第2話 夢とジレンマ

 悠陽は、10年ぶりの我が家に帰宅していた。心臓の手術も無事に終わり、検査の山を乗り越えてようやく。

 リビングには二人分の声がする。

 悠陽と美桜はソファの上でしていた。

 つややかな美桜の声と、焦った悠陽の声が交わる。


「ふふっ、ゆう兄ちゃんってば弱すぎ」

「ううっ、しょうがないだろ? 10年も寝てたんだか……あっ、やめっ、そこはズルいって!」


 どちらが優勢かは火を見るよりも明らか。

 美桜がニヒヒとイジワルそうに言う。


「これはどうだ~? 起き上がって来られるかな~?」

「あっ、あっ、やめてやめて、いま来られたらトんじゃう、トんじゃ……あー!!!」


 悠陽は……否、悠陽の操作していたが画面の外へと飛んで消えた。

 二人は美桜が持ってきたゲームで遊んでいた。

 かつて交わした『帰ってきたらまた遊ぶ』という約束を果たしていたのだ。

 悠陽は、へなへなと情けない声でソファをずり降りていく。


「くそ~、までは勝てたのに……」


 悠陽が悔しそうに言う。

 美桜はふふんと胸を張った。


「兄ちゃんのは、私にとっては10年前だからね? ひたすら特訓してた私に勝てるだなんて思わないことっ!」


 得意げな美桜を、悠陽は不思議そうに見つめる。


「特訓?」

「友達と一緒にね。解説動画見たり~、全国対戦で鍛えたり~。プロのマンツーマンレッスンも受けちゃった!」

「そこまで!? ……というか、プロのマンツーマンレッスンとかあるんだ」

「今だとフツーだよ? eスポーツはオリンピックの種目になってるし」

「オリンピック!?!?!?!?」

「もー、ゆう兄ちゃん驚きすぎー」


 美桜がケラケラと笑う。

 悠陽は呆然としてしまった。

 自分が眠っていた10年の間で、eスポーツは予想もしない盛り上がりをみせていたらしい。


「にしてもレッスンかぁ。美桜ちゃんはプロゲーマーになるの?」

「ううん。なんで?」

「だってプロと特訓してたんだろ?」


 悠陽が不思議そうに問いかけると美桜のほっぺたが、ぷくーっと膨れていく。

 不満を帯びた気体がこめられていくのが悠陽にも分かった。


(やべっ、なんか怒ってる!? なんで!? だって、じゃあなんのために特訓を!?)


「……ゆう兄ちゃん、もっかいやろーか」


 静かな口調だったが、怒っている。

 それは悠陽にも分かった。

 美桜がニコリと笑う。

 にこやかなのに目は笑っていなくて。


「兄ちゃんにはおしおきが必要みたいだねぇ」

「ひッ……!」


 結局、悠陽はそのあと三回はボコボコにされた。


「ふっふー、圧勝だっ!」


 美桜がこれ見よがしにVサインを向けてくる。

 悠陽は悔しく思いつつも、その美貌に見惚れてしまう。


(美桜ちゃん……いや、”美桜さん”、か? 昔から可愛らしいとは思ってたけど、今はなんていうか、になったよな)


 悠陽は美桜をじっと見つめる。

 美桜は「?」と首を傾げた。

 動きに合わせて髪の毛がこぼれる。滑らかなシルクのカーテンが春のそよ風になびいたようで、悠陽の目は奪われてしまう。

 色白の肌などはそれだけでも美しい。

 そこにツヤをまとった桜色の唇が咲いていたら?

 清楚な美女の完成だ。


(正直、めちゃくちゃ好みなんだけど!?!?)


 ハートのど真ん中を撃ち抜かれていた!

 悠陽は年下よりも年上が好みだった!


(しかもそれだけじゃなくて……)


 隣の美桜を横目で盗み見る。

 彼女はちょうど伸びをしていた。


「んんーっ! ゲームって……肩……凝るねえ~~……ああ~」


 美桜は組んだ手を、ぐぐぐーっと真上に伸ばしていく。

 丸まっていた背を解き放つように胸を反らす。

 豊かな胸がことさらに強調されるポーズになっていた。


(うぉ……でっか……)


 柔らかくて大きいものが揺れるとき、どうして視線を逸らせないのだろうか……。

 悠陽の視線は釘付けだった。

 ドキドキしているのが自分でも分かるくらい、心臓がうるさい。

 すると。


 ピーッ! ピーッ!


 悠陽のつけていたスマートウォッチがアラート音を発した。

 心拍数の上昇を検知し、しらせてきたのだ。


「ゆう兄ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫だ」

「でもそれ、バイタルを計測してるんだよね。それが鳴ってるって、もしかしてヤバいやつ?」

「や、これは平気なやつだ。うん、まあ心拍数が上がっただけでさ」


 平気なやつってなんだよ、と自分にツッコみながらも悠陽は慌てて取り繕う。

 だが、心の内は大暴走だった。


(妹みたいに可愛かった美桜ちゃんが……でっかい美女になっちまって……くそっ、運命は俺の気持ちをどうしたいんだ!!!)


 かつてのように「ゆう兄ちゃん」として妹みたいに接するべきなのか。

 それとも見た目通り、魅力的な美女として接するべきなのか。

 悩んでいると美桜が心配そうに尋ねてくる。


「ほんとに大丈夫? 私がゲームさせて興奮させちゃったかな」

「い、いや、違うって。ゲームは楽しかったけど、それくらいじゃバージョンアップした俺の心臓はへこたれない!」


 不安にさせまいと強がって、悠陽は拳で胸をドンと叩く。

 ちょっぴり痛くて、うぐ、と体を丸めた。

 呆れたように美桜がため息をついて、背中をさすってくれる。


「もう、無理しないでよ。おでかけも出来ないんでしょ」

「いや、近所ならいいんだ。けど、遠出とおではまだちょっとな」


 手術は成功したものの、コールドスリープの影響も考える必要があると医者には言われていた。

 だからこそスマートウォッチでバイタルも計測している。


「半年後の検査まで異常が無ければ、旅行でも激しい運動でもお好きにどうぞってさ」

「おおー! 半年後っていうと、夏休みごろかな?」

「だね。体調を万全にしたら……そうだな、行きたいところがあるんだ」

「行きたいところ?」

「うん、ぜってー京都行くんだ」

「京都?」


 美桜がキョトンとする。


「ほら、病気のせいで修学旅行には行けなかったし。だから青春リベンジって感じ」


 修学旅行は九月にあったのだが、そのころにはもう入院していたのだ。


「ふふっ、素敵だね。じゃあリハビリも頑張らなきゃだ」

「まかせろ!」

「そっかあ~、じゃあ」


 美桜が決意に満ちた顔で拳を握る。


「私も一緒に京都行きたいっ」


 美桜の目はワンコのように輝いている。無邪気に、無自覚に、言っていた。

 ドキッとしたとたん、心の中の悪魔がささやく。


(でっかくなった美桜ちゃんと旅行!? 最高じゃねえか! あわよくばエロいことでも起きねーかなぁ!? うひひひ)


 すると、頭の中の天使が咎めてきた。


(いけません! 二人で旅行なんてです!)


 だが悪魔は対抗する。


(やい、天使! 真面目ぶるのはよせ、ほんとはどう思ってるんだよ!)

(……………………行きたいッス)

(お前もえっちなハプニングを期待してただろ!?)

(し、してたッス……!)

(じゃあ、行くしかねーよなあ!?)

(行くしかねーッス!!!)


 悪魔が二匹になった!

 悠陽の理性は、本能をちっとも説得できなかった!

 どこかスッキリとした顔で悠陽は親指を立てる。


「行こうか」

「ほんと!? やった~!」

「はっはっは、半年後の結果を見てからだぞ」

「それでも楽しみなの」


 美桜の笑顔がパッと咲く。

 不意打ちの笑みに心臓が激しく脈打つのが自分でも分かる。

 そしてそうなれば当然、スマートウォッチが心拍数の上昇を伝えてくるわけで。


(ちぇっ、うるさいなあ。心臓がドキドキしてるのなんか言われなくてもわかってるって。

 ……って、おい、待てよ?)


 悠陽は気付いてしまった。

 バイタルに異常がなければ旅行できるようになる。

 でも、バイタルに異常があれば旅行はできなくなる。

 つまり。


?)


 泣きそうになるが、まだ慌てる時間じゃないと悠陽は自分に言い聞かせる。


(ま、まあ、言うて美桜ちゃんと会う機会もそうそうないだろうし──)


 美桜が「はいはい!」と手を挙げる。


「私、ゆう兄ちゃんのお世話係になる!」

「えっ」


 予想外の言葉に悠陽の口がポカンと開く。


「半年後まで問題なく過ごせるように、私、毎日のお世話がんばるからっ」

「ええっ」

「おじさんもおばさんも年度末にかけて忙しいって言ってたでしょ?」

「うぐぅ」


 今は二月上旬。

 悠陽は春からの高校入学までの二ヶ月、日中は一人で過ごすことになる。

 コールドスリープの影響で体力は落ちているし、10年ぶりの世界を独りきりで上手くやっていく自信は、悠陽にはなく。


(正直めちゃくちゃ助かるよ。でも、こんな美人に毎日お世話されてドキドキしないとか無理ゲーすぎるだろ!)


 ひぃん、と嬉しい悲鳴をあげたくなる。


「ふっふー、やさしー幼馴染に感謝してよね」


 美桜が安心させるように悠陽に寄りかかってくる。柔らかな体温が優しく預けられて。

 悠陽の胸が高鳴る。

 心臓はいまにも爆発してしまいそうだった。



「心配しないで、ゆう兄ちゃん。明日からはもーっとお世話しちゃうからねっ♪」

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