第77話

 兄の手紙を受け取ることで、洸次郎の用事は終わった。しかし、去りたくない気持ちもある。

 正午になろうとしていたのを良いことに、洸次郎は昼食の用意をさせてもらうことにした。大したものはつくれないが、兄のことを教えてもらった礼代わりだ。

 子犬の織部は台所に入ろうとせず、窯の前の長椅子の下で横になる。

 何をつくろうか悩んでいると、近所の人が煮物や、卵、干芋を分けてくれた。朝の握り飯や野菜汁の残りもあるため、このまま食事にできそうだった。何か欲しいかと聞かれ、小麦粉を、と差し出がましいがお願いすると、快く引き受けてくれた。

「新三郎さんも、よく小麦粉の料理をしていたよ」

 洸次郎の兄を知る者は、懐かしそうに目を細めた。

 長椅子の真ん中に盆を置き、両端に座って昼食を摂る。

「洸次郎さん、明日以降の予定は?」

「急ぎの予定はないです」

「そろそろ、本焼きが終わります。冷めたら窯を開けるので、見ていきませんか?」

「良いんですか⁉」

 思わず声が弾んでしまう。窯を開けるところを見られるかもしれないと睨んで居座っていたことに申し訳ないと思いつつも、やはり嬉しい。

「やはり、新三郎さんが目をかけていた弟さんですね」

 透瑚は洸次郎の頭に手を伸ばし、引っ込めた。撫でようとしていたのは明白だ。俺は織部か。

「でも、俺は農家の跡取りですし……今は色々あって畑もお蚕もしていませんが、いずれはやらなくてはならないので」

「厳しいことを申し上げますが、あなた達を縛りつけるお父上様は、もういらっしゃらないのですよ」

 透瑚の言わんとしていることは、わかる。

「でも……亡くなった村の者に申し訳なくて」

 友人である隣村の平井羊右助ようすけは、賛成してくれそうだ。モノによって命を奪われてしまった者のひとりである片山田助も、理解してくれるだろう。

「すぐに決めることは、ありません。三鷹の緑埜橘平さんも、昔は悩まれていました」

「本人から聞きました。農家であるという感覚を捨てる必要は無いと言われました」

「きっと、それで良いのです」

 この日の夕方、本焼きが終わり、窯の火を消した。

 夕食は、近所の人からもらった小麦粉で、「とっちゃなげ」を煮た。

 新三郎さんを思い出します、と溜息をつく透瑚の目には、涙が浮かんでいた。

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