第52話
その夜、洸次郎は夢を見た。
兄の隣で、ろくろを回す夢。
お前は上手いな、と、二十五歳になった洸次郎の頭をわしゃわしゃ撫でる、四十歳の兄。滅多に見せない、屈托ない笑顔に、洸次郎も笑顔がこぼれる。
洸次郎は「とっちゃなげ」に
帝都で出会った人達のことを兄に話した。おおらかで、お人好しで、世話焼きな、友人達の話。動く絵を見たこと。野球をしたこと。初めて買い物をしたこと。今は、陶芸の手伝いをしている最中であること。
兄は、微笑ましそうに洸次郎の話に相づちを打つ。
ふと、洸次郎は思い出した。兄はもう、この世にはいない。洸次郎を憎むモノによって人生を狂わされた。モノによって無理矢理やらされた所業の中には、第三者から見れば洸次郎のその妻を裏切る行為もあった。その後、兄はモノによって自害を強要された。
兄ちゃん、ごめん。俺のせいで。
洸次郎は謝ろうとしたが、声が出ない。
兄は首を横に振り、泣きそうな顔をした。
俺に謝るな。俺を許すな。
そう言った気がした。
目が覚めると、頬を涙が伝っていた。
夢の内容を覚えている。懐かしい人に会った。嬉しくもあり、悲しくもあった。
頭が混乱している。記憶を手繰り寄せ、今いる場所と目的を思い出す。
三鷹。
障子を開けて表を見れば、とっくに日が高くなっている。
「洸次郎さん、おはよう。昨日は疲れただろう? ちっとはゆっくりできたか?」
橘平は、朝寝坊した洸次郎に怒ることなく、薪を割っていた。少しはゆっくりできたか、と気遣いの言葉までくれた。
「おはようございます。すみません。俺がやります」
身支度を整え、洸次郎も表に出る。
「握り飯あるから、食べなさい」
「ありがとうございます。頂きます」
待たせるわけにはいかないので、縁側に置かれていた皿の握り飯を、丸ごと口に入れた。
「息子がいたら、洸次郎さんみたいな子になっていたのかな」
洸次郎にしてみれば兄の世代の感じがする橘平が、洸次郎を子世代扱いした。
「洸次郎さん、懐かれやすいでしょ?」
「懐かれ……」
意識したことはなかったが、「駝鳥の子がじゃれつく」と比喩された清兵衛を思い出した。懐かれている。
昨夜、些細なことで手紙をくれた誉を思い出した。多分、懐かれている。
何かと世話を焼いてくれるクモを思い出した。多分、懐かれている。
洸次郎がいるという理由で、大根畑の家に済み始めた、みどりを思い出した。弟か妹みたいに懐かれている。
「コウちゃんと呼ばれなかった?」
「無いです」
そこは明確に否定した。無いです。
洸次郎はてっきり、工房の掃除や片付け、釉薬をかき混ぜるのが手伝いだと思っていたが、素焼きの器に釉薬をかけたり、乾燥前の器の
橘平は、洸次郎をしきりに褒め、感心した。
「上手いなあ。本当に上手い。コウちゃん、うちで雇われる気はない?」
無いです、と断言できなかった。没頭した時間が愛おしかったが、自分はまだ農家の人間だという意識もある。陶芸で食ってゆけたら幸せかもしれないが、その道に入る気は固まらない。
「まあ、すぐには決められないよな。俺も、弟子入りしてからしばらくの間は、農家の婿の気持ちが抜けなかったんだ。でも、気長に考えてもらえると嬉しい」
「すみません。でも、あと何日かは手伝わせて頂きます」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その日の夜、寝床から大きな双葉がにょきっと生え、その間に手紙が挟まっていた。絹子からだった。
クモさんが寝てくれません、と困っていた。一瞬だけ、下世話な意味に解釈してしまったが、昨日の誉からの手紙でも、クモが布団で寝てくれないと書かれていたので、同じ内容だと思うことにした。
絹子からも多分懐かれている。そう思いたい。
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