できるかな?

増田朋美

できるかな?

その日は暑かった。一日が終わる頃にようやく秋らしい季節が来たと思われる日であった。その日、杉ちゃんとジョチさんは、静岡に用事があって出かけたところだった。駅員に手伝ってもらって富士駅で電車を降りて、帰りのタクシーを待っていたとき。

「恵まれない子どもたちのために、募金をお願いします。」

と一人の女性が募金箱を持って、周りの人達に呼びかけていた。でも周りの人達は振り向きもしなかった。

「よし、僕が入れてやら。どうせ小銭だらけで困っていたもんね。」

と、杉ちゃんがでかい声で言って、その募金箱に10円入れてやると、

「ありがとうございます。私達の機関紙も持って行ってください。」

と近くにいた男性が、杉ちゃんに一枚の紙を渡した。杉ちゃんはそれを大したことないと言って、カバンの中にしまったまま、忘れてしまったのであった。ジョチさんも中身を確認することなく、数日が過ぎた。

杉ちゃんが募金箱に10円入れてから数日後。製鉄所に和服姿の女性と、背広姿の男性がやってきた。一体誰だろうと杉ちゃんもジョチさんも思ったのであるが、

「先日は、募金箱に協力してくださってありがとうございました。私、富士清舟会の中島と申します。こちらは妻の愛花です。よろしくお願いします。」

と、男性が丁寧に頭を下げるのだった。応答した杉ちゃんは、すでに募金箱のことは忘れていて、

「どこの誰だっけ?」

と言ったけれど、

「覚えていらっしゃいませんか。あのとき富士駅で募金箱に十円入れてくれましたよね。その時、こちらの機関紙ももらってくれたじゃないですか。そのときの、中島吉保と、中島愛花です。」

と男性が言った。様子を見に来たジョチさんが、ジョチさんの方は覚えていたらしく、

「ああ、駅で募金箱を持っていらっしゃった方ですね。一体、どうしてここがわかったのでしょうか?それをまず説明願わないと。」

と言った。

「ええ、着物を日頃からお召になっている方は、日頃から少ないじゃないですか。呉服屋さんなどに聞いてお二人の居所を掴みました。」

と、中島吉保さんは言った。

「はあ、そうなのねえ。まあ、呉服屋というのも口の軽い商売だからねえ。」

と、杉ちゃんが言うと、ジョチさんは、

「ここにいても、意味がないと思うので、応接室へどうぞ。」

と言って、二人を応接室へ案内した。

「まあすわってください。大したものは出せないと思いますけど、お茶出しますから。」

ジョチさんはそう言って、お茶を急いで出した。吉保さんが、

「お茶なんか結構ですよ。」

というが、ジョチさんは構わずお茶を出した。

「それで、今日はいったいどういう用事でこちらに来たんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「先日は、富士清舟会の機関紙をもらってくださりありがとうございました。それでは清舟会に入会していただけますでしょうか?」

吉保さんはすぐに言った。

「はあ、それはなんのことかな?僕、読み書きできないので、言われてもわかんないや。」

杉ちゃんがそう答えると、

「ええ。だって、あのとき、10円入れてくださって、その後で清舟会の機関紙をもらっていただきましたでしょう。それで、その機関紙に、初めて清舟会に入会していただく人のための、基本的な私達の教義が書いてあったと思うんですがね。それで納得していただけましたでしょうか?」

吉保さんはすぐ答えた。

「しませんよ。だって僕、読めないから読んでもらわないとわかんないもん。あの紙切れはいらなかったので、とっくに捨ててしまったよ。」

杉ちゃんがサラリと答えると、

「それでは清舟会の教えを読んでくださらないで、捨ててしまったんですか?それでは間違いなく、教祖から祟られる羽目になるのではないでしょうか?」

と愛花さんという女性が言った。

「そんな事無いよ。僕は、紙切れは捨ててしまったけれど、何も起こらないし、ただ平凡に暮らしているよ。それなのに何が祟られるだよ。」

杉ちゃんはすぐにそういうのであるが、

「まあそんな事!そういう人がいるから日本社会も発展していかないんですわね。教祖の教えをちゃんと守らないで、そういうふうに、ゴミとして捨ててしまうなんて。」

愛花さんは驚いた顔をしていった。

「だいたいね。なんでそういう変な教えを信じなければ行けないわけ?そんなもの信じようが信じまいが、僕らの日常は変わらないよ。それだから入会も何もしないよ。それで良いと思うんだけどな?」

