第5話 美桜とはんぶんこ 前編

 昼の悠陽宅に、美桜の叫びがこだまする。


「ゆう兄ちゃんどうしよっ!」


 キッチンからの切迫した声に、悠陽はすぐに駆けつける。

 美桜が青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「どうしたの!? 大丈夫!?」

「み……み……」

「み?」

「みりんが無くなっちゃった……!」


 この世の終わりのような顔で、美桜は自らの身体を抱きしめる。


「みりんって、調味料の?」

「そう!」


 ぐわっと美桜が顔を寄せてきた。絶望から立ち直ったのか、らんらんと瞳を輝かせている。


「豚肉の生姜焼きはみりんを使うとイイ感じに照りがつくんだぁ……うへへ」

「お、おう……」


 悠陽は拍子抜けした。

 思っていたほど大した問題では無さそうだ。


「よくわかんないけど、俺が買ってこようか?」

「ありがと。でも、ゆう兄ちゃんには買えないから」


 やけにキッパリといい切られるので、悠陽は不思議に思う。


「買えないってどゆこと?」

「んと、みりんってお酒が入ってるでしょ」

「そうなのか」


 悠陽は調味料の成分まで気にしたことが無かった。同世代の男子よりは料理をする方だったが、ウマければなんでもヨシというのがモットーだ。

 美桜が指を二本、ピンと立てて解説をする。


「正しくは『本みりん』って言うんだけど、アルコールが含まれているから酒税がかかっちゃうんだよ。含まれてないタイプのは『みりん風調味料』って呼ばれてるの」

「えっ、みりんって酒の扱いなのか」

「だからゆう兄ちゃんには買えないの」


 えへんっ、と美桜が胸を張る。

 ちゃんと説明ができたと誇らしげだった。見た目はしっかり大人なのに、悠陽に対する仕草はとっても子供だ。


(にしても、成人済みの幼馴染から『兄ちゃん』と呼ばれてるのに、俺の方がお酒を買えないってのは、おかしな状況になったもんだなぁ)


 運命の皮肉に苦笑を浮かべる。


「私、買ってくるね。ゆう兄ちゃん待ってて」

「えっ、そこまでしなくても……」

「生姜焼きにはみりんが無きゃダメ! ゼッタイ!」

「そ、そうなのか……?」

「香りが違うの、香りが。ゆう兄ちゃんには美味しく食べてもらいたいんだもん」


 そう言われては悠陽は弱い。


「分かったよ。じゃあ一緒に買いに行こう」


 悠陽が提案すると、美桜の顔がパッと晴れた。


「行く! ゆう兄ちゃんとおでかけ!」


 悠陽はポケットに財布をねじこみ、家を出た。あとから美桜がついてくる。

 こうして二人は近所のスーパーへ向かった。




「あ、あれ? なにこのゲート」


 スーパーの入り口に設置された門を見て、悠陽は足を止めていた。

 空港の金属探知機のような、大きな機械。

 10年前には無かったものだ。


「それは入店のチェックをする機械だから、気にしなくていーよ」


 美桜が、背後から悠陽の両肩に手を置いてくる。


「ほら、行こ」

「お、おう……」


 美桜にとっては『気にしなくていい』ものでも、悠陽にとっては全くもって見慣れないだ。

 店内の様子も記憶のものとはずいぶん違っている。


「みりんってどこに売ってるんだ?」

「調味料の棚だと思うけど」


 スマホの通知音が鳴った。

 美桜が端末を取り出して眺める。


「おばさんから返信だ」


 美桜がそう呼ぶ相手は決まっている。

 悠陽の母親だ。


「母さんの連絡先知ってるのか?」

「うん! 私がゆう兄ちゃんの面倒を見ます! っていったら教えてくれた~」


 いつの間に仲良くなったんだと悠陽は驚いた。


「それで、母さんなんだって?」

「お買いもののリストを送ってくれたの。スーパーに行くから、みりんの他になにか買っておきますかーって訊いておいたんだ」

「オッケー、じゃあ買い物カゴは俺が持つよ」


 自分の家の買い物で美桜に頼るわけにもいくまいと、悠陽は積まれていたカゴを手に取る。


「いいの? ゆう兄ちゃん平気?」

「ヨユーだって。リハビリにもなるし」

「ふふ、じゃあゆう兄ちゃんにお任せしちゃおっかな」

「おう、任された!」


 悠陽は胸を張って応じた。

 それに、と昨日のことを思い出す。


(このままお世話されてばかりじゃ「ゆう兄ちゃん」として示しがつかないもんな。  

 ここらで昔みたいに尊敬されるような男だってことを見せないと!)


 悠陽は密かに燃えていた。 

 そして10分後。


「ゆう兄ちゃん……私が持とうか……?」

「い、いや、まだ平気……」

「でも重たそうだし」


 悠陽はくたびれていた。

 美桜の言うように、悠陽は両手で買い物カゴを持っていた。野菜や肉でカゴの重さは増していて、コールドスリープ明けの悠陽の細腕には、文字通り荷が重い。

 見かねた美桜が提案をする。


「ゆう兄ちゃん、ショッピングカート使おうよ」

「や、まだいける、まだ」

「ええ~? 限界に挑まなくても……」


 悠陽は、自分で持つと宣言した以上、撤回できなかった。

 美桜の前では「ゆう兄ちゃん」としてカッコよくありたいというプライドが、そうさせていた。

 その意志に気付くことのない美桜は、病み上がりの悠陽に持たせっぱなしなのを申し訳なく思いはじめ、ある案を思いつく。


「じゃあ、一緒に持とうよ」

「い、いっしょに!?」


 美桜の提案に悠陽はビビり散らかした。

 彼の返事を待たず、美桜がするりと手を重ねてくる。

 いわば、カゴの持ち手を挟んで恋人繋ぎをするような形になって。


「ゆう兄ちゃんが持ちたくて、私も持ちたい。それなら間を取って二人で持てばぜんぶ解決じゃない?」


 美桜の指がピアノの鍵盤を撫でるように動く。細くて白い指先に触れられると、悠陽の体温が上がってくる。


「どう? ゆう兄ちゃん♪」

「えーとえーと」

「言ったでしょ、半年後の旅行のために私もお手伝いするって。リハビリって言っても無理をするのが良いわけじゃないんだから」

「そ、それは確かにそうなんだけど」


 悠陽は言葉に詰まる。

 たん、たたたんと美桜の指がリズムを取る。だんだんとテンポが上がっていき、答えを急かされているような気分になってくる。それに合わせて悠陽の鼓動も早まっていく。


(無意識なのかもしれないけど……その動きは……え、えっちすぎるって……!)


「わ、分かったよ! 一緒に持ってくれ!」

「ふっふー、素直でよろしい」


 美桜が胸を張る。

 彼女の指先が奏でる心地よいリズムに溺れてどうにかなってしまう前に、美桜の提案に乗ることにした。


 したのだが……!

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