第69話
風呂から出ると、夕方になっていた。
保原透瑚の家を再度訊ねると、風呂を貸してくれた家の男に、ありがたく案内までしてもらった。小さな黒い犬が尻尾を振り振りついて来る。絵ではない、生きた犬だ。洸次郎はすっかり、動く絵に囲まれた環境に慣れてしまっていた。
「兄……新三郎のことを、皆さん知ってるんですか?」
洸次郎は、案内をしてくれる男に訊ねた。男は名を、
「よく覚えてるよ。同い年だもの。もう、二十五年くらい前になるかな。今にも死にそうな状態で倒れていたんだ。
志野吉が足を止めた。見上げる先には、煙の上る煙突がある。
「保原さん、窯を始めちゃったか。お客さんが来たってのに……相変わらずだな」
志野吉と一緒に、透瑚の家の敷地に入らせてもらう。登り窯の前にいた透瑚は、洸次郎を見るなり表情が明るくなったが、志野吉に「お客さんの飯と布団は?」と言われると、今思い出したように固まってしまった。
「洸次郎さん、気が利かず、申し訳ありません」
いえいえ、と洸次郎は自分でもよくわからない遠慮をしてしまったが、無意識下で泊めてもらうことを前提にしていた自分を恥じた。
「うちに泊まりなよ。子どもが賑やかすけど」
「志野吉さん、すみません。お願いします」
透瑚が申し訳なさそうに、息子ほど歳の離れた志野吉に何度も頭を下げる。
「ご厄介になります」
洸次郎も、志野吉に深々と頭を下げる。
「洸次郎さん、本当にごめんなさい。今夜はゆっくり休んで、明日またいらして下さい」
透瑚の家を後にすると、また犬がついて来た。野良犬かと警戒していたが、志野吉の犬だった。
「こいつ、
志野吉が自宅の戸を開けると、織部は我が物顔で家の中に入っていった。
志野吉家の夕食は、鶏肉と野菜の味噌煮込だった。
「あ、これは」
「もしかして、新三郎さんも食ってたか?」
「はい。俺も、よくもらってました」
兄が振る舞ってくれた料理に似ている。
「兄は、ここで覚えたんですね」
「そうだろうな。さっき見た通り、保原さんがあんな調子だろ? 保原さん、一度仕事を始めると、子どもみたいに夢中になって寝食を忘れちゃうから、新三郎さんが世話を焼いていたよ。でも、嫌じゃなかったみたい」
少しだけ、ここにいたときの兄の話を聞くことができた。
夕食の後は、志野吉の子ども達に絡まれて相撲の相手をし、疲れて動けなくなる頃には布団を借りて就寝した。うとうとしていると、懐かしい夢を見た。夢の中でも洸次郎はうとうとしていて、お蚕が桑の葉を食う音を聞いていた。
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