「まああなた方は、募金箱でターゲットにする人を見つけて、そうやって清舟会に入信させようと試みる人たちだったんですね。まあ、そういう事は教えとして義務付けられているとは思うんですが、信徒を増やすだけが宗教とはいい切れません。例えば異端視された教えだって、意外に真実をついていることだってありますからね。例えば、異端とされたアリウス派が、意外に身近でわかりやすかったということもありますからね。どれが正統派でどれが異端なのかなんてよくわからないことだらけですから、そういうものは固執しないほうがいいですよ。」

杉ちゃんとジョチさんが相次いでそういう事を言うと、吉保さんの方はちょっとたじろいだ姿勢になったが、愛花さんの方は女性らしくこういうのだった。

「まああなた方はそうやって、何も信じるものを持たないで今まで来てしまったのですね。それなら、きっと、教祖も必ず怒るでしょうね。それをしないと、あなた方もそのうちひどい目に会うと思いますわ。それを防ぐために、清舟会に入会が必要なのでは?」

「具体的にどんな事をするんだよ。」

杉ちゃんが言うと、愛花さんは、

「一日に一度は東を向いてお念仏を唱えることですわ。」

と言った。

「そんな簡単なことで良かったの?」

「ええ。それは大変大事なことで、それによって、本尊への忠誠心が試されるんです。」

吉保さんが杉ちゃんの質問へ答えた。

「それならますますおかしいですね。普通、神や仏への忠誠心というのは、そんな簡単なことでは得られないと思います。例えばものすごい苦労をして、それで大成したときに、神様が助けてくださったとか、そういう事を言うのなら話はわかりますが、でも、日常生活で、そんな簡単な事をするだけで救いを得られるとか、そういう事は有り得る話ではありませんね。申し訳ありませんが、僕らは辞退させていただけたらと。」

ジョチさんは吉保さんの話に答えた。

「そういう簡単なことで、いかにも救いを得られて、平和な暮らしをしているように見えるけど、なにかの犠牲があってそういう生活をしているって事も考えたほうがいいね。例えば、お前さんたちが、そうやって布教に勤しんでいる間、お前さんたちの子供がおかしくなっちまうとかさ。そういう例もたくさんあるよね、ここにはな。」

杉ちゃんは彼女たちの話を笑うように言った。

「例えばさあ、親がそういうものやってたお陰で、自分の場所がなくなっちゃって、ここに居場所を見つけに来るやつだって居るんだよ。そういうやつは、本当に居場所を見つけるために苦労しているよ。それに、親子の縁を切りたくないから仕方なく、布教活動に参加しなければならないというやつも居る。そういうやつは、自分の人生というのか、そういうものを見つけるのにえらく手間がかかる。そういうやつを相手にしてるとさ、なんで人間ってそうやってバカバカしくなっちまうのかなって思っちゃうときあるんだよね。そういう奴らを見てきてるから、僕らはおまえさんたちのような人は相手にはしたくないな。」

「そうですね。確かに杉ちゃんの言う通りだと思います。そういうものを使って、子供さんを更生させるというか、正常な判断をさせることはまずできませんもの。そういう事は、基本的な幸せが逃げてしまいますからね。」

「その基本的な幸せとは一体どういうものなんでしょう?」

と、吉保さんがジョチさんの話に割り込むように言った。

「わかりませんか?まあそれは人それぞれなのかもしれないけど、僕たちは毎日食事ができることがそれだと考えています。でも、宗教にのめり込むと、それができなくなるから悪質なんですよ。例えば以前こちらに来た利用者さんで、親御さんがそういう事をやっているけど、自分はその教えに興味が持てなかったせいで、家を追い出されるのではないかという恐怖を感じていたことで、精神疾患に陥ったという人がいました。僕らはその人に信じても信じなくても、日常生活は変わらないということを教えて、その人は無事に海外へ移住してくれましたけどね。でも大変でしたね。彼女をそうやって、元に戻すには。」

ジョチさんはその苦労話を話すと、愛花さんが、

「ええ、そういう事はもちろん大切です。だからそれができるように、みんなで念仏を唱えるべきじゃありませんか。そういう精神疾患とか、そういうものは、日本人がそういう神や仏などを大事にしないからですわよ。能や文楽などでも神様が人前に現れることはよくありますわね。そういうふうに、昔の人は、信じる心がありました。だから今みたいな不安を抱えないでも要られたんです。だけど、今は、不安で仕方ない時代じゃありませんか。そうならないよう、簡単な事を積み重ねて、不安にさせないようにさせることが、必要なんじゃありませんか?」

