第79話

「みどりさん……⁉ クモさんにお絹さんも」

 洸次郎は、我が目を疑った。帝都にいるはずの、みどり、クモ、絹子が、ここにいる。いや、足を運べば来られる場所ではあるのだが。

「用事ついでに来てしまいましてございます」

 みどりは、宙に雅号を書いて「持ち絵」の子犬二匹を帳面に戻した。

「三ヶ月ぶりに帝都の外に出ました。空気が美味しゅうございます」

 目を輝かせるみどりは、和装だが足元は洋靴ブーツという出で立ちである。ほまれが残していったものだ。みどりは遠出できるほどに立ち直ったと見え、洸次郎は胸を撫で下ろした。

「皆さん、なぜここに」

「コウ殿もご一緒に信州に行きませぬか?」

「信州?」

 何のために、と言いそうになり、洸次郎は察した。誉が結核の療養をしている診療所は、彼の縁の土地、信州である。

「おやおや、洸次郎さんのお友達ですか?」

 透瑚に訊かれ、みどり、クモ、絹子の三人が「はい」と答えた。

「凄いです。動く絵は話には聞いていましたが、初めて見ましたよ」

 透瑚は目を細めた。

「何より、仲が良さそうで安心しました。洸次郎さん、良い人達に出会いましたね」

 これには、洸次郎は自信を持って「はい」と答えた。

「恩人です。感謝してもしきれません」

「良かった。本当に、良かった。新三郎さんも安心しているでしょう」

 透瑚の目には涙がにじんでいた。



 志野吉の厚意で、みどり達も泊まらせてもらえることになった。みどり達は、鶏肉と野菜の味噌煮込と、米飯に舌鼓を打つ。

「洸次郎さん、良かったな。友達がたくさんいて」

 志野吉も透瑚みたいに涙ぐんだ。

「新三郎さんは、心から信頼できる人がいなかったみたいだから……いや、信頼するのが怖かったみたいだから」

 洸次郎を褒めちぎっていた兄が、心から信頼できる人がいなかった。洸次郎は驚いたが、父親から酷い仕打ちを受け続けていた背景も考えると、仕方ないかもしれない。

「兄のこと、もっと気づいていれば良かった」

 洸次郎が思わず呟いてしまった。兄の苦しみに気づいていれば、兄は少しでも救われたかもしれないのに。透瑚への手紙には、洸次郎を褒める内容が恥ずかしいほど多く書かれていたが、モノと化した父親に、知らず知らずのうちに取り憑かれて命を奪われてしまったのだ。今の洸次郎にできることは、兄に恥じない生き方をすることだけだ。

「みどりさん」

 夕食後、志野吉の子どもに絵を描いて見せていたみどりに、洸次郎は話しかけた。

「信州、俺もついて行って良いですか?」

「もちろんでございます。機関車が通っていませぬゆえ、何日も歩かせることになりますが」

「平気よ。あたしの絵がある」

 絹子が自信満々に画帳を見せた。以前、洸次郎達は絹子の蔦の絵で上州から熊谷まで運ばれたことがある。

「あたしが行ったことのある場所なら、絵で運べるのよ。松代まで絵でひとっ飛びすれば、までは半日もかからない」

「駄目だろうが」

 クモが、志野吉の末の子をおんぶしたまま、会話を否定する。

「何よ」

「あんたに負担がかかっちまう」

「心配してくれるのね」

「当然だろうが」

 絹子が言葉に詰まり、袖で顔を隠した。

「ちょっと、兄上! 他所様のところでいちゃつくの禁止でございます!」

「あ? 妹よ、お前が無理しそうなときだって止めるだろうが」

「そうでございました。心当たりが有り過ぎて、薄らいでおりました」

 このやり取りが久しく、懐かしい。この者達がただ居てくれたお蔭で、洸次郎は救われた。

「信州に行くのか? 山越えるの大変だぞ?」

 志野吉の一言で、絹子が勝ち誇ったように口角を上げた。

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