第50話

  登り窯の灰を掻き出し、綺麗に掃除したところで、夕方になってしまった。

「今日はここまでにすべ。飯にすっか。昼間の残りでわりいけんど」

 橘平きっぺいは、洸次郎に馴染みのある訛り方をして、からりと笑った。

 夕飯もまた、洸次郎に馴染みのある食べ物だった。

「とっちゃなげ!」

「お、知ってんかい。そういや、洸次郎さん、喋りが俺の地元にそっくりだいな。俺もつい、お国の言葉が出ちまう」

「俺は上州なんです」

「へえ、そうなん? 俺は、多野郡緑埜みどの村」

「俺も多野郡。小塚村です」

ちけえじゃねえか!」

 第三者が聞いても会話を追いきれない訛り方で、ふたりは盛り上がった。近所ではないが、同じ郡の出身というだけで、近しい感じがした。

 難しい漢字が苦手は洸次郎が「緑埜」という苗字を読めた理由は、高山社で養蚕を学んでいたときに初めて文字をきちんと覚え、近隣の地名も読み書きできるようにしたからだ。

 橘平の「とっちゃなげ」は、洸次郎の家のものと少々味が違った。

「外国の料理みてえな味がします」

 外国の料理を食べたことがない洸次郎が、感想を述べた。

「わかるかい? 咖喱カレーの香辛料だよ」

美味いです! 醤油の汁と合います」

 洸次郎が褒めると、橘平は目をふにゃんと細めて微笑んだ。

「俺にもね、洸次郎さんと同じ年頃の娘と甥がいたのよ。なんか、思い出しちまうな」

 おじさんの昔語りだと思って聞き流してくんない。

 橘平は、とろとろと話し始めた。



 生まれは、上州多野郡金井村。家は代々、養蚕と畑仕事をしていた。

 橘平は兄弟の五男で、二十歳になる前に緑埜村に婿入りした。

 娘が生まれた頃、江戸の政治が終わり、政府が治める世になった。

 苗字を名乗ることが許されると、村の名と同じ「緑埜」を名乗った。

 緑埜の家も農家だったが、稲作で主な生計を立てる家だった。稲を育てることに慣れない橘平は、義理の両親から酷く責められ、妻からも呆れられ、緑埜の家に居場所が無かった。一人娘しか子をつくれなかったこともあり、能無しだと近所からも陰口を叩かれた。

 橘平が陶芸に出会ったのは、三十歳近くになってからだった。

 十歳近くになる娘を連れて高崎のいちに行ったとき、芸術品としての陶芸作品というものに出会った。これまで、陶芸といえば使い回された食器という概念しかなかった橘平には、芸術品としての陶芸というものが存在することに衝撃を受けた。そして、自分もやってみたいという欲が、ふつふつと湧いていた。

 京都の尼僧が手掛けたという、手捻てびねりで和歌が彫られた茶器を、なけなしの金で即座に購入した。

 帰宅後、家族からは烈火のごとく叱られた。

 ――貴重な金を娯楽に使うとは何事だ。

 ――恥を知れ。

 ――お前なんか出ていけ。

 妻も、夫より両親の味方だった。

 橘平は、着の身着のまま、茶器を抱えて緑埜の家を出た。実家には入れてもらえず、三番目の兄が婿に行った、小塚村の片山の家に転がり込んだ。

 片山の家は、緑埜の家と違い、おおらかな人が多かった。橘平の甥にあたる田助たすけは、ひがみやすい橘平の娘と同年代なのに、人懐こくて橘平のことも「おじちゃん、遊んで」とくっついてきた。

 橘平は、片山の家で一ヶ月近く居座った末、緑埜の家と縁を切ることに決めた。もう、帰る場所はない。自分にあるのは、陶芸の茶器と陶芸に挑戦したい気持ちだった。

 つても無いのに、日数をかけて山道を歩き窯元を訪ね、知識も覚悟もないのに、弟子入りを懇願した。受け入れてくれた師の元で修行し、この三鷹に自分の窯を築いた。

 緑埜の姓だけは、今も勝手に名乗っている。

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