と言ったのだった。これでは多分、話は通じないなと思った杉ちゃんは、

「まあ、キリスト教とイスラム教が永久に共存できないのと同じかな。お前さんたちはその通りにやってればいい。だけど、他人を巻き込んで、他人に信条を押し付けるのはやめてくれ。それは戦争の原因でもあるからね。さ、もう僕たちを教化することは諦めてさっさと帰んな!」

と言ったのであるが、吉保さんが困った顔をした。愛花さんの方は勝ち誇ったような顔をしている。

「お前さんなんでそんな顔してるの?」

杉ちゃんは吉保さんの顔を見ていった。

「なあ、なんでそんな顔してんのか教えてくれないかな。僕、質問すると答えが出るまでやめないよ。そういうもんだからね。だから答えを教えてくれ。」

「もしかして、誰かを教化しないと、教団から破門されるとか、そういう事言われて来たのですか?」

ジョチさんは、すぐに思いついた。吉保さんはもうバレてしまったかと言う顔をする。

「はあ、図星だあ。まあそういうことならな。それはもうやめたほうがいいよ。信徒を増やそうが増やすまいが、日常生活は今も昔も変わらないもの。それがわかっていれば、信徒を増やすために何をやってたんだろって馬鹿らしくなるよ。そういう気持ちがあるんだったら、無理やり洗脳されちまうよりずっといい。そういうことなら、退会させてもらったほうがいいな。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうですね。確かにそうなのかもしれませんね。」

と、吉保さんが思わず言ったが、

「何を言っているの!あたしたちは、毎日念仏を唱えることによって、ここまで来たのよ。ここまで平和な生活が送られることができたのは、教祖が教えてくれた、毎日の心がけを守ったからじゃないの!」

と愛花さんが甲高く言った。

「うーんそうかも知れないけどねえ。でも自然は変えられないよね。人間は万能なように見えるけど、それも無いんだぜ。だってよ、他人を動かすことだってできないじゃないか。それだって、できる人は本当に僅かだよな。それに自然現象だって人間が操作できるはず無いじゃないか。桜の木が毎年花を咲かせるのはおまえさんたちが念仏を唱えてきたからか?それは全然違うだろ。だから、そんな念仏を唱えようが唱えまいが、お前さんたちは何も動かすことはできんよ。それを忘れちゃだめだぜ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「逆に聞きますけど、あなた方がそんなに清舟会に入会しようと思ったのはなぜですか?なにか理由でもあったんでしょうか?」

ジョチさんがそう聞いた。

「ええ、最初は、愛花のほうが、清舟会の話を持ち出してきたんです。」

吉保さんは話し始めた。

「それはなんで始めたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。なんでも、愛花が、職場でものすごいパワーハラスメントを受けてきたらしいのです。僕に話すことなく、清舟会に入会してしまいました。それで彼女は思いっきり清舟会にハマるようになり、僕も入信を強要されて、気がついたら募金箱を持ち出して、信徒獲得を行うように鳴ってしまいました。」

吉保さんが答えた。

「はあ、じゃあなんで愛花さんはご主人にその事を相談しなかったんだ?なんで代わりに清舟会に入会した。理由を言ってみな?それなら一番最初に居る人に相談するのが普通じゃないのか?」

杉ちゃんはすぐ言った。

「よくわかりません。僕も愛花が告白してくれるまで、そのような事を受けていることを全く知らなかったんですよ。彼女は僕に話すんだったら、清舟会にいたほうが良いといいました。僕はきっと清舟会の教祖が、彼女に取って大きな存在になってしまっていて、もうそこから逃げることはできないんだと思ってしまいました。」

ジョチさんがタブレットでなにか調べ始めた。

「なるほど、清舟会の教祖は女性ですね。藤山さんとおっしゃる方で。まだそんなに年がいっているわけでもなさそうだ。そんな女性が、なぜ念仏を唱えれば救われるということを吹聴したんでしょうか。まだ若い女性であれば、そういう力は無いはずなんですがね。」

