第3話 重みの正体は? 前編
悠陽は昔の夢を見ていた。
出会ってすぐ、美桜がまだ6歳のころ。
場所は自宅。
二人で遊んでいるうちに、美桜はのどが渇いたと言い出して。
「ゆう兄ちゃん! コップ! みおのコップ!」
美桜は子犬のようだ。犬種でいえばマルチーズ。
人懐っこく活発な小型犬だ。
美桜はマルチーズのように悠陽の周りをぐるぐると回りながら、お気に入りのマグカップをせがむ。
しまいには抱きついて、はやくはやくと悠陽を急かすのだ。
悠陽は腰のあたりに重みを感じながらカップを渡すのが常だった。
「はいはい。クマさんのやつなー」
取りづらい場所に置いてあるのは父親の案だった。
曰く、美桜が自分で取ろうとして怪我でもしたら危ないかも、と。心配性の親父らしいと悠陽は思っていた。
マグカップを受け取った美桜は小さな両の手のひらでぎゅっと握りしめて笑う。
「ゆう兄ちゃん、ありがと!」
あのカップはまだあるのかな、とぼんやり考えているうちに、悠陽の目が覚めていった。
インターホンが鳴っている。
寝ぼけていた悠陽は何も考えずに玄関のドアを開けて。
デカい影がぬぬっと現れる。
美女がランチバッグを掲げていた。
「ゆう兄ちゃん、おは~」
幼馴染の
悠陽が眠りにつく前は5つ下の少女で、今では5つ上の、二十歳の女性。
彼女は、子犬みたいだったころの面影を残してはいるが、見違えるほどオトナな美人になっていた。
昔はマルチーズみたいだったのに、いまじゃゴールデンレトリバーみたいだ。
髪をまとめているピンク色のシュシュ──かつて悠陽が贈ったそれが無ければ、幼馴染の美桜だと信じられなかったかもしれない。
「ごはん作ってきたよっ」
「ごは……ん……」
「もう、忘れちゃったの? お世話するって言ったでしょ♪」
美桜の言葉で悠陽の頭が起きていく。
にこやかな美桜を見つめる。
それから視線は重力に引っ張られるように下降する。
でっかい。
春らしい桜色のブラウスに包まれた胸元を、つい凝視してしまう。
思春期の男子にはけっして抗えない引力。
よくないと分かってはいても、どうしても視線が奪われてしまう。
(くっ……俺の感覚だと美桜ちゃんはちょっと前まで小学生だったのに、ぜんぜん違う人になったみたいだ、こんなに立派になって……)
「ゆう兄ちゃん? どしたの?」
ずいっと、美桜に覗きこまれた。
悠陽が気を取られていたのは時間にしてコンマ数秒。
それでも彼は慌てまくった。
「どぁい!? な、なんでっしゃろ!」
(まずいまずい。ガン見がバレるとこだった……)
「早く食べちゃおーよ。冷めちゃう冷めちゃう」
「あ、ああ、そうだな!」
ランチバッグを受け取り、美桜をダイニングへ案内。
悠陽は逃げるようにキッチンへ。
対面式キッチンから、座っている美桜の横顔をちらりと見る。
どうみても大人の女性。レディだ。
(や、やばい……改めて見るとドえらい美人だぞ……!)
悠陽はバクバクと跳ねる胸を押さえる。
腕につけたスマートウォッチが、ピロンッ♪ と心拍数の急上昇を報せてきた。
(こんな恥ずかしい心拍数も計測されるの恥ずかしすぎるだろ! 美人になった幼馴染にときめいたのが
この調子で半年後の旅行に行けるんだろうかと不安になる。
(小さいころから知ってた幼馴染とはいえ……あんな大人の──しかもタイプの女の人になってたら、緊張するなって方が無理だって)
届いた通知をスワイプで消しながら、人知れず言い訳する。
熱くなった頬を冷ますように深呼吸。
(やめやめ、考えたらドツボにはまっちゃう……心を無にするんだ……)
悠陽は戸棚のマグカップに手を伸ばす。
自分のを取り、さて美桜のはと棚を見ると、いちばん上の段で目が留まる。
「あ……」
美桜のマグカップがあった。
夢でも見たあのカップ。クマのキャラクターが印刷された子供用のものだ。
長く使うあいだにクマのイラストは剥げ落ちていったので、悠陽が新しいのにしようかと提案しても、美桜は同じのを使うといって聞かなかった。
(まだ、あったんだ)
おそらく両親が取っておいてくれたのだろうと考えると、悠陽の胸の奥はじんわりと温かくなる。
(へへ、10年ぶりの出番だぞーっと)
カップを取ろうとする。
と、頭上からにゅっと手が伸びてきて、ひょいっとクマのカップを掴んだ。
「ゆう兄ちゃんは無理しちゃダメだって」
振り向くと美桜だった。
悠陽に覆い被さるように背後から手を伸ばしている。
片方の手でカップを掴み、もう片手はバランスをとるために悠陽の肩に置かれていて。
「み、美桜ちゃん!?」
声がうわずる。
「今は私の方が背が高いんだから、任せて」
悠陽はいま160㎝。美桜はそれより10㎝以上は高かった。
「で、でも美桜ちゃんはお客さんだし」
「もー、水臭いなあ。それにコールドスリープ明けで筋力落ちてるでしょ?」
よいしょ、と棚からカップを下ろす美桜。
「無茶は厳禁だからね? 京都、行けなくなっちゃうんだから」
「あ、ああ、そうだな」
「なーんか生返事だなあ。ホントに分かったの? ゆう兄ちゃん」
美桜が悠陽の背後から覗きこむようにして訊いてくる。
悠陽の背に、美桜の重みがさらに加わる。
背中に重みを感じる! ドでかい重みを!
あの頃は腰のあたりに引っ付かれて重みを感じていたのに。
今では背中に感じる。
なぜか?
想像を巡らせて、一つの答えが脳裏に浮かぶ。
先ほど見た桜色のブラウスを押し上げていたモノについて。
それが背中に温かくて柔らかな重みを与えているのではないかと。
悠陽の予測は正しい。
美桜の大きな胸がむぎゅりと形を変え、のしかかっていた!
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