第10話 歯磨きは誰がするの? ねえ、ゆう兄ちゃん
結局、トーストに塗ったジャムのフタは美桜が開けた。
レモンジャムは甘酸っぱくて、少しだけ苦かった。
そしてご飯を食べ終えてすることと言えば。
「ゆう兄ちゃん、歯磨きしよっか」
美桜がにっこりと笑う。右手には悠陽の歯ブラシが握られていて。
左手で、正座する自分の太ももをポンポンと叩く。
「磨いてあげるから頭のせて?」
「なんで!?」
「なんでって……歯磨きするからでしょ?」
「いやいやいや。それくらいさすがに一人でできるって」
悠陽はいま、15歳にもなって歯を磨かれようとしていた。
しかも美人の太ももに頭を乗せて。
正直、興味はある。
しかし気恥ずかしさの方が勝ってしまうわけで。
世話をされるのは恥ずかしいことじゃないと美桜は言っていた。
(でもこれは違うよねえ!? 「ゆう兄ちゃん」としてカッコ悪いとかじゃなくて、普通に恥ずかしいやつだよねえ!?)
「ふー……ゆう兄ちゃんは分かってないね……歯磨きの恐ろしさを」
「歯磨きの恐ろしさ? 虫歯じゃなくて?」
「虫歯よりも恐ろしいんだよ、歯磨きは」
「ええ? だって歯ブラシで磨くだけじゃん」
「甘いっ!」
美桜がビシッと歯ブラシを突き出してくる。
「歯ブラシがのどに突き刺さる事故だってあるんだよ!? 今のゆう兄ちゃんは筋力も落ちてるし、筋肉痛だし。足がもつれて転ばないって言える!?」
「それは……そうかもしれないけど。じゃあ、座ってやるから」
「甘いね、ゆう兄ちゃん。子供用歯磨き粉くらい甘い」
美桜は肩をすくめてから、再びビシッと歯ブラシを向けてくる。
「椅子から転げ落ちちゃうかもしれないでしょ!」
「ええ!? ああもう、分かった。分からないけど分かったよ」
どうやら美桜の考えは変わらないらしい。
「けどさ、なんでその……膝枕する必要があるんだ?」
「? だって調べたら出てきたよ」
「うそォ、なんて調べたの」
「歯磨き 子ども やり方」
美桜がスマホを見せてくる。
幼児が親の膝に頭を乗せているイメージ画像が表示されていた。
どうみても一、二歳児だ。
「子どもにしても子どもすぎんだろ!!!」
「えー? 今のゆう兄ちゃんはそのくらいで見積もった方がよくない?」
「ひでぇ! そうかもしれないけどさ!!!」
悠陽はだんだんと察してきた。
(……これはもしかして、さっきと同じパターンか?)
ジャムのフタは誰が開けるか。
答えは美桜だった。
悠陽が食べるとしても、美桜が開けた。
では、悠陽の歯を磨くのは誰か?
「ほら、ね。ゆう兄ちゃん」
美桜が再び、太ももをポンポンと叩く。
悠陽の視線が吸い寄せられる。
チノパンの生地がみちっと音を立てそうなほどの存在感。ハリのあるバランスボールのような弾力を想像させる。隙間のない、ぴっちり感。
太ももが太ももしていた。
それを見て、心の奥で張っていた糸がプツンと切れた音がした。
なけなしの理性を燃料に飛んでいたプロペラ機が、太ももという乱気流を受けて墜落していく。
悠陽はフッと微笑み。
美桜の太ももに頭を乗せた。
(ま、いっか~~~)
悠陽は全力で現実逃避していた!
すべてを諦めて美桜に身を任せることにしたのだ!
ああ、太もも。
素晴らしきかな太もも。この弾力がたまらないんだな。
「ゆう兄ちゃん」と慕われて育ったプライドなど、ひとえに風の前の塵に同じ。
悠陽は、芯から何も考えていない声で言う。
「わー、よろしくおねがいしまーす」
部屋の灯りが眩しいので目は閉じる。
口を開けて、磨かれるのを待った。
逃避する思考の奥で、悠陽はぼんやりと思い出す。
誰かの太ももに頭を預けるのは、小さいころ、母親に耳掃除をしてもらったとき以来かもしれない。
(美桜ちゃんの膝枕は……なんというか、重量感がすんごいな)
自分の方が頭を乗せているはずなのにどうして重みを感じるのか悠陽にも分からない。けれど確かに重みを感じる。
柔らかくて、安心感があって。
重たいものには重力が発生すると物理で習った気がする。
(これが万有引力ってやつか~~~)
また一つ賢くなってしまった。
などと、思っていると。
「あ、あれ?」
美桜の困惑した声が聞こえる。
「どうした?」
「えと、ほら、歯の磨き方を調べてみたんだけどね」
「うん」
「まず、お子さんの頭を膝に乗せます」
「お子さんて、オイ」
「それから……えっと……」
「?」
美桜がもじもじとしているのが声だけでも伝わる。
「あのさ……上から覗きこむような姿勢で磨くとやりやすいってあるんだけどね」
「だからこうしてるんだろ?」
「でも、ゆう兄ちゃんの顔が見えにくくて……」
「へ? いやいやそんなわけ──」
悠陽は、眩しさを恐れながらゆっくりとまぶたを開けていく。
影。
視界には大きな影が落ちていた。
豊かに膨らんだ美桜の胸が、悠陽の視界を独り占めしていた。
「うぉ……でっ……」
言葉を失う。
突如、悠陽の脳裏には走馬灯のようにかつての記憶が流れてきた。
女性の体の神秘にまつわる、とある都市伝説だ。
つまり。
『胸の大きな女性は自らの足元が見えない。そのため勘で階段を下りている』
という、にわかには信じがたい話だった。
同級生のちょいとスケベでお調子者なやつの情報だったから、悠陽はなおのこと半信半疑だったのだ。
だが。
(本当だったんだ……! だっていま、美桜ちゃんの顔が見えねえもん……!)
悠陽は驚きと共に感動していた。
ネス湖でネッシーを見つけた探検家の気持ちだった。
「ご、ごめんね、ゆう兄ちゃん! やり方変えようか!」
「えっ」
そんな、この景色は消えてしまうのか? 失われてしまうのか!?
「だ、だってほら、歯が磨けないでしょ?」
悠陽は我に返った。
そうだった、自分はまだ見ぬ世界を探検しに来たわけではなかった。
「そ、そうだな!」
「じゃ、じゃあソファーに座ってくれる!? 正面からでも出来なくはないから!」
「そ、そうだな! 虫歯になったらいけないしな!」
互いに気まずさが爆発していた。
悠陽はソファに腰かける。
正面に歯ブラシを持った美桜が膝立ちになった。
パチリと、目が合う。
「「あ」」
互いの視線がぶつかり静電気みたいに弾ける。
悠陽も美桜もさっと顔を反らした。
先ほどのアクシデントのあとに顔を見合わせるのは気恥ずかしかったのだ。
(うん……目は閉じておこう……)
悠陽はドクドクドクと高鳴る心臓を諫めるように、拳をギュッと握りこんだ。
近づいてくる美桜の気配をうっすらと感じる。
「じゃ、じゃあ、優しくするからね」
緊張で震える美桜の声で、歯磨きが始まる。
_____
ここからず~~っと美桜のターン♪
いつもフォロー、★評価、♥応援、💬コメントしていただきありがとうございます!
幼馴染のお世話が止まらないラブコメ、今後もぜひお楽しみください( ˘ω˘ )
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