第57話

「コウ殿、誉殿をよろしく頼みます!」

 みどりは、ぱっと誉から離れ、駆け出した。

「みどりさん!」

「誉さん!」

 みどりを追いかけようとした誉を、洸次郎は止める。

「洸次郎さん、行かせて下さい! みどりさんひとりでは、危険です!」

「駄目です! 誉さん、具合悪いんでしょ? みどりさんは、誉さんが心配なんです」

「だったら一層、が行かなくちゃなんねえよ。毎回毎回、相討ち覚悟でやってんだ。今更怖くねえ」

「でも」

「絵師のいない『絵』を野放しにすることの危なさは、絵師だけが知っていれば良い。洸次郎さんは逃げて下さい」

 誉を言葉で説得するのは難しい。そう感じた洸次郎は、誉を羽交い締めにして止めようとした。だが、逆に誉に手を締め上げられてしまう。

「何度も危険な目に遭っているんです。多少の護身はできるんですよ」

 誉は咳き込みながら、みどりを追いかけてしまった。

 誉を止めなくては。こういうときにとっさの判断ができない自分を、洸次郎は恥じた。

 化け物が出たらしい、と周囲の人々が騒ぎ始める。

「俺がおびき寄せようとしたが、やっこさん、妹の方に行きやがったな」

 余裕のある声がした。

「クモさん、お絹さん」

 クモと絹子が一緒にいる。洸次郎が家を出た後に合流したようだ。

「クモを付き合わせてしまって、申し訳ないけど、あたしが逢瀬らしき様子を見せたら、『絵』が勝手に怒って制裁しに来るかと思って……誉も同じことを考えてたみたい」

「我が妹が、なけなしの色気を振り絞ったみたいだな」

「みどりさんは、可愛いよ。誉は昔から、ああいう素朴な妹みたいなのが好みだったから」

「あの妹にあの義弟とは……一発殴らせてもらおうか」

「だね」

 クモと絹子も、みどりと誉の会話のように、波長が合っている。

「俺も追いかけるか。あの妹が行きそうな場所くらい、想像がつくぜ」

「あたしも行くよ。皆を守らなくちゃ」

 洸次郎は、クモと絹子について行く。近所で、馴染みつつある土地だと思っていたが、案外知らない路地が多い。

 クモは慣れたように路地を進み、止まった。動く絵と対峙する、みどりがいる。あの夜見た、鬼女紅葉の『絵』だ。

「よお、妹。色仕掛ご苦労だったな」

「今それを仰います⁉」

 みどりが動く絵を出現させた。長い黒髪の、打掛を纏う女の絵である。顔は鬼の面で隠れている。打掛の絵柄は、豪華絢爛の紅葉だ。

「お前も、鬼女紅葉の絵か」

「ええ、どちらが勝つか、見ものでございましょう」

「お前の絵の方が、美人そうじゃねえか」

 クモが珍しく、みどりの絵を褒めると、例の絵の方の鬼女紅葉がクモに向かって跳躍してきた。

 絹子が画帳を開き、蔦の絵を出現させる。例の絵の鬼女紅葉は、障壁となった蔦にぶつかった。

「お絹よ、助かったぜ」

 蔦に守られながら、クモが素早く帳面に『捨て絵』を描き始める。

 洸次郎も蔦に守られて、気づいた。

「そういえば、誉さんは⁉」

「来ておりませぬー!」

 蔦の向こうで、みどりが返事をする。

 誉の姿は、どこにも見当たらない。

「俺、誉さんを探しています」

「頼みまするー! 熊川こもがい祥瑞しょんずいも連れて行って下さいませ!」

 蔦の絵を跳び越えて、来た子犬二匹が、早速洸次郎にじゃれつく。

「おい、妹。絵を同時に三体も出すなんて、また無茶しやがって。倒れても知れねえぜ」

「そのときは、兄上が頼りでございまするー!」

「全く……兄の顔を立たせる妹だな!」

 クモが出現させた絵は、誉の「持ち絵」と同じ、平維盛である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る