第74話

十五歳じゅうごから二十五歳にじゅうごまでの十年間、新三郎さんはとにかく学びました。見聞きするもの全てを吸収し、実力として発揮しました。知識も発想も、これまでの弟子はおろか私さえも越えてしまいました。私は、それが心配でした。新三郎さんは、弱っていた心を壊してしまうのではないかと思ったのです。思ったときには、遅かった。新三郎さんは、休むことを知らなかった。休むように話したところで、休む人ではありませんでした」

 透瑚の方がよほど父親のようだと洸次郎は思い、モノと化した父親を愚弄する考え方だと思い直し、それでも自分の父親を卑下してしまう自分に嫌気が差した。

「ならばせめて、遊びながら学んでもらいたいと思い、彼を旅に出しました。私は世間知らずでした。戦の最中だと知らず、弟子を危険な場所に行かせることになってしまったからです。その間に、幕府は倒れ、新しい政府が治める世になってしまいました。でも、新三郎さんは無事に帰ってきました。無邪気に目を輝かせて、これまでで一番、緊張から開放されたようなお顔で。帝都と名を変えたかつての江戸で、動く絵を見た話や、京都で蓮月尼に会えなくて悔しいという話を、生き生きとしてくれました。他の窯元に転がり込んで、絵付けや技術も学んだようです。それだけでなく、犬を連れて帰ってきました。この犬に似た、黒い犬です。織部と名づけていました」

「この子も織部というそうです。志野吉さんが教えてくれました」

 洸次郎の言葉に、二代目織部は反応した。くあっとあくびをして、体を伸ばす。尻尾を振り振り、洸次郎を見上げる。

「ああ、やはり」

 透瑚が織部を撫でようとすると、織部は鼻を近づけて撫でられに来た。

「なぜ、兄は上州に帰ってきたのでしょう。あのまま多治見に居た方が幸せだっただろうに」

 洸次郎は、思ったことをそのまま口に出してしまった。

「他人から見ると、そうかもしれません。でも、新三郎さんは、思うところがあったようです」

 透瑚は、織部を撫でる手を止めた。

「新三郎さんがここに来て7年くらいが経ったときです。私の妻が亡くなりました。私と新三郎さんが看取り、妻にとっては良い最期だったと思いたいです……話が逸れましたね。それまでは、新三郎さんは多治見を出る気はなかったようで、これからも新三郎さんが近くにいてくれるものだと思っていました。そんな新三郎さんが、上州に帰ると言い出したのです。産まれて生きていると信じたい、弟か妹……洸次郎さん、あなたに会うためです」

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