「ええ、そういう人だからこそ、私は救われたんですよ。」

愛花さんはそういった。

「そういうお年寄りでもなく、カッコつけてる人でもなく、普通の女性なんです。うちの教祖は。だから、私も彼女の教えに従ってみようと思うようのなったんです。」

「なるほど。同じ年だから共感が持てたのか。確かにそれもそうかも知れないな。」

杉ちゃんがそう言うと彼女はこう付け加えた。

「それに清舟会の教祖は、インターネットのSNSでそう呼びかけてくれたから私は頭にはいったんです。現実の人の言うことなんてろくなこと無いじゃないですか。だからインターネットでそう言ってくれるおかげで今の私があります。だからこれからも、布教活動は続けていきたいんです。」

「そうだねえ。本当は、インターネットはあくまでも補助的なもので、現実の世界の発言を信じてもらわないと困るんだけどねえ。」

杉ちゃんが言うと、

「そうでしょうか。現実の社会はろくなこと無いですよ。私は、前の職場で、さんざん酷いことを言われました。私、仕事がうまくできなかったから、他の人達に散々馬鹿にされました。私は、なんでこんなところにいなければならないんだって思ったこともあったけど、でもいなくちゃいけなかったから、ずっと耐えなければならなかった。そのときに、教祖の念仏を頼りにしてきたんです。」

愛花さんがすぐに言った。

「それではお前さんはどこにいたんだ?どこで働いていたんだ?一流企業とかそういうところかな?まあそういうところだったらたしかにやめるきっかけはできにくいものだけどさ。」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、介護施設です。そこで、12年働きました。」

と彼女は答えた。

「それなら簡単なことだ。すぐにその介護施設をやめて、他の施設で働かせてもらえばよかったんだよ。そんなところに12年いたってなんにもかっこよくないよ。そういうところにはただお前さんの頭をおかしくするだけじゃないか。そういうことなら、さっさとやめちゃえばよかったの。」

杉ちゃんはでかい声で笑った。吉保さんが本当はそうですねという顔をしている。

「でも、私は信じ続けます!念仏を唱えれば、必ずなにか救われるって。そしてそれに背いてしまったら、必ず祟られるって。」

愛花さんがそういったのと同時に水穂さんが咳き込んでいる声がした。

「あ、またやってら。」

「そのようですね。」

杉ちゃんとジョチさんはそのように言ったのであるが、

「ほら、やっぱりあなた方も悪いところがあるんじゃないですか。あの人を、助けることだってできやしないでしょ。」

愛花さんはそういうのだった。杉ちゃんは僕見てくるわと言って、車椅子を動かして、四畳半へ行ってしまった。愛花さんが、その様子を見てみたいと言い出して杉ちゃんについていってしまった。それを見た吉保さんはジョチさんに、

「僕は、彼女をああいうふうにさせてしまって、何も救えなかった悔しさがあります。だからこそ、愛花に言われるがままにするしかなかったんです。」

と小さな声で言った。ジョチさんは、涙をこぼす吉保さんに、

「大丈夫ですよ。あなたが悪いわけではありません。あなたもご自分を責めないでください。そして、愛花さんが、間違った事に手を出すようになったら、自分がいるじゃないかと彼女を力づくで止めてください。それが、あなたが彼女にしてあげられることだと思います。」

と言って彼を励ました。吉保さんは、ありがとうございますと言って涙を拭いてくれた。

一方、杉ちゃんの方は、咳き込んでしまって居る水穂さんの内容物をタオルで拭き取って、枕元にあった薬を飲ませてまた寝かしつけるということをしていた。それを見ていた愛花さんは、

「お上手ねえ。あなた方はここまできれいな人を、なんとかしてあげることもできないのねえ。なんかこの家、大正時代にタイムスリップしたみたいだし、なんか時代遅れみたい。そんな家ですもの、祟られるに決まってるわよ。」

と言ったのであるが、

「はあ、それは水穂さんみたいに銘仙の着物を着ているやつも同じことなのかな?」

と、杉ちゃんが言った。

「そうすることで、こいつが、平和な生活を送ることは、できるかな?無理だよね。お前さんにはできないよねえ。」

わざと明るく言われてしまって、愛花さんは返事ができなかった。愛花さんは、水穂さんが着ている着物をじっと眺めて、

「嫌、汚らしい!」

といわゆる一般常識的なことを言ったのであるが、

「ほら!念仏を唱えているやつだって、そうやって誰でも助けられるわけじゃないじゃないか!」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

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できるかな? 増田朋美 @masubuchi4996

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