第66話

 十一月十四日。雲ひとつない秋晴れの日。洸次郎は出発前に、河鍋暁斎の墓前に手を合わせた。大根畑の家に居候して三ヶ月が過ぎていたのに、今まで墓参りしていなかったことに、今更になって気づいたからだ。

 小塚村の者以外の故人に手を合わせるのは、初めてだった。親戚関係は小塚村で完結していたし、妻は遠方の出身だが実家とは縁を切られていたからだ。

 親父さん、初めまして。俺は小塚村の洸次郎といいます。みどりさんとクモさんには大変お世話になっています。鹿島清兵衛さんのお蔭で小遣いを稼がせてもらったことがあります。俺の兄が、親父さんのことを褒めていました。俺も親父さんに会ってみたかったです。

「兄上、その大きな図体をお隠し下さいませ!」

「妹よ、大きな声を出すな」

「そうですよ、クモさん。洸次郎さんが気が散ってしまいますよ」

「おい、駝鳥。あんたもだ」

「駝鳥とは、私ですか⁉」

 背後が賑やかだ。

 洸次郎は振り返り、隠れ切れない人達に優しく話しかける。

「そんなに賑やかだと、親父さんが起きてしまいますよ」

 みどり、クモ、清兵衛。帝都で世話になった人達だ。

「洸次郎さん、間に合って良かった」

「お絹さん」

 息を切らせた絹子が持ってきてくれたのは、竹の皮に包まれた握り飯と、紙に包まれた煎餅だ。

「洸次郎さんに教えてもらった炙り醤油の握り飯と、通りかかったお店で焼き上がったばかりのお煎餅」

「お絹さん、わざわざありがとうございます」

「ああ……わたくしはそこまで考えが至らなかった」

「妹よ、俺も至らなかった」

「私もです」

 落ち込むみどりを、クモと清兵衛がなだめた。

「では、皆さん。行って参ります」

 洸次郎は初めて、単身で長旅をする。

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