいてほしい 前編
バレンタインデー、当日。
ショッピングモールの広場にて開催されたバザールはにぎわっていた。
屋台が並び、露店が軒を連ね、人々の笑顔で満ちている。
全てを包むように甘いチョコの匂いがしている。
悠陽と美桜も、幸せムード全開の広場にいた。
だが。
悠陽の顔に浮かぶのは焦りと困惑。
「美桜ちゃん、無理しないで」
なぜなら、美桜が青ざめた顔で息をしているから。
「っふゥー……っはァー……」
苦しそうな表情。
滲んだ脂汗。
(美桜ちゃん、つらそうだ……)
出来ることなら代わってやりたい。しかしそれは叶わない。悠陽は自分に出来ることをした。
キョロキョロとあたりを見わたし、目を留める。
「ちょうどベンチが空いたよ。座ろっか」
悠陽は美桜を広場の端に連れていく。
腰を下ろすと、美桜の表情はいくらか和らいだ。
「ありがとう、ゆう兄ちゃん」
「俺も歩き疲れちゃったし、ちょっと休もうか」
「うう、ごめんね。気を遣わせちゃって……」
「そんな。気にしないでよ」
「き、気にするよっ。私が……私が────」
美桜は悔しそうに唇を噛む。
「────私がチョコドーナツ食べすぎたのがいけないんだからっ」
美桜が苦しんでいたのは単なる食べすぎだった。
バザールの入り口でドーナツの屋台と出会ってしまったのが彼女にとって運の尽きだった。
美桜は簡単に吸い込まれていったのだ。
それから店員さんに声をかけた、全種類ください、と。
「うう……せっかくのおでかけでこんなことするつもりは……私、変な子だよね……」
「まぁ、5種類ぜんぶ食べたのは驚きだったな」
「うぐっ……だよね……でも仕方ないよね……」
「美味しそうだった?」
「ううん」
美桜は首を振る。
「甘党としては全制覇しないといけないなって、使命感で……」
「そんな使命ないよ!?」
「そ、そーだけどっ」
美桜は甘いものに目がない。悠陽はそのことを久しぶりに思い知らされていた。
そしてやはり、ちょっと変な子だった。
「はぁ……ごめんねぇ……せっかくゆう兄ちゃんが誘ってくれたのに」
しょぼんとする美桜。
普段はどこからどう見てもデッカいのに、猫背になって落ち込む彼女はどこか小さく見えた。
そんな元気のない彼女を、悠陽は見たくなかった。
「気にしないで美桜ちゃん。俺も休みながらの方が楽しめるし」
「そう?」
「筋肉痛もようやく治まったばっかだからね。ゆっくりの方が嬉しいよ、マジで」
「そっか。それならよかった」
美桜がホッとして微笑む。
(ああ、よかった。笑ってくれた)
悠陽も胸を撫でおろす。
常に思っているのだ、美桜には笑顔でいてほしい、と。
それは好きだからとか好かれたいからとかそんな話ではない。ただ、美桜が笑顔でないことが悠陽には耐えられない──奇妙な話だが、彼にとってはそうだった。
そして耐えられないと感じたときすでに行動しているのが悠陽だった。
初めて美桜を見つけたときもそうだった。
電柱の陰で泣く彼女に気付いたとき、考えるまでもなく悠陽の体は動いていた。
美桜はよく泣く子だった。
それこそゲームで負けたり、ケガをしたり、風邪を引いて寂しくて泣いたこともあった。
けれど悲しみから泣いたことはそう多くない。
初めて出会ったとき。
それからコールドスリープにつく前。
後者に至っては、自分が泣かせてしまったと悠陽は思っていた。
(こんないい子を泣かせるなんて、もう二度とごめんだね)
美桜の横顔を見てそう思う悠陽。
(それにしても、さ──)
道行くカップルたちを見て彼は思う。
(美桜ちゃんと手くらい繋ぎてえなあ!? デートだし、そのくらい願ってもいいよな!?)
バザールにつくなり美桜が屋台に吸い寄せられてしまったので、隣りを歩くだとか手を繋ぐだとか、そういったドキドキイベントが発生していなかったのだ。
(昔は学校の行き帰りに手を繋いだりしたけど、今の俺がしたいのはそういう意味じゃなくってさ……。
でも、今日来てくれたってことは……多少は脈ありってことでいいんだよな?)
気がかりなのは『日頃のねぎらい』なんて言い訳をしてしまったこと。
(向こうは今日だって世話のつもりかもしれないんだよな……)
いったいどう思っているんだろうか、と悠陽は美桜の横顔を盗み見る。
彼女の視線は正面の広場中央、ステージでの催しに釘付けだった。
ぽえーっと何を考えているのか分からない表情。
その顔がくしゃりと歪んだ。
今にも泣きだしそうな表情に、悠陽が驚いて────
「へくちんっ!」
可愛らしいくしゃみが飛び出した。
「くちんっ! へちんっ!」
美桜が口元を押さえてくしゃみを連発する。
「え……風邪?」
「ちが……へちゅんっ! 花粉症なの……くちんっ!」
「ああ、それはご苦労様です……」
幸い悠陽には縁遠い話だった。
美桜はズビビと
「うう、羨ましいよ~。恨めしいよ~」
「そ、そうか……薬は飲んだ?」
「うん。でも切れてきちゃったのかも」
美桜はポケットティッシュで、ちーん、と洟をかむ。
鼻水が止まらないようだった。
「あぅ……ティッシュ無くなっちゃった、、、、」
「えっ、そんなことある!?」
「ゆう兄ちゃん、花粉症を舐めちゃいけないんだよ……! っくちんっ!」
美桜はくしゃみを連発しながら続ける。
「いつもは箱ティッシュを持ち歩くんだけど……くちゅんっ! 今日は持ってきてなくて……」
「どうしてさ。忘れたの?」
悠陽が首をかしげると、美桜はむぅと拗ねた顔をして。
ボソボソと小声で言う。
「(……デートなのに箱ティッシュとか恥ずかしくて持ってこられないに決まってんじゃん)」
「なんだって?」
「別になんでもないし!!!」
「え? え? なんで怒ってるの!?」
「はーあ、ゆう兄ちゃんってロマンがないよね、ロマンがさ」
美桜が呆れてため息をつく。
悠陽にはその理由が分からず、焦ってしまう。
「えーとえーと……俺、ティッシュ買ってこようか?」
「ううん。私ちょっと行ってくるよ」
美桜はベンチから勢いよく立ち上がる。
すると。
「うぷ……気持ち悪い……」
すぐにストンと座ってしまう。
「急に立っちゃダメだって。やっぱ俺が買ってくるよ」
「でも……」
「いいからいいから。安静にしてて」
悠陽はベンチから離れてショッピングモールを目指す。
数歩歩いたところで何の気なしに振り返る。
「……美桜ちゃん、一人でも大丈夫? もしなんかあったら……」
「もう、ゆう兄ちゃんってば心配しすぎだよ。私、もう大人なんだよ? 二十歳だよ、二十歳」
言われてハッとする。
(そうだった……美桜ちゃんは大人なんだよな……俺と違って)
悠陽の胸がキュッと締め付けられる。
寂しさだ。
自分だけが時の流れに置いていかれてしまったことを改めて思い知らされると、こうして寂しさを感じずにはいられない。
けれどそれを認めたくなくて、悠陽はフッと笑う。
二月の冷たい空気が心臓に届いたのだと、彼は自分に言い聞かせる。
虚勢を張って軽口を叩いた。
「大人はドーナツの食べ過ぎでダウンしたりしないんじゃね?」
「もうっ、ゆう兄ちゃんのいじわる!」
美桜の可愛らしい声を背中に受けながら悠陽はショッピングモールへ向かった。
人混みをすり抜けて日用品売り場を探す。
すれ違うなかには若いカップルの姿が目立った。
(あっちは高校生のカップル……あれは大学生かな……)
バレンタインバザールに向かう人が多いこともあるが、今の悠陽はどうしてもカップルを見つけてしまう。
(みんな……同い年くらいの組み合わせ、だよな)
たまたまなのかもしれない。
歳の差婚などという言葉もある。けれど。
(なんか……俺ってもしかして、美桜ちゃんと釣り合ってないんじゃないか?)
些細なきっかけが悠陽の思考に影を落とす。
また一組、幸せそうなカップルが悠陽の隣を通りすぎていく。
(美桜ちゃんの隣に俺の居場所はあるのかな。10年も空けていたその場所に、俺はまた戻れるのかな)
買い物をする間もその考えがずっと頭から離れない。
(俺は美桜ちゃんには笑顔でいてほしい。それは嘘じゃない。でも、もしかして────美桜ちゃんの隣にいるのは俺じゃなくてもいいってことなのか?)
彼女が笑顔であれば、笑顔にするのは自分じゃなくてもいいのではないか。
それは悠陽にとっては重くて苦しい仮説だった。
箱のティッシュを買い、悠陽は美桜の待つベンチへと向かう。
遠目にも美桜が座っているのが見えた。
だが、こちらからは顔が見えない。表情が見えない。
そしてその隣には。
「……誰だ、あれ?」
見知らぬイケメンが座っていた。
(あ……)
先ほどまで悠陽の頭をかすめていた
──美桜ちゃんを笑顔にするのは俺じゃなくてもいいってことなのか?
どろりとした感情が足元にひたひたと満ちていく。
(ひょっとしたら俺の居場所はとっくに無くて、美桜ちゃんは優しいから、本当にただ面倒を見てくれるだけで、それ以上の感情はなくって……)
10年という時間は少女を大人の女性に変えるには充分で。
まだ15歳という子供のままの自分にはどう足掻いても届かない距離。
悠陽の前に時間という大きな壁が、自分にはどうすることもできない障害が、険しく立ち塞がる────
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