第70話
鼻の頭が冷たくなって、目が覚めた。
一瞬、居場所がわからなくなり、記憶を手繰り寄せる。
「洸次郎さん、おはよう」
寝坊助の洸次郎に声をかけてくれたのは、一晩泊めてくれた志野吉だった。志野吉の子ども達も口々に、おはよう、おはよう、と言ってくれる。総勢五人の子どもは、元気にぴょこぴょこ跳ねる。洸次郎は、みどりが地団駄を踏む様を思い出した。帝都を離れて数日しか経たないのに、もう帝都の人達が懐かしい。
「おはようございます。すみません。俺だけ朝寝坊です」
「帝都からはるばる来てくれたんだ。疲れも出るさ。朝飯、食えそうか?」
「はい。夜にあんなに頂いたのに、もうぺこぺこです」
「そうか、そうか。待ってろ」
小学校へ行く子ども達を見送り、洸次郎は朝食を頂いた。
「洸次郎さんは、たくましいな」
ぼそっと、志野吉が言った。
「すみません。厚かましいですよね」
「違う、違う。何があっても寝られて、飯が食えるのは、強い証拠だ。俺なんか、一度風邪をひくと十日はまともに飯が食えなくなるから、女房と子らに迷惑をかけちまうで」
志野吉は、自虐気味に笑った。
「その点、洸次郎さんは弱る前に自分で持ち直せるから良いもんだ。新三郎さんも、よく寝てよく食う人だった。口数は少ないけど、思っていることはたくさんあって、自分に負けてらんないって感じだったな」
「あ……なんか、わかります。あまり喋らないけど、喋るときは色々な話をしてくれました」
多治見にいた頃の兄は、洸次郎の知る兄だった。村では悪く言われていた兄が、ここでは好意的に受け入れられていたことに、洸次郎は安堵した。
「ふるさとのことはあまり話さなかったけど、生まれた村では扱いが雑だったみたいだな。新三郎さんは気づいてなかったけど、よく十五まで耐えたよ。村に帰りたいとも帰りたくないとも言わなかったが、生まれてくる弟か妹に会えなかったことを悔やんでたな。多分、洸次郎さんのことだろうな。ここを離れるときに、弟か妹に会えるのを楽しみにしていたから」
志野吉が妻に呼ばれ、腰を浮かせた。
「すまん。こんなに喋ってちゃあ、飯が食えないな。ゆっくり食っててくれ。皿は置いといてくれて構わないから」
志野吉は外に出てしまう。洸次郎は急いで飯をかき込んだが、茶碗が気になって眺めてしまう。素人目でも、量産品の茶碗と違い質が良いがわかる。兄の焼く器に似ていた。
「洸次郎さん……だっけ?」
志野吉の妻がひょっこり出てきて、驚いた顔をした。
「本当に、新三郎さんに似てるんだねえ」
驚いてはいるが、別に、昔は好きだったとか、そんな感じではなかった。
「握り飯をつくったから、保原さんに持っていってよ。あのおじちゃん、窯を始めちゃったんでしょう。きっと、碌なものを食べてないから」
何食分もある握り飯と、漬物を預かり、洸次郎は透瑚の家に向かった。
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