第78話

 志野吉が子犬の織部を連れて帰り、洸次郎は透瑚の家に泊まらせてもらった。前の晩が失態だったと気にして、昼間のうちにわざわざ布団を干してくれたのだ。

 窯の火を消した透瑚が、洸次郎に訊ねた。

「農家の仕事をやりながら、手が空いたときに陶芸やきものをやるのは、洸次郎さんとしてはいかがでしょう?」

「考えたこともありませんでした。そういう暮らしをする人を見たことがないので」

 お蚕と畑の掛け持ちはごく当然のように行われていたが、お蚕も畑仕事も「農家の仕事」のうちに含まれていたから、兼業という感覚ではなかった。そもそも洸次郎の周りでは、趣味を持つこと自体が悪だと思われていた。農家は趣味を持つほど暇ではないと思われていた。

「考えても良いのでしょうか」

「考え過ぎると眠れなくなりますよ。気楽に、ほどほどにね」

「すみません……おやすみなさい」

 まだ作業が残っている透瑚より、暇な洸次郎が先に就寝することになってしまった。



 翌日、「とっちゃなげ」の残りに野菜を足して煮込み、それを朝食にした。

 食事の後は、冷めた窯から作品を取り出す作業だ。

 勝手に子犬の織部がとことこやってきて、嬉しそうに尻尾を振る。窯の近くまで来ようとはしない。

 洸次郎は、おそるおそる、窯の中の棚から茶碗を取り出した。日の光の下で見ると、緑色の光沢が美しい織部釉がかけられていた。吸い込まれるように見入ってしまう。昔、兄の窯出しを手伝ったときにも、宝物を発掘するようで楽しかったが、今回は作品の世界に吸い込まれそうな謎の引力がある。

 見入り過ぎないように気をつけて作品を取り出し、窯の中を掃除する。

「若い人がいると仕事が早く済みます。洸次郎さん、こき使ってしまい、申し訳ありません」

「とんでもねえです。泊まらせてもらった恩返しです」

 お茶を淹れ、長椅子に腰を下ろして一休みする。

「寒過ぎず、良い日ですね」

 多治見は山の中だから寒いと思っていたが、意外にも温かく、雪は積もらない。今日は雲ひとつない晴れ空だ。

「夏は非常に暑いですよ。覚悟して下さい」

「はは……いずれ、そのうち」

 織部が、遊びたそうに洸次郎の足にじゃれつく。織部に続き、二匹の子犬も加わった。よく見ると、絵の犬だ。しかも、見覚えがある。

「コウ殿ー」

 聞き覚えのある声が、近づいてくる。

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