3
まだ住宅街すら抜けられていないのに、僕の足は疲れて動かなくなってしまった。
車だったら数分の距離なのに、走ると凄い遠い。
おまけに初めて来た所なせいか、道が全く分からない。
もう無理。と足を止めても、そこは見知らぬ場所で。
ヘレンさんの家に帰る道も分からない。
何で僕ばっかりこんな目に会うんだと、泣きたくなった。
「どうしたの?」
たまたま足を止めた家の門の向こう側で、グレイの髪をまとめた上品な老婦人が、僕に優しく声をかけてくれた。
ジョウロを片手に持っている所から、庭の手入れでもしていたのだろう。
僕は眼鏡をズラしてから、涙を乱暴に服の袖で拭った。
「……道に迷ってしまって」
「あらあら、まあまあ。この辺りじゃ見かけない子だとは思ったけど、迷子なの?」
迷子だなんて恥ずかしかったけど、帰る道も分からないから素直に頷いた。
「良かったら私の家で、タクシーでも呼んであげましょうか?」
「でも、僕お金が」
「少しぐらいだったら貸してあげるわよ」
シリルと口論をして、そのまま飛び出してしまったから、お金も携帯すらも持っていない。
タクシーを呼ばれても、どこを走ってきたかなんて覚えてない。
電話を借りて母さんに迎えに来てもらおう。僕の事を受け入れてくれたヘレンさんには申し訳ないけれど、僕の事を嫌っている人と、一緒に住む訳にはいかない。
母さんと父さんは反対するかもしれないけど、何とか説得しよう。
ちょっと口うるさいお祖父ちゃんにだって、耐えよう。
「じゃあ、電話だけでもお借りしてもいいでしょうか?迎えに来てもらえるか頼むんで」
「ええ、もちろん大丈夫よ。その代わりに、迎えが来るまでお茶に付き合ってもらってもいいかしら?一人で退屈してたのよ」
老婦人はウフフと笑ったから、僕も言葉に甘えようと門に手をかけた。
その手をいきなり強い力で押さえつけられる。
「……シリル?」
僕の手を押さえつけたのは息を切らせ、黒い髪が汗で額に少し張り付いて、険しい顔をしたシリルだった。
出ていった僕を追いかけてくれたのだろうか?
あんなに僕の事を嫌がってたのに。
驚きと困惑でシリルを見ると、僕の手を掴んでない方の手で、張り付いた髪をうっとおしそうにかきあげた。
緑色の冷たい瞳と目があって、僕の肩がビクリと跳ねた。
「あらあら、お友達?良ければお友達も一緒にどうかしら?」
いきなり現れたシリルにも、老婦人は構わず微笑みを浮かべている。
「いいえ。残念ですがオレ達は帰ります。ほら、行くぞ」
シリルが強く僕の手を引く。
「残念ね。また来てね」
老婦人は柔らかく手をふっていた。
僕は困ったように、無言で手を引くシリルの後をついていくしかなかった。
その手が痛くて振りほどこうとしたが、力が強くて振りほどけない。
僕より細いのに、何て強い力なんだ。
同じ年なのに、その差にまた泣きたくなった。
「は、離せよ!」
「離したらまた逃げるだろ。迷子になったら困る」
「何だよ、僕なんて居なくなった方がいいんだろ!君だって僕が居ると迷惑だって言ったじゃないか!」
母さんと父さんだって、僕が要らないからさっさと置いていった。
ヘレンさんは優しそうだけど、きっと迷惑に思ってる。
シリルだって出ていけって思ってるくせに。
思わず言ってしまった言葉に、シリルの足が止まる。
言ってからしまったと思ったけど、仕方ない。
「そんな事は言ってない。いいから黙ってついてこい」
手は離される事はなかったけど、僕は大人しくシリルの後をついていった。
もう最悪だ。
シリルはカフェへと入っていった。
走ったせいか、店内はとても涼しく感じた。
短いスカートの制服を着たウェイトレスが、不機嫌そうに何名様ですか?と聞いてシリルが「二人」と短く告げて、席へと案内された。
そしてメニューを渡される。
でも、僕はお金なんて持ってない。
開かずに待っていると、シリルがぶっきらぼうに奢ってやると言った。
せっかくだから高い物を頼んでやろうと、チョコレートパフェとカフェラテを選んだけど、ダメージなんて無いのか、シリルは涼しい顔だった。
「オレはいつもの」
不機嫌そうなウェイトレスはオーダーを聞くと、さっさと厨房へと行った。
それから無言の時間が続いた。
気まずくなって窓の外を見たけど、車の一台も通らなかった。
僕の事を追いかけてきて迷子になったのを助けてくれて、さらに奢ってくれるのに、僕の態度は良くなかったかもしれない。
「あの」
意を決してお礼を言おうとしたら、タイミング悪くオーダーしたものが届いてしまった。
態度の悪いウェイトレスは無言で僕の前にチョコレートパフェとカフェラテを置き、シリルの前にはアップルパイの上に三段もアイスが乗った皿と小瓶、コーラを置き、去っていった。
シリルは無表情に小瓶をアップルパイの上に傾ける。
中にはハチミツが入っていたのか、金色のトロリとした液体がアップルパイから溢れ、皿から溢れそうなぐらい満たされる。
呆気にとられる僕を無視して、シリルはナイフとフォークを優雅に使いながら、凄いスピードでアップルパイ食べ始めた。
甘いものが苦手じゃない僕でも、ちょっと躊躇うぐらいの甘さの増量加減に驚いた。
いつものって言ってたけど、もしかしてシリルって甘党なのかな?
「早く食べないと溶けるぞ」
「う、うん」
驚きで止まっていた手を慌てて動かして、僕もチョコレートパフェの山を崩していく事に専念した。
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