第49話

 帝都に来て初めて、帝都から出た。

 相州三鷹はのどかな場所で、郷里の上州を思わせた。養蚕農家独特のつき二階建て家屋が無いこと以外は、上州とあまり変わらない。

 朝早く本郷大根畑の家を出たが、迷いながら手紙で教えてもらった住所に辿り着く頃には、とっくに昼を過ぎてしまった。

 みどりとクモが護衛したがっていたが、ふたりは仕事を抱えているため、洸次郎は謹んで遠慮した。後悔はしていない。

 平屋の建物の奥に、煙の出ていない煙突が見えた。洸次郎の脳裏をよぎったのは、亡き兄、新三郎の登り窯だ。一瞬だけ、ふわっと心が浮く感じがした。

「……すみません」

 母屋も作業小屋と思しき建物にも声をかけてみたが、返事がない。

 作業小屋の奥に登り窯があり、そこに痩身の男がいた。

「みどの、さん……ですか?」

 男は弾かれたように顔を上げ、振り向いた。歳は四十歳過ぎだろう。手伝いに来た者だと察したのか、目が嬉しそうに輝いている。

「もしや、例の洸次郎さんかい?」

「あ、はい。洸次郎です。ええと、折茂おりも洸次郎です」

「ああ、やっぱり。俺は緑埜みどの橘平きっぺい。あんたを待ってたんだよ」

「よろしくお願いします。こき使って下さい」

「いやいや、怪我しないように安全にやろうや。荷物、置いてきなさい」

 作業小屋に少ない荷物を置かせてもらい、洸次郎は橘平と一緒に登り窯から素焼きの器を出す作業を行った。

 懐かしい。昔、兄とやったことがある。ふたりとも灰だらけになって、親父に叱られると慌てて、でも宝物を掘り出しているみたいで、心が踊った。

 窯の中から素焼きの抹茶碗を取り出しながら、橘平が話しかけてくる。

「鹿島屋の清兵衛さんから聞いたよ。洸次郎さんは陶芸やきものをやっていたんだってね」

「それは……本業ではありません。すみません」

 趣味程度で販売できる実力はありません、などと言ったら気を悪くされてしまう。早々からクビになんかなりたくない。清兵衛がどこまで話したのかわからないが、雇い主である橘平には言葉を選ぼうと洸次郎は思った。

「俺も、初めは本業じゃなかったんだよ。この道に入ったのは、三十を過ぎてからなんだ。今年で四十七になるから、かれこれ十七年てとこかな。洸次郎にしてみれば、親父さんみたいな歳だろう」

「あ、ええと……」

 みどりやクモと話すのとは勝手が違う。橘平は初対面の洸次郎にも気さくに話しかけてくれるが、洸次郎は変に緊張してしまう。

「兄が四十歳でした。橘平さん……緑埜さんは、お兄さんみたいな感じです」

「あんたのお兄さん、そんなに歳が離れていたのか!」

「はい。兄が陶芸をやっていたので、教えてもらいながら手伝っていました」

「そうか、そうか。それで陶芸を」

 橘平は、興味深そうに頷く。が、何か引っかかるようで、首を傾げた。

「うん、まあ、思い出したら話すよ」

「なんか、すみません……ところで、抹茶碗ですよね? 数が多いです」

「そうそう。最近は女学校で茶の湯をおしえるみたいで、茶道具の注文が多いんだよ。これ全部、練習用の茶碗。建水けんすいとか、水指みずさしもこれからやんなくちゃならないんだ」

「女の人も茶の湯をやるんですね」

 茶の湯は、身分の高い男がもてなしの一環でやるものだと思っていた。近頃は、若い女人が学校で習うものらしい。時代は進んでいる。

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