第53話
「休みな、っつったじゃん。昼飯食いないね」
ひたすら薪を割る洸次郎を、橘平が羽交い締めにしてまで止めた。橘平は細身だが、力が強い。洸次郎は我に返り、斧を安全な場所に置いた。手がじんじんと痛い。
「コウちゃん、根を詰め過ぎじゃねえか? そんなんじゃ、体に障るよ」
「すみません。お言葉に甘えて、一休みします」
近所の人からの差し入れだという厚揚げの煮物を煮汁ごと米飯の上に乗せ、かき込む。手の痛みを感じる前に手を動かさないと、動作が何もできなくなる。
橘平を手伝っているこの数日間、緊張と懐かしさと心踊る感じが入り交じり、尚且つ目の前の作業に没入してしまう不思議な感覚に頻繁に襲われる。それが嫌ではなく、達成感になってしまう。
「俺は昔のコウちゃんを知らねえけどさ」
ゆっくりと飯を食う橘平が、のんびり言った。
「多分、コウちゃんはお蚕と畑仕事をするよりも、今の方が良い顔をしてるんじゃないかな」
「すみません。そんなつもりは」
「そういうコウちゃんで居てくれた方が、俺は嬉しいよ」
橘平の言葉は、おそらく洸次郎の父と正反対の考え方だ。
「この間は、弟子入りしてからしばらくの間は、農家の婿の気持ちが抜けなかった、と話したじゃん。でも、農家の気持ちは抜けなくても良いんじゃないかと、今は思う。農家だけど、違うこともしている、ってことで、良いんじゃないかな」
橘平は昼飯を終えると、自室から何か持ってきた。
「残念だけど、あげられないよ。見せるだけ」
洸次郎に見せてくれたのは、手捻りの器だ。和歌が書かれている。乾燥前に彫られたものだ。
「もしかして、蓮月尼の作品ですか?」
「コウちゃん、よく知っているね。そう。大田垣蓮月だよ」
「兄が話してくれたことがあります。兄は、蓮月尼に会いたくて京都に行ったことがあるそうです。会えなかったそうですが」
有り体に申し上げると、洸次郎も蓮月尼の作品を目の当たりにして、己の内から湧いてくるものがあった。欲しい。それだけではない。自分もつくりたい。
「それと、ある人の住所を教えておく。俺が昔お世話になった人の友人なんだけど、その人は、お弟子さんの弟を探していたんだ。弟子の名前までは聞けなかったけど、上州の人だと言っていた。上州を訪ねてみたけど、変な形で村が焼かれて弟さんには会えなかったらしい。もしかしたら、コウちゃんを訪ねるつもりだったのかもしれない」
そういえば、友人の平井
本焼きまで関わってから、洸次郎は三鷹を出て帝都の大根畑の家に帰った。
金継ぎの次の作業が待っている。作陶の余韻で、まだわくわくしていた。
そんな洸次郎を待っていたのは、絵に没頭する四人と、駝鳥のようにじゃれつこうとする鹿島清兵衛だった